第95話「笑えないジョーク」
「……っ!!」
『
ジンが攻撃に踏み出した瞬間、脇から飛び出してきたキョーコの蹴りが彼の顔面を襲った。瞬間的に振り上げていた剣から片手を離し、それに対応……していたように見えたのだが、正直な所あまりに速すぎて合っているかどうかは分からない。キョーコが「チッ」と舌打ちをするのを見てようやくそれが正しかったことを理解できたくらいだ。
ジンはゆっくりと、しかし隙きのない動作でゆっくりと起き上がる。
「バルバトスさまーっ!!」
反対側の森からアルエルたちが手を振りながら駆け寄ってきた。エル、ラエ、チーロン、レイナに剣士四人組。皆、無事なようでよかったとホッと胸を撫で下ろす。
「どうでしたか? 時間ピッタリだったでしょ?」
私の背後へとやってくると、アルエルは自信満々の笑顔でローブの裾を引っ張る。あのとき私は、アルエルに「30分でキョーコを治療してこい」と指示した。別にそれほど正確な時間を求めたわけではなかったのだが、彼女はキチンと言いつけを守ってくれた。それに感謝しつつ「あぁ、よくやった」と頭をそっと撫でてやると、嬉しそうに「ダークエルフは時間には厳しいんです」と胸を張る。
本当は1700数えた辺りで「あ、これはダメかも」と思ったことは内緒にしておこう。部下を信じている姿勢を見せるのも、
「ハクを拘束しろ」と指示を出すと、ぶっとい鎖をジャラジャラと引きずりながら、剣士四人組がハクを簀巻きにする。どこにしまってあったの、それ……とツッコミを入れたくなるのをグッと我慢して、その様子を無表情で眺めているジンに問う。
「どうする、ジン? 大人しく降参した方が身のためだと思うが」
ところがジンはさもおかしそうに、肩を震わせながらクックックと笑い始めた。
「なるほど……キリツめ。やけに素直に固有魔法を教えたと思ったら、そういうことか……
「あたしはキリツにそんな話聞いたことなかったけど、どうやらそうみたいだね」
「――今一度問おう。アリサ皇女殿下……いや、キョーコよ。ホウライ再建のために私たちに力を貸すきはないか?」
「ハクにも言ったけど、あなたたちのやり方は認めない。だからあたしはあたしのやり方でホウライを救うっ!」
「……どうやって?」
「どうって……それは……」
キョーコは眉間にシワを寄せて黙り込む。私はその心中を察してやることしかできないことに心が傷んだ。彼女は板挟みになっている。それを解決する答えなど……はっきりいってない。いや、ないわけじゃない。だが「これをすれば解決する」という一つの明確な手段があるわけではないということだけは分かる。
長年に渡って大陸に蔓延している猜疑心や復讐心は、それほど簡単に解くことはできないだろう。理想はホウライとカールランドが対話への道を選択することだろう。それには時間もかかるし労力も必要だ。
だがジンはそれを望んでいない。今すぐにでも解決することを理想としている。そのために何年もかけて準備をしてきたのだろう。それを説得し考えを改めさせることは、私には難しいと感じていた。だから――。
呪文を唱える。
「ジン、いくらお前でもこれだけの者を相手にはできないだろう。最後の警告だ。降伏しろ」
「……降伏だと? それは笑えないジョークだな」
ジンは剣を構える。いくらなんでもハッタリだろう、と考えるが、一瞬心の中に嫌な予感が走る。しかしここまできては迷っているわけにはいかない。
『
私の知っている唯一の雷撃系魔法。威力は『
キョーコにそっと視線を向ける。彼女はちらりとこちらを見て、黙ったまま小さくうなずく。信じられないことだが、それだけで私には彼女と意思疎通ができていると感じていた。互いに手合わせし一緒に戦って、それぞれの考えや行動が理屈抜きで理解できるようになる。今までそんな相手はいなかった。
呪文をヒットさせれば、いくらジンであっても一瞬怯むはず。そこへキョーコが打撃を打ち込む。その間に私は再び魔法を唱える。そのコンボでいけるはず。
これまでないほどのオーラを放っているジン。再び嫌な予感が脳裏に浮かび、まるで死神に背筋をそっと撫でられるような感覚を覚えた。それを振り払うように――呪文を発動!
指先から発せられた雷撃は、目にも止まらぬ速さでジンを直撃……のはずが、魔法が達すか否かのところでジンの姿が一瞬で消える。既に飛び出していたキョーコの拳も虚しく空を切った。どこだっ!? すかさず左右に視線を走らせる。
右方に拘束されたハクの姿があった。ジンがハクを奪還しようとしたときのために、アルエルたちが武器を構えて立っている。無意識にそちらを見た瞬間、左の視界の隅に突如ジンが姿を現す。
反射的に無詠唱魔法を放つ。が、それも身体をひねって簡単にかわされた。驚く私にジンは不敵な笑みを返す。その背後からキョーコが取って返してきている姿。いいぞ、先程は失敗したが視界外からの攻撃だ。今度はかわせまい。
しかしキョーコの攻撃がジンを捕らえようとした瞬間、再びジンが消える。驚いたキョーコが、私に攻撃が当たらないよう腕を反らす。姿勢を崩しかけたが、右手を地面に叩きつけ大きく跳躍。ぎりぎりのところで衝突は回避できた。
それにしてもどういうことだ……?
最初の魔法や無詠唱魔法がかわされたのも不可解だが、それ以上にキョーコの攻撃があれほど完璧なタイミングでかわされるのは明らかにおかしい。あのときジンは確かに私に視線を向けていた。背中に目が付いてでもない限り、あのような行動を取るのは不可能だろう。
まるで殺気を感じて回避行動を取ったかのような……いや、待て。そういえばこのようなことは以前にもあった。野営しているカールランド軍を偵察し、湖畔でジンをつけていたとき。あのときも気配を消していたのにも関わらず、ジンは私の存在に気づいていた。
本当に殺気などというものが感じられるわけではないだろう。それにあのときはジンを殺す気などなかったのだから。共通していることと言えば……魔法。
もしかして。あのときジンが言っていた「目」というもの。あれは何らかの方法で魔法を検知するものだとしたら。それもホウライ固有の能力だというのか。
「それは違う」
私の心を読み取ったかのようにジンが首を振る。
「これは私固有の能力。周囲の魔力を感知し、方向、距離、威力を測定することができる。と言っても、確かにホウライの力を応用したものだが」
「……応用……だと?」
「ホウライの魔法は肉体に魔力を循環させ、それを強化する。それは主に筋力を上昇させることに使われるのだが、あるとき私はそれ以外のものも強化することができることに気づいた」
そうか、そういうことか……。
「魔力自体を感知することは確かに難しい。だが魔力が生じた際、僅かだが空気が揺れる。私は肉体だけでなく表皮を強化することで、それを感知することができる」
文字通り人間離れした能力だ。そんな悠長なことを言っている場合ではないのに、そんな感銘を受けていることに驚いた。同時にそれを会得するのに、どれほどの苦労が強いられたのかを思い腹立たしく感じた。
これほど……自己を高めるために犠牲を払うことを躊躇しない姿勢。それは純粋に敬意を払われて然るべきものだろう。なのに何故敵対しなければならないのか? どうして分かりあえないのか。
いや、迷うなバルバトス。そんな気持ちで勝てる相手ではない。それに勝算はある。
呪文を唱える。魔法を発動するが、やはりかわされる。キョーコがタイミングを合わせて正拳突きを入れる……が、同じように当たらない。やはりこの攻撃では、ジンを捕らえることはできない。
それでも私は魔法を放ち続ける。キョーコはそれに絶妙のタイミングで攻撃を合わせてくる。ひらりひらりとかわされて、一向に攻撃は当たらない。まるで見えない敵と戦っているかのような感覚すら覚え始めていた。
……だが、これでいい。先程、ジンは「ホウライ魔法の応用」だと言った。ならば、その能力は魔力を使っているというわけだ。彼がどれほど鍛錬を積んだとしても、人間には必ず魔力の限界がある。
それは先程からジンが一切手を出さなくなったことからも明らかだった。恐らく魔力切れを警戒しているに違いない。これはチキンレースだ。どちらの魔力が先に消耗するか。どちらが先に屈するのか。
しかし……残念だったな、ジン。私一人であったのなら、もしかするとその戦い方は有効だったかもしれぬ。だが今の私は一人ではない。
それを証明するかのように、徐々にキョーコの攻撃がジンの防具をかすめ始める。それを警戒したのか、私の魔法への対処も疎かになり始めていた。『
瞬時に魔法を『
それはジンも同じだったようだ。顔が険しくなり、先程までの余裕はないように感じられた。もう一度降伏を勧めるべきだろうか……。そう思ったときのことだった。
ジンの視線が一瞬逸れる。
その向かった先は、私でもなければキョーコでもなかった。
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