第96話「よくやった、バルバトス」

 私の右手、やや離れたところにアルエルが立っているのを視界の隅で捉えた瞬間、その目前に突如としてジンが現れる。アルエルを捕まえようと、左手を伸ばす。その光景がまるでスローモーションのようにゆっくりと感じられ、私は思わず立ち止まった。だが、すぐに状況を理解し、彼女の元へと駆け始める。


 だが、アルエルとの間には距離があった。無詠唱魔法を発動するが……間に合わない!! ジンの手がアルエルの衣服に触れようかとした瞬間、その間に割って入る者があった。


「ラスティンさん!」


 アルエルの絶叫を機に、景色は再び加速していく。剣士四人組の一人、ラスティン。彼がアルエルの目の前に立ちはだかり、ジンの左腕を掴んでいた。


「邪魔をするなっ、小僧!」


 ジンが逆の手で剣を振り上げる。それでもラスティンは掴んだ腕を離さない。アルエルがもう一度彼の名を叫ぶ。と同時に「させないよっ!」とヒューがジンに飛びかかる。しかしジンは手首を返し、剣の柄でヒューの横っ腹に一撃を入れた。


 そこに今度は「ラスティンに手を出すなっ!」と、ニコラが手に持ったハンマーで殴りかかる。ジンは身体を少しひねるとそれをかわし、肘鉄でニコラを撃退。その後ろにはガタガタ震えているコーウェルの姿。顔を真っ青にしながらも、倒れているニコラを飛び越えジンの右足に飛びつく。一瞬ジンの動きがにぶるが、すぐにそれを振りほどくと再び剣をラスティンの頭上に掲げた。


 ほんの数秒の出来事だった。一瞬私は、彼らが必死にアルエルを守ってくれていることに目を奪われてしまっていた。更にその後ろにはエル、ラエ、チーロンの姿もあった。だから彼らが何とかしてくれると……思ってしまった。だが、余程急いで飛行したせいかチーロンの顔には疲れがにじみ出ていた。ラエはエルを守るだけで精一杯といった感じだった。


 それに気づくのが遅かった。やはり、根本的に間違っていたのは私だったのかもしれない。この期に及んでもなお、ジンに手をかけること――命を奪うことを躊躇してしまっていたのかもしれない。大切な……自分よりも大切な仲間が危険に晒されているというのに!


 ジンの剣が振り下ろされる。それはラスティンの鎧に当たり、鈍い音を立てた。苦痛で彼の顔が歪み、掴んでいた腕がゆるむ。ジンは更に剣を振るう。流石にたまらず腕を離したラスティンは、今度はジンの胴体にまとわりつく。


 先程より距離が近くなったことで、ジンの攻撃は当たりにくくなった。「離せ、小僧っ!」と拳で殴りつけてくるジンに対し、ラスティンが吠えた。


「アルエルさんは……俺が守るっ!!」


 彼の声でようやく我に返る。呪文を詠唱し駆けつけながら、自分の……一瞬怯んでしまった自分の行動を呪う。何をしているんだ。仲間が襲われているんだぞ。何が魔王だ。何が彼らを守るだ。何もできてやいないじゃないか。


 だが彼女は違っていた。再び剣を振り下ろしたジンの背後に、フッとキョーコの姿が現れる。身体をひねり、右足で首を狩りにいく。それにジンが気づいていたのかどうかは分からない。だが恐らく私たちとの戦いで魔力を消耗していたこと、またラスティンへの対応が、彼の感覚を鈍らせていたのかもしれない。


 キョーコの蹴りがジンの首を捕らえた。一瞬ミシリと鈍い音がして、ジンの身体が吹っ飛ぶ。その反動でラスティンが後方へ飛ばされ、ヒューの腹の上でバウンドした後、アルエルが受け止める。


 ジンは飛ばされ近くの地面に転がっていた。必死で起き上がろうとしているが、頭を強く打った影響からかそれすらままならない。既に勝敗は決しているかのように見えた。だがキョーコは動きを止めない。すぐに体勢を入れ替えると、追撃の姿勢に移る。右足を地面に食い込ませながら、大きくジャンプ。


 鞭のように足をしならせ、再びジンの首元へ蹴りを放つ。が、それは寸前で阻止された。突然ジンが片手を上げると、右手の肘でガード。すかさず左手でキョーコの足を掴み、そのまま地面へと叩きつける。


 むくりと起き上がったジンは、足を掴んだままキョーコの上に馬乗りになる。片手で剣を掲げて恐ろしいスピードで振り下ろした。キョーコは身体をひねりそれをかわすと、その反動で左拳をジンの頬へ。彼の口から血しぶきが飛ぶ。


 ジンが攻撃しキョーコが反撃する。そのスピードは徐々に増してきて、段々私の目では追えないほどになってきている。キンと金属が折れる音がして、近くの地面に剣先が刺さる。どうやらジンの剣が折れたようだ。


 その光景を私はただただ見ているだけだった。正直に言うと怖かった。ホウライの、固有魔法を体得した同士の戦いが、これほど熾烈なものになるのだとは想像できなかった。かつて私が戦ったときとは比べものにならないほどの速度だ。


 一瞬「私ができることはない」とまで思い始めていた。だが、すぐにその思いを払拭する。「仲間を……大切な人を守らないと」という思いが心を満たす。呪文の詠唱を開始する。最早ためらいはいらない。必要なのは覚悟だけだ。


「キョーコ!」


 私の言葉は彼女に魔法での攻撃を知らせるものだった。その意味が彼女に届くかどうかは分からなかった。だけど何故か必ず彼女なら理解してくれると信じていた。私の言葉の数秒後、キョーコの拳がジンの脇腹を捕らえる。ジンの顔が苦痛に歪み、一瞬動きが鈍った。


 キョーコは更に追撃のフックを入れる。ジンの身体が軽く浮き上がる。その瞬間、彼女は足に力を込め、馬乗りになったジンの下から脱出した。


 魔法の詠唱は完了した。大きく右手を上げる。ジンと目が合う。私はそれを逸らさず「終わりだ、ジン」と小さく言う。


 フルパワーの『無敵の大砲バトルタンク』。周囲の空気が低音を上げながら一点に集まっていく。耳の奥でキーンという音が鳴っている。


 私はそれを開放した。


 耳をつんざくほどの音が鳴り響いた。辺りが目が眩むほどの閃光に包まれる。圧縮した空気が開放される音。何かがぶつかるような衝撃音。木々の折れる音。色々な音が入り混じりながら鳴り響く。


 続けて地面を揺らすほどの衝撃が走り、辺りが土煙に包まれる。ようやく轟音が止み辺りが静けさを取り戻し、私はじっと目を凝らす。丘の端の一部、立ち並んでいた木々がなぎ倒されていた。


 その奥、立ち込めていた煙で見えなかった箇所がようやくはっきりと視認できるようになってきた。地面が剥ぎ取られ草すら残っていない。まるで一本の道ができたかのように、それはずっと森の奥まで続いている。


 ゆっくりとそこを歩いていく。私の後ろにはキョーコ、その更に後ろにアルエルたちが恐る恐るついて来ていた。一本の巨木があった。それにもたれるように彼は座っていた。ゆっくりとジンに近づく。ボロボロになった鎧、身体のあちらこちらからの出血。ピクリとも動かない肢体。


 彼の腕を取る。手首に指を当てた。脈はなかった。そのまま口元を確認したが息もしていない。私は黙ったまま首を振った。背後からすすり泣く声が聞こえてきた。振り返るとキョーコが必死で涙を拭っていた。


 彼女はアルエルたちを守るためにやるべきことをやった。心に迷いがなかったのかと言えば、そんなことはなかったのだろう。だが、それでも彼女は行動した。私はそれに突き動かされただけだった。


 それでもジンにとどめを刺したのが私の魔法だったことは、唯一の救いだったかもしれない。もし彼女がその役目を担っていたとしたら、その悲しみはもっと深く辛いものになっていたかもしれない。だから私はこう言うのだ。


「逆賊グンター・ハイドフェルドは、この魔王バルバトスが討ち取った」


 知らない者がいたら滑稽に思われるかもしれない。いくら王国を裏切った者であっても、処刑のような手法を取ることは許されないのかもしれない。だがそれでもいいと思った。魔王とはそういうものであり、私が魔王である限りはそれを甘受することができるからだ。


 ともあれ、これで一件の騒動は決着をみた。今はとにかく生き残った者を集め、できる限り蘇生し、王国へ帰還せねばならない。ホウライの問題はどうするか? 王国の後継者はどうなるのか? 分からないことは多い。だが、まずはそれぞれの国に帰すべき人を帰すのが先決だ。


 それらの指示をしようと振り返ったときのことだった。何とも言えない不安を感じると共に、不気味なオーラのようなものを感じた。それは先程までいた丘の方から漂ってきていた。一歩足を踏み出すが、本能がそれを拒否しているかのように思われた。それでも行かなくてはいけないと感じた。


「バルバトスさま?」


 アルエルの問いかけに答えず丘を目指す。拘束されたハクの姿が見えた。不安の原因がハクでなかったことに一瞬ホッとする。だがすぐにそれが間違いであることに気づいた。


 彼の胸には、彼が振るっていた刀が突き刺さっていた。目は大きく見開かれ、口からは一筋の血が流れていた。その傍らに一人の人物がこちらに背を向け立っていた。ゆっくりと振り返る。


「よくやった、バルバトス。賊の討伐、誠に大儀であった」


 カールランド7世は私に向かってそう言った。

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