3話

「あばよ、オッサン。 いい飼い主に恵まれることを祈るんだな。

 まぁ、その歳じゃロクな買い手がつかないとは思うけどよ」

 盗賊の男はそんな捨て台詞を残すと、奴隷商人から金を受け取ってクーデルスの隣から去っていった。


 さて、クーデルスが街道にたどり着いてからここに至るまでの話しを簡単にしよう。

 盗賊に襲われたクーデルスは、現実に絶望するあまり放心。

 そのまま全く抵抗もせずに捕まると、まるで荷物のように馬車に押し込められて水も食料も与えられないまま数日を過ごしたのである。


 そして再び彼が日の光を見たとき、目の前にあったのは人気の無い路地、そしてその路地に面した石造りの建物。

 やたらと頑丈そうな壁には松明を灯すための器具と馬を繋ぐための金具以外に見るものはなく、見るものが気を悪くしてため息をつきそうなほど殺風景なつくりである。

 そしてその馬を繋ぐための金具に、今はクーデルスがつながれていた。


「えっと、もしかしてこれは奴隷という奴でしょうか?」

 隣に立つ、奴隷商人の下働きらしい目つきの悪い男に話しかけると、相手は『こいつ頭大丈夫か?』といわんばかりの表情で口を開く。


「妙なおっさんだな。 奴隷以外の何に見えるってんだ?」

「いえ、奴隷以外には思えないから聞いてみたんです。 多少なりとも救いがあればいいなーと」

 ハハハと乾いた笑いを浮かべるクーデルスを訝しげな目を眺めつつ、その目つきの悪い男はフンと鼻を鳴らして鍵を取り出した。


「……変なことを言う奴だな。 おい、誰かに見られる前にこっちに来てもらおうか」

 奴隷商人の手下は、持っていた鍵でクーデルスを繋留する金具を外すと、彼を建物の奥へと連れていった。

 人目をはばかるところを見ると、どうやらこれは正規の手続きによる奴隷では無いようである。


 そして入った建物の中は、酷く薄暗い場所であった。

 しかも体臭と糞尿の染み付いた空気は突き刺さると表現したほうがよいほどの異臭を帯びており、クーデルスは思わず花畑を呼び出して匂いの元を駆逐してしまおうかという衝動に駆られる。


「おい、いくら酷い臭いだからって倒れるんじゃねぇぞ。 倒れたら、そのままこの汚い床の上を引きずってゆくからな」

「よ、よく平気で息をしてられますね」

 そんなクーデルスの言葉に、牢屋番であるこの男はヘッと皮肉げな笑みを浮かべた。


「……俺は生まれつき嗅覚がねぇんだよ」

 なるほど、一般的には障害といわれるような体質も、このような場所では有利に働くようである。


「ところでつかぬ事をお伺いしますが」

「却下だ。 黙ってついて来い」

 クーデルスの度重なる質問にうんざりしたのだろうか、目つきの悪い男はそう吐き捨てて歩き出した。


「とても大事なことなんです!」

「勝手にしゃべるな。 自分の立場をわきまえろ」

 なかなか歩き出さないクーデルスに、男は苛立った表情で振り返る。

 だが、そんな男の怒気にも怯むことなく、クーデルスは真剣な表情で問いかけた。


「奴隷市場にも、恋との出会いはあるでしょうか?」

「ぶふぉっ!?」

 クーデルスの言葉が妙なところに入ったのだろう。

 男はそのまま激しく咳き込んだ。


「大丈夫ですか?」

「ゲホッ、ゲほっ、大丈夫じゃねぇのは、テメェの頭だ!

 奴隷市場に男女の出会いを求める馬鹿がどこにいる!」

 残念ながら、その例外は彼の目の前に存在していた。

 現実とはあまりにも無情である。


「いやぁ、とりあえずここに」

 男は無言でクーデルスの脛を蹴り上げたが、蹴られた当人は涼しい顔であった。

 それどころか、蹴った足のほうがジンジンと痛い。

 風采の上がらない容姿をしていても、元は魔帝国の四天王……クーデルスの体は、まるで鉄で出来ているかのように頑丈だった。


「このっ……バケモノが!!」

「いやぁ、そんな風に褒められると照れますねぇ」

「褒めてねぇよ!! いいか、お前はもうしゃべるな!

 くそっ、あの野郎……とんでも無い馬鹿を売りつけやがって!!

 いいか、次にしゃべったら、たたじゃおかねぇぞ!!」

 とはいえ、どうやったらこの無駄に頑丈な馬鹿をギャフンといわせられるかについては全くアイディアが浮かばない。

 ――素足で小石を踏みやがれ!!

 心の中でそんな泣き言をいいながら、虚勢を貼るのが精一杯である。


 その後も懲りないクーデルスは何度も話しかけるのだったが、目つきの悪い男は一計を案じ、その一切を無視することにした。


 どうやらこの作戦は効果があったらしく、しばらくするとクーデルスはしょんぼりとした顔でおとなしく男の後ろを歩き始める。

 物理的攻撃には強くとも、精神的攻撃にはあまり強くないらしい。


 無視されて寂しげにスンスンと鼻を鳴らすクーデルスの様子に、目つきの悪い男は少しだけ溜飲を下げると、牢獄の並ぶ通路の一角で足を止めた。


「おい、止まれ。 ここがお前の部屋だ」

「え? ここですか? ベッドもないし、トイレが外から丸見えなんですけど」

 与えられた部屋を見た瞬間、クーデルスの顔が困惑に染まる。


「はぁ? お前、ここがホテルの一室だとでも思ってんのか! バカが」

 しごく当たり前の返事を返したつもりだが、クーデルスは返事のかわりに首をかしげた。


「でも、奴隷ってここの売り物ですよね? 売り物なのに、なんで状態を悪くしようとするんです?

 商売の基本がなってませんよ、これ」

 鉄格子の向こうにはトイレ用の壷と寝そべるためのむしろがあるだけで、とても清潔で健康的とはいえない状態である。


「そ、そんなこと、俺が知るか! なんだよ、見ているこっちが悲しい気分になるほど残念なものを見る目は!!」

 クーデルスの素人意見に、目つきの悪い男はあからさまにうろたえていた。

 これが彼の主人である奴隷商本人であれば反論はいくらでも出来るのだろうが、商売の事をほとんど知らない彼がクーデルスの問いに答えられるはずも無い。


「とりあえず中に入れ」

「いやです」

 鉄格子のドアを開けてクーデルスに入室を促す目つきの悪い男だが、クーデルスは頑としてそこを動かない。

 力ずくで押し込めようとしても、まるで石造りの床に根を張ったかのようにクーデルスの体はビクともしなかった。


「テメェ、いい加減にしろ!! 入れって言われたら、さっさと入りやがれ!」

「いやです」

 腹立ち紛れに尻を蹴り上げても、痛いの自分の足だけである。

 うずくまって自分の足を押さえながら、目つきの悪い男は考えた。


 ――あの盗賊野郎がどうやってこのバケモノを捕まえたかはわからないが、それが出来た以上は何か弱点があるはずだ。

 少なくとも肉体的なものでは敵いそうにはない。

 では、精神的な方法? いや、違うな。

 この一見真面目な公務員のような面をしたお花畑野郎の弱点は……こいつだ!!


「そういえば、あの部屋の隅に、前の住人が描いたエロい落書きがあってな」

 その瞬間である。

 クーデルスは風のような速さで部屋の中に踏み込んだ。


「あれ? 絵はどこですか!? って、あっ、何でドアを閉めるんですか?」

「三日後にオークションがある。 それまでそこに入っていろ。 脱走なんか考えるんじゃねぇぞ」

 鉄格子のドアにしっかりと鍵をかけると、目つきの悪い男はスッキリした顔でその場を後にした。

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