クルクマのせい



 ~ 八月二十五日(土) night ~


   クルクマの花言葉 乙女の香り



 おじさんがいなくなって。

 一年目の事だったっけ。


 俺たちの家族も一緒に。

 お墓参りに行ったときのことだ。


 ここにパパがいるのよと辛そうに話すおばさんの言葉を聞いた穂咲が。

 お墓の前の、硬い地面を掘り返そうとするものだから。


 慌ててみんなで止めて。

 今、パパは眠ってるから。

 起こさないであげようねって言ったんだ。


 そしたらこいつ。

 ポケットから何かの花の種を出して。

 これを植えたいだけだと説明したので。

 みんなが優しい笑顔を浮かべたことを覚えている。


 たしか、母ちゃんだったか。

 今日は種じゃなくて。

 咲いてるお花があるからこれを見せてあげようねって言うと。

 穂咲は納得したようで。


 大人たちがお墓を洗って飾りつけている間。

 少し離れて、俺と並んで。

 ……大人しく。



 …………花の種を食べていたんだ。



 そんな様子を、唖然と見つめていたら。

 穂咲が、花の種を一粒くれたので。


 ものは試しと。

 口の中へ入れようとしたら。

 怒鳴って止めてくれたのは、父ちゃんだったっけ。


 でもその時。

 それは毒だから食べるな、などと言ったものだから。


 俺は毒を食べた穂咲が死んじゃうと思って。

 大声で泣いたんだ。



 叱られたから泣いたものと。

 大人たちはそう思ったのだろう。


 穂咲が大変なのに。

 みんなはそれに気付かずに。

 お墓の掃除を続けていたんだ。


 ……そんな俺を慰めようと。

 頭を撫でてくれたのは。

 あろうことか。

 余命いくばくもない穂咲。


 穂咲と別れるなんて嫌だ。

 俺はそう叫んで。

 ぎゅうっとしがみついて。

 おんおんと泣き崩れると。


 こいつは神妙な顔つきで。

 俺の手をぎゅっと握って。


 そして、優しい声音で。

 二人を別つものなど何も無いということを。

 俺に教えてくれたんだ。




「おいしいよ?」




 ~🌹~🌹~🌹~




 葉っぱと葉っぱの隙間から転げ落ちた光の子供達が。

 山道を、割り石タイルみたいに塗って。

 くすくすと、揺れるほど笑っていたのに。


 きっと夏休みが残り二日だと誰かが気付いて叫んだせいでしょう。

 みんな揃って、宿題をするためにお家へ帰ってしまいました。


 するとパレットに残ったのは。

 緑と黒の絵の具だけ。

 仕方なくキャンバスに塗りつけるうちに。

 辺りはすっかりツートーン。


 下半分が黒で。

 上半分が緑で塗りつぶされた。

 暗いトンネルが生まれました。


 でも、そこに誰かが霧吹きで。

 薄いミント水をしゅっしゅとかけたので。


 暗い世界が白く灯って。

 息を吸うたび、爽やかな香りと冷たい水滴が胸を満たして。

 重い足取りに、翼を生やしてくれたのです。



 とは言え、いい事ばかりでもありません。


 この山を登る人は少ないのでしょう。

 けもの道のような登山路は荒れていて。


 腐り落ちた太い木の枝や。

 剥き出しになった木の根が。

 白い視界に隠れて邪魔をします。


 重い荷物を背負う俺にとっては。

 なかなか過酷な登山となったのです。



 ……まあ、そんな障害物も。

 身軽なこいつには関係無いようで。


 だらしないだの遅いだの文句を言いながら。

 道から外れてまで歩き回り。

 登山を満喫していらっしゃるご様子。


 清楚なワンピースを泥だらけにして。

 藪に潜っては珍しい物を携帯で撮り集めて。

 嬉々として俺に見せに来るのですけど。


 ……いえ。

 ついさっきまでは。

 嬉々として俺に見せに来ていたのですけど。



「……改めて思うのですが。ほんとにどうしようもない人ですね、君は」

「ふう、ふう、は、はしゃぎすぎたの……」

「大丈夫ですか?」

「げ、限界突破したの。ネオホサキンに変身しそうなの」

「なにそれ見たい」


 気付けば俺の後ろをよたよたと歩き。

 ふれっふれっあたし。

 がんばれがんばれあたし。

 元気いっぱいに声を張り上げてますけど。


 余計疲れますよ、それ。


「……ちょっと休憩しましょうか」


 まるでおあつらえ向き。

 仲良くデート中だった、腰高の石と出会ったので。


 小さな彼女さんの方に穂咲を座らせた後。

 やきもちをたっぷり目に込めながら。

 俺はザックを男子の方に乗せて、しゃがみ姿勢で一休みです。


「なにそれ? リュックを座らせてあげてるの? そいつはおんぶしてもらってばっかで、そんなに疲れてないと思うの」

「こうした方が楽なんです。座っちゃうと次に動く時、足が痛くなるのです」

「…………おお。プロっぽい発言なの」

「実は登山部の見学に行った後、よく一人で登山してまして」


 そのおかげで、こういった知識は自分の体から学んだのですが。

 ほんとはちゃんと、経験者から学ぶべきなのでしょうね。


「一人で登山なの? 楽しいの?」


 穂咲は目を丸くさせながら。

 レースのハンカチでおでこを拭き拭き聞いてきますが。


「それが、よく分からないのですけど。苦しいのに、登りたくなるのです」

「ふーん。…………あんまり、一人でどっか行っちゃわないでほしいの」

「え? 君も行きたいの?」

「そうじゃないの。何でもないの」


 独り言のようなものをつぶやいた穂咲は。

 ナップザックをくるりと前に持って来ると。

 水の入ったペットボトルを取り出して、ちびちびと飲みはじめました。


 ……どうしたのでしょう。

 急にしょんぼりしたように見えるのですが。


「なんで少し元気がないのです?」

「…………ずっと考えてたの」

「何を?」

「子供の名前」


 ああ。

 先ほどのお話ですか。


「あたし達から、名前を取るって」

「ほんと、勘弁してほしいのです」


 俺たちが立派な人間でしたら。

 誇らしいお話なのですが。


 こんなダメダメコンビにとっては。

 実に重たくて。

 やめて欲しいと感じてしまいます。


「俺たち、その子に恥ずかしい思いをさせないよう、ちゃんとしなきゃ……」

「そんな事より、もっと大変なことがあるの」

「なんです?」

「どう組み合わせても、まともな名前にならないの」


 ……道、久、穂、咲。



 ほんとだ。



 でも君。

 自分の名前が使われるという大事件を。

 そんな事って。


 相変わらず、大物なのです。


「名前って、どうやって決めるものなの?」


 藪漕ぎなんてしたせいで汚れた、スカートの裾を気にしながら。

 穂咲が聞いてくるのですが。


「お父さんとお母さんで、こうなって欲しいって相談しながら決めるのではないでしょうか」

「あ、そうなの。こないだ見たドラマで、そうやって決めてたの」


 穂咲はナップザックから取り出した飴玉を。

 張り付いた包み紙にうええと顔をしかめながら口に放り込むと。


 急に何かを思い出したのでしょうか。

 目をキラキラさせながら。

 ……俺にゴミを手渡しながら。

 身を乗り出してくるのです。


「そうなの! えっとドラマでね? 一緒に死んでほしいっていうのは、究極のプロポーズだって言ってたの。ほんと?」

「なにそれ怖い、重い。あと、ゴミのべたべた側を手にくっ付けないでください」

「だってそうしないと、あたしの手がべたべたになるの。それより、究極なの?」


 ……そう言えば。

 さっき歩きながら思い出したな。

 俺は昔、それを言われたことあるのです。


「君は今まで、プロポーズしたことある?」

「あるわけ無いの」

「じゃあ、一緒に死のうって言葉は、究極どころかプロポーズですらありません」


 それは、毒を食ったと知った女の子が。

 道づれが欲しくなった時に発する悪魔のささやきです。


「そうなの。なんかがっかりなの」



 ――他愛のない会話。

 いつもの呼吸。


 当たり前で。

 そして今をおいて他にない特別な時間。


 そんな時間を。

 俺たちはあとどれだけ過ごせるのでしょう。


 なんだか少し寂しくなった俺の代わりに。

 山が、ぽつりと涙を流します。


「雨? ……おお、気がつけば世界が真っ白。雲の中にいるんだね」


 藪を満たしていた黒い色も。

 薄まって灰色に見えるほど。


 雲の中って。

 小さな頃に夢見ていたものとはちょっぴり違いますけど。

 それでも、なんだかワクワクするのです。


「雲の中に雨が降ってるの?」

「そうですが。それがなにか?」

「面白いの。だって、曇りの真っただ中なのに、雨なの」


 曇りなのに、雨。

 ほんとだ。

 そう考えるとちょっと不思議。


 ……君は、俺が気付かないことに気付いてくれて。

 俺の人生を二倍にしてくれる。


 そんな穂咲が。

 スカートの裾をばっさばっさとはたいて。

 うんしょと立ち上がると。


「雲の中の雨を、雲でブロックなの」


 変な事を言いながら、俺のザックのファスナーを開いて。

 オレンジチェックの毛布を取り出して、頭にかぶります。


「それを傘にする気? 毛布、びしょびしょになっちゃうよ?」

「いいの。平気なの」


 うん。


 君の毛布、ピンク色の方だからね。


「じゃあ行くの」


 そう言うと、先ほどとはうって変わって。

 寄り道もせずに山道を進みはじめた穂咲。


 ……そう。

 君はそうやって。


 まっすぐ突き進むと。

 俺よりも速く成長するんだ。


 だから、またいつものように思うのです。



 置いて行かないでほしいと。



 ……ほんとに。

 待って。


 俺の隣に。

 戻ってきて。



 君が開けっ放しにしたファスナーに手が届かないから。




 ~🌹~🌹~🌹~




 ……歩き始めるとすぐに。

 斜面はなだらかになって。


 自然と顎が上がった視界の。

 まっすぐ正面。


 藪が、木がこさえたトンネルが。

 ぽっかり口を開けていて。


 真っ白に塗り固められた。

 何も見えない扉から外へ出ると。



 そこには。

 幻想的な世界が広がっていたのです。



 雲のスモークが、絶え間なく流れるお花畑。

 そこに彩度は無く、明暗だけで描かれた妖精の国。


 人間が迷い込んではいけない空間に足を踏み入れてしまったせいで。

 穂咲は呼吸すら忘れて。

 口をぽかんと開けたまま立ち尽くしてしまいました。



 俺は、そんな穂咲の手を取って。

 踏み分け道からはみ出さぬよう。

 慎重に進んで。


 そして広場の中ほどまで入ったあたりで。

 藍子さんのお母様から受け取った地図を開きます。



 ……標高線が、長い長い楕円で描かれて。

 面白いように平地と平地を隔てる山。


 左側の平地には、おばさんたちがいる湖があって。

 そこから吹き抜ける風が、雲を運んでここにぶつけるのです。


 だから山で霧消した雲が、反対側にはどこにも無くて。

 盆地になっている麓の街並みが、薄い霞の向こうにおぼろげに見えるのです。


 そう言えば雲海が出来ると聞いたのですが。

 たぶん、朝になったらこの盆地に雲が溜まるのでしょう。



 ……さっきから。

 瞬きもせずに妖精の国を見つめたままの穂咲と一緒に。

 俺も、この幻想的な景色を楽しみたいところですが。


 そうもいきません。


 お尻から地面に落ちて。

 アタックザックのベルトを外して。

 さて、手際よく準備しなきゃ。


「もう、結構いい時間になっちゃいましたね」


 すぐにでも真っ暗になりそう。

 ほんの数回ですが、山の上で寝泊まりしたことがあるので。

 加減が分かるのです。


 まずはランタンを出しましょう。

 真っ暗になったら何もできないので。


 次はテント。

 そしてミニテーブル。


 白と黒しか色を持たない妖精たちが。

 真っ赤なアタックザックに群がる姿を想像しながらも。

 俺は必要な手順を考えつつ、アタックザックのファスナーを開いて。


 ……そして、せっかくの非現実感から叩き出されるほどの目に遭いました。


「おいこら。登山食と言えば、軽くて小さくて簡単に作れるものと相場が決まっているでしょうに」


 ザックの中央からででんと現れて俺をイラっとさせたもの。

 野菜とまな板が詰まった、でかい鍋。


 重いわけです。


「だって、まるきり覚えてないけど、パパと来たとこだから……」


 穂咲はちょっぴりしおらしく。

 両手を組んで、もじもじしておりますが。


 ……なるほど。

 君が飲み込んだ言葉はきっと。


 『パパにも食べさせてあげたい』


 そんなことを言われては。

 ぐうの音も出ません。


 優しい穂咲に文句を言うのはやめて。

 俺は改めて、ザックから必要なものを引っ張り出しました。



 ランタンの支柱を立てて。

 折り畳み椅子を組んで穂咲を座らせて。

 そして二人用テントを建てます。


 登山路の真ん中ですが。

 こんな時間に通る人もいないので構わないでしょう。


 そんな俺の後ろでは。

 穂咲が料理を始めているご様子。


 暢気な鼻歌のテンポ。

 包丁のリズム。


 ……ぜんぜん合ってない。


 器用なヤツなのです。

 

「これで、最後の家庭科の宿題が完了なの」

「え? 家庭科の宿題、夏を涼しく過ごすためのレポートですけど?」

「涼しく過ごすには、山の上で晩御飯食べると良いの」


 そう言いながら。

 切りかけの野菜を携帯で写していますが。


 言いたいことは何となく分かるのですけど。

 家庭科の宿題の意図とは違う気がします。


「道久君の家庭科の宿題は?」

「ゴーヤカーテンってやつです」


 窓際に植えたゴーヤの茂っていく様子を写真に撮って。

 外気温と室内の温度を記録して。

 毎日、数行の考察を書いただけのもの。


「実はもう、最終日の考察は書き終えちゃっているのです。だから、帰ったら写真を撮って、レポート用紙に貼ったら完了」

「じゃあ、ズルなの」

「まあそうなのですが」


 変な道久君なのと。

 変な穂咲が笑う。


 ……そんな他愛のない話を。

 いつものように。

 時の流れの外で続けていると。


 ふと、現実に返った時に。

 いつの間にやらテントは建っていて。

 いつの間にやらミニテーブルに食器が並んでいるのです。


 登下校の時にも感じるのですが。

 この切り取られた時間中。


 俺を動かしているのは。

 いったい誰なのでしょうか。


「……あれ?」


 ランタンから、まあるく広がったオレンジのボール。


 その端で、まあるく丸めた穂咲の背中が。

 アタックザックの中身をガサゴソとしておりますが。


 なにか忘れたのですか?


「ロールパンが無いの」

「いや? それならさっき見ましたよ?」


 そんな俺の声に。

 しょぼくれた顔で穂咲が振り返りますが。


 ……ねえ。

 ほんとにさあ。


「……君が右手に持ってる袋はなあに?」


 呆れたヤツなのです。

 ロールパンの袋を持ったまま。

 ずっと探してたわけ?


 でも、こいつは首をふるふるとさせて。


「おせんべじゃなくて、あたしが探してるのはロールパンなの」

「よく見なさいな。潰れてるだけです」

「…………ロールパンなの!!! ああ! この子たちに何があったの!?」

「ザックの中に突っ込んだのでは当然かと」


 俺の言葉に、肩を落としながら戻ってきたしょんぼりさんが。

 いつもよりスローペースながらも配膳を済ませたので。

 両手を合わせて、いただきます。


「…………ごめんなさいなの。せっかくふかふかに生まれたのに」


 穂咲はパンに話しかけてから。

 むしっとちぎって口に放り込むと。

 寂しそうな顔を俺に向けて、随分硬そうに噛みながら。


「……おいしいの」


 そんな穂咲を見つめながら飲んだバジルシチューは。

 ……おじさんとの思い出のシチューは。

 いつもより、少しだけ甘く感じたのでした。

 



 ~🌹~🌹~🌹~




「いいの?」

「いいの」

「ほんとにいいの?」

「いいの」

「……じゃあ、おやすみなさいなの」


 ファスナーの音がして。

 スキーウェア姿の穂咲が隠れると。


 急に強い風が吹いて。

 天頂の暗幕がすぱっと大きく切れて。



 宇宙が、丸見えになりました。



 ……テントに入る勇気などありません。

 俺は地べたに転がったまま、寝袋から手を出して。

 いつもより瞬きが近くに見える星に向けて伸ばします。


 スキーウェアとニット帽のおかげで。

 結構温かくて助かります。


 まーくんが、ザックに二人分突っ込んだ時。

 この暑いのに冗談はやめろと文句を言いましたけど。


 さすが大人。

 必要なものを、よく分かっているのです。



 ……俺は。

 あと何年したら。

 同じことが出来るようになるのでしょうか。


 不安な気持ちが胸に湧くと同時に。

 穂咲のとこの、おじさんの背中を思い出しました。


 つい先ほど。

 おじさんの話を。

 ちょっと寂しい話をしたせいでしょう。



 ……あのね、道久君。

 今日探しに来た、金色の中に赤いもの。

 きっと、ひまわり畑か小麦畑を見た時に。

 あたしがパパに、見たいってせがんだものだと思うの。


 でも、あたしは見た覚えが無くて。

 きっとあたしのわがまま、叶わなかったの。

 だから万が一。

 見つけることが出来たとしても。



 それを。

 パパと一緒に見ることはできないの。



 穂咲はそんなことを口にしながら。

 お守りくらいの小さな巾着を開いて。

 中に入っていたスイセンノウの種を指でいじっていたのですが。


 これは、藍子さんのお母様がくれたもので。

 かつて、おじさんが俺たちを連れてお宅へうかがった時。

 おじさんから分けて欲しいと頼まれたものなのだそうです。


 その時は、これより大きな袋で。

 数十粒の種をくれたらしいのですけど。


 お花屋の足しになるならと。

 以来、いつ来ても分けてあげられるよう。

 毎年袋に詰めて下さっていたのです。


 スイセンノウの種なんていくらでも手に入るでしょうに。

 おじさんは、そんなの貰ってどうする気だったのでしょうね。


 そんな俺の言葉に。

 穂咲は、神妙な顔のまま。

 ……大人びた表情のまま。

 ふふっと笑い声を漏らすと。



 きっとぼろもうけで、ウハウハだったの。



 ……あのね、君。

 その表情で言うのやめてくれません?


 怖い。



 なんでおじさんが種をせがんだのか。

 それは分かりませんけれど。


 今日貰った種は、俺の家に植えることになりまして。

 花が開いたら。

 一緒に見ようと約束したのです。


 穂咲と、それを眺めたら。

 今日の想い出がよみがえることでしょう。



 おじさんがくれた冒険は。

 こうして。

 俺と穂咲の物語に変わったのです。



 ……三人では無く。



 おじさんの知らない、二人だけの物語に。




 ――藍子さん。

 二十歳だと言っていた。


 お母さんか。

 穂咲も、あと数年でお母さんになるのかな。


 そうしたら、毎日自分の子供に思い出を作ってあげる。

 そんな生活に変わるのでしょうか。



 すぐそばで。

 おそらく、もう眠っているだろう穂咲。



 穂咲が。


 お母さん。



 …………いや。

 もう考えないようにしましょう。



 雑念を抱いた俺を。

 色とりどりの星たちが見ています。


 その中で、何人も。

 照れて真っ赤になっているものだから。


 同じ色に染まった顔を見られないように。

 そして穂咲のことを考えないように。

 頭から毛布をかぶると。



「トラーーーーップ!」



 慌てて毛布を跳ね飛ばしました。



 これ。

 穂咲が傘代わりに頭にかぶったせいで。

 あいつの香りが染みついてます。



 ……他人の毛布を雨傘にして。

 わがままで。


 それが、すぐ背後で寝息を立てて……。


 いやいやいや。

 考えない考えない考えない。


 俺は改めて毛布を手繰り寄せて。

 穂咲の頭がくっついていない側を顔にしてくるまると。



「こっちもトラーーーーップ!」



 そりゃそうだ。

 傘にしてたんだもん。


 俺は。

 びしょびしょの毛布で顔を拭ったせいで。

 すっかり目を覚ましてしまいました。




 そう、びしょびしょだったせい。

 いつまでも眠れないのは。

 そのせいなのです。



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