4話

 クーデルスが奴隷商館の牢獄につながれてから数日。

 この牢獄に悲鳴の聞こえない日は一日も存在しなかった。

 しかし、別にクーデルスに対して拷問が行われているわけではない。


 いったいどういうことかと言うと……。


「あぁぁぁ、またクーデルスが逃げやがったぁぁぁぁぁぁ!」

「回り込め、きっと奴はまた女奴隷共のところだ!」

 今日も牢獄を管理する守衛の男たちは悲鳴を上げつつ駆けずり回る。

 それと言うのも、クーデルスが毎日のように牢獄の鍵を壊して外に出てしまうからであった。


 むろん、鍵も無料で直してもらえるわけがなく、精密な工作を必要とするだけあって、鍵というものは意外と値が張るのだ。

 しかも、人を閉じ込めておくものだけに簡素な安物は使えない。

 もはや壊れた鍵の代金だけでもクーデルスを買い取った金額に追いつく勢いである。


 なお、クーデルスの脱走を阻止できない状態ではオークションに出せるはずも無く、先日のオークションにクーデルスを出品する話しはあっさり流れた。


 当然ながら、このままでは採算が取れない。

 そんなわけで、クーデルスを買い取った奴隷商人は、早々にクーデルスを同業者に押し付けるための検討をしているらしい。

 もっとも、当の本人はそんな事情など知らぬ顔で、この悪夢のようになるはずだった奴隷ライフを心から楽しんでいた。


 なぜなら……ここには観賞用や娯楽用の美人奴隷が寝泊りしていたからである。


 彼女達の存在を嗅ぎ付けたクーデルスは、いかなる手段をもってしてかこの屋敷を警護する守衛達の目をやすやすとかい潜り、大量の花をかかえて彼女たちに向かってこう叫んだのであった。


「クーデルス・タート、よんひゃ……じゃなくて、42歳! 独身です! どなたか私とお付き合いしてくださる方はいらっしゃらないでしょうか!?」

 当然ながら、誰も反応しなかったのは言うまでもない。


 だが、彼の心は折れなかった。

 それからというもの、彼は毎日のように自分の部屋を抜け出して、美しい女奴隷たちの下を訪れるようになったのである。

 

 そんなわけで、今日も男たちが走り去った後、クーデルスに与えられた部屋では、鉄格子で出来た扉がキィキィと悲しげな音を立ててゆれていた。

 鍵である部分がごっそりと削れ、床に鉄で出来たキンセンカの造花が転がっていることで、何があったかはお察しである。


 なお、キンセンカの形を選んだのは、この花の花言葉が「寂しさ」であり、クーデルスの心情をこっそりと反映させた遊び心なのだが……。

 守衛たちにそれを解れと言うのは、かなり酷な話である。


 さて、その頃……この騒ぎの元凶であるクーデルスはというと、美しい緑の庭園を、両手一杯にヒマワリの花束を抱えていそいそと歩いていた。


「あら、クーちゃん。 お出かけかい?」

 そう声をかけたのは、この奴隷商館で食事の用意を担当している女中たちである。

 この屋敷に来たその日の夕食にクーデルスが猛烈な抗議をした事がきっかけで、今ではこうして気軽に話しが出来るようにはなったのだが、どちらにも恋愛感情の気配は全く感じられない。


「はい、今日はヒマワリで決めてみました! 花言葉は"貴女だけを見つめている"です!!」

 ヒマワリの花を両腕に抱えたまま、眼鏡の中年男がにっこりと微笑む。

 だが、自信ありげな彼の笑顔に対し、女中たちはそろって否定的な表情を作った。

 

「えー、それちょっと重過ぎない?」

「あと、貴女だけとかいいながら、みんなに配るんでしょ?」

「あら、最低。 それは誠意が無さ過ぎて幻滅だわ」

 女中たちは庭の野菜を収穫する手をとめもせずに、クーデルスの心に次々と"遠慮の無い意見"と言う棘を刺す。


「……しまった、それは計算外でした。 この私とした事が」

 ショックを受けたクーデルスの腕から、ヒマワリの花束がバサバサと零れ落ちた。


 落ち込むクーデルスを他所に、女中の一人がすかさず「あらあら、もったいないわねぇ……」といいながら、その落ちたヒマワリを拾い上げて井戸水の入ったタライに活ける。

 おそらく何度も同じ事を繰り返したのであろう、妙に手馴れた動きだ。


「それ……差し上げます。 あぁぁ、次の花をすぐに用意しなければ」

 地面におちたヒマワリをそのままに、クーデルスは懐から取り出した花言葉の辞典をめくる。

 ちなみに、これは女中の一人が若かりし頃に作った手書きの辞書であり、お花畑魔術で作った野菜と引き換えに貰ったものだ。


 今まで花については育てるか利用する事しかしてこなかったクーデルスにとって、花言葉と言う存在はかなりの衝撃だったらしく、最近の彼はすっかりこの詩的な世界に没頭している。


「にしても、クーちゃんも毎日マメねぇ。 でも、あそこのお嬢さんたちはみんな訳ありだからやめといたほうがいいわよ? 気位が高いし、お金と地位にしか興味ないし」

「ええ、でも私は彼女たちが好きなんです。 一人だけでも、私の事を気に入っていただけたら嬉しいんですけどね」

 キラキラと目を輝かせるそれは、まるで思春期を迎える前の少年のようで、大人の男がやるには少々滑稽であった。

 その違和感に、女中たちは苦笑いを浮かべる。


「やだ、クーちゃんったらダメねぇ。 そんな事言っていたらいつまでたってもモテないわよ?

 恋っていうのは、そういうものじゃないの」

「そうそう。 色んな人に目移りして誰でもいいって言っているうちは、それはただの遊び。

 その人じゃなきゃ嫌だって思ったとき、初めてそれが恋だとわかるのよ」

「口説くのなら、せめて本当に好きな人が決まってからにしなさい。

 じゃなきゃ、女はすぐに男の心を見透かしてすぐに離れてゆくわよ」

「……そんなものですか?」

 彼女達の助言にクーデルスは首をかしげ、女中たちはダメだこりゃといわんばかりにため息を吐いた。


「そんなものと言うより、もともとそういうものよ。 たぶんね、クーちゃんは本当の恋をまだしていないからそんな事が言えるのよ」

 クーデルスが誰かを好きになったというのではなく、単純に恋をしてみたいだけである事は、誰の目にも明らかである。


 このままでは、酷い女に引っかかってどんな火傷をするか心配で仕方が無い。

 そんな彼女達の心配を他所に、クーデルスは花言葉の辞書を閉じる。

 どうやら次の花をどうするか決めたようだ。


「ご心配ありがとうございます。 お言葉ですが、一応は一人だけ他とは違う何かを感じる人がいるんですよ」

「……おや、誰だい、それは?」

 野暮だとはわかっていてもつい尋ねてしまい、女中は思わず苦い顔をする。

 だが、そんな彼女たちを他所に、クーデルスは迷いなく一人の女性の名を告げた。


「アデリアさんです」

「……え」

 その瞬間、女中たちの顔が凍りつく。


 なぜならばそれは、この国で今や一番の悪女と話題の少女。

 かつてはこの国の王太子の婚約者であり、今は見せしめのために奴隷としてこの商館に閉じ込められている女の名前だったからである。

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