2話

 爽やかな森の朝。

 だが、今日の森の中には異様な代物が鎮座していた。

 それは……一見して白い蘭の花に見えることだろう。

 しかし、それを的確に表現するには少し言葉を足す必要があった。


 まず、アツモリソウと言う花をご存知だろうか?

 花弁の一部が袋のような形になった蘭の花だ。

 そのアツモリソウが、森の中に一輪咲いている。


 もっとも、アツモリソウが咲いているだけならば特に異様でも何も無い。

 だが、その大きさが尋常ではなかった。

 膨らんだ花弁で出来た袋は大人一人がすっぽりと入ってしまうほど大きく、おまけに袋の中は綿状の繊維で一杯になっているのである。


 もしもここに誰かがいたならば、その花を見て10人中9人は寝袋を想像する違いない。

 なお、残り一人は耄碌もうろくしているか、目が見えない人を想定した話である。


 ふと、そんな寝袋の花から、肌色をした何かがにょっきりと生えた。

 人の腕。 しかも鍛えられた男の腕だ。

 その腕は周囲をまさぐると、そこに置いてあった黒縁の眼鏡を掴み取る。


「ふぅ……もう朝ですか」

 そんな声と共に寝袋の花から出てきたのは、クーデルスであった。

 しかも、裸である。


 とはいえ、別に彼がやましいことにふけっていたわけでも、野生に還ったわけではない。

 寝るときに大量に汗をかくため、その匂いと汚れが一枚しかない服にうつるのを嫌っただけである。


 農作業で鍛えられた体を惜しげもなく森の空気に晒すと、彼は地面に手をついて魔術を解き放った。


咲き乱れよフロレシオン

 その瞬間、地面を突き破って一輪の巨大な花が姿を現す。

 今度の花はまるでボウルのような御椀型をしており、やはり成人男性としてはやや大柄なクーデルスがすっぽりと入るほどの大きさであった。


 そして待つこと数秒。

 ポコポコと音を立てて花の中に透明な液体があふれ出す。

 もはや、そんな花は誰も知らない。 原型が何の花であるかを想像することすら難しいだろう。

 あえて言うならば、クーデルスが属性『お花畑』の魔術で作り出した都合のいい植物の異常体キメラとしか言い表す言葉が存在しない。


「そろそろ、いい頃合ですかね」

 やがて液体が十分な量に達すると、彼はハァーと風呂に入るオッサンのような声を上げながら、その液体の中に体を浸した。

 そして生ぬるい液体の中で体をこすると、垢を落としながら寝汗にまみれた体を気持ちよさそうに清めてゆく。


「ふぅ、やはり朝一番はこうやって身を清めないと気持ち悪くて仕方がありません」

 コキコキと首と肩を鳴らし、ため息をつきながら風呂でくつろぐ姿は、正しくオッサンであった。


 沐浴を終えると、彼は寝袋の花の近くの枝にかけて干しておいた布地を手に取り、腰に巻きつける。

 そしてささやかな文明を取り戻すと、今度は少し離れた茂みの中をまさぐりはじめた。


「うん、いい具合に冷えてますね」

 そんな言葉と共に取り出されたのは、椰子の実に良く似た大きくて硬い果実。

 クーデルスはその果実の一部に杭を刺して穴を空けると、その中身をおいしそうに飲み始めた。

 椰子の実のジュース? 否。 あたりに漂うのは酒の匂いである。 正しくは冷えた生ビールの匂いだ。


 お分かりだろうか、この中年男……冷えた生ビールの入った実をつける魔法植物の花を昨日のうちに植えつけておいたのである。

 何と言う技術の無駄遣い。 しかも、朝っぱらから酒。

 とてもサバイバル状態ににあるとは思えない行動だ。


「さてと、ご飯ご飯」

 朝の沐浴を終えたクーデルスだが、今度はウツボカズラによくにた植物の葉の中から昨日のうちに仕留めておいた小鳥を取り出すと、鼻歌を歌いながら朝食の準備を始めた。

 捕獲された鳥はすでに消化液によって羽毛などが処理されているだけでなく、酵素によって肉は柔らかく、さらに食欲をそそるスパイシーな香りまでつけられている。

 料理人が見たら、嫉妬するか怠惰とそしるかに分かれるであろう光景だ。


 あとは風呂に使った花をもう一度咲かせて水を確保し、内臓を綺麗に洗い流して、金属製の花で出来た鍋に放り込む。

 火花を散らす不思議な花で薪に火をつけ、地中から塩分を吸い出して葉の表面に浮き上がらせる性質をもつ野菜を追加し……と、お花畑属性の魔術を駆使する事30分。


「うーん、今日もご飯が美味しい」

 場末の宿などよりよほど上等な食事を作り出すと、クーデルスは美味そうにそれを平らげ、生ビールの実をひとつ追加する。

 ……自堕落。 見た限りこれほど似つかわしい言葉も他に無いだろう。

 これが故郷を着の身着のままで放り出された男の五日目の姿だと、いったい誰が思うだろうか?


 とはいえ、彼の力も万能ではない。

 主に衣服などを中心とした生活必需品に関しては、出来るだけはやく供給する必要があった。


 朝食を終え、寝床や風呂にしていた自堕落生活応援植物の数々を土に還すと、クーデルスは太陽の角度から方角を割り出し、南へと向かって歩き出す。

 目指すは、人間の集落。

 別にそちらに村落があるという保証はどこにも無いが、魔族の住む地域は大陸の北側にあるため、南にゆけば少なくとも魔帝国に戻る可能性は少ないからである。


 そして歩くこと一時間あまり。

「……道だ」

 獣道を踏み越えた先に、明らかに人の手を感じるむき出しの地面が現れた。

 ようやく人間の生存圏にたどり着いたことに、クーデルスは思わず目を閉じ、胸に手を当てたまま空を見上げる。

 とても感動的ではあったが、生憎と魔族である彼に感謝を捧げる神はいない。


「すばらしい! ここから私の恋が始まるのですね!

 最初に出会う人……そう、私の運命の相手は、どんな方でしょうか。

 森の中で薬草を求め、獣に襲われてしまう哀れな少女?

 それとも、お忍びで旅をしている途中で、盗賊に扮した敵国の騎士たちに襲われる気丈なお姫様?

 ふふふ、戦いは好むところではありませんが、未来のマイハニーのためならば、私がんばっちゃいますよ!!」

 ようやく人の気配に触れ、舞い上がったクーデルスの脳内お花畑はいい感じに回転しはじめる。

 顔をほんのりと赤く染め、ピンク色の妄想にふけりながら寂れた森にたたずむ中年男の姿は、控えめに言ってかなり不気味だった。


 さぁ、気合を入れなおして歩き出そう。

 あとどれだけ歩けばすむかはわからないが、人間の生存圏は確実に近づいているのだから。

 そう心の中で呟きながら、彼が一歩を踏み出したその時である。


「おい、そこのオッサン。 命が惜しかったら、おとなしく金目のものを出しな!

 ……って、なんだよ、その……見ているこっちが申し訳ない気分になるほど残念な面は!!」

 彼の記念すべき運命の相手は、刃物を持った小汚いオッサンであった。

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