第94話「待たせたね」
額に吹き出した汗が、眉間を伝わり頬へと流れ落ちていく。
目の前には二人の男が剣を構えている。向かって右側にハク。その後方左にいるジンが、腰をグッとかがめて剣の柄を握り変える。来るっ!
フッとジンの姿が消えるのと同時に無詠唱魔法を放つ。恐ろしいほどの速度で振り払われる剣筋が、まるで空気の層を切り裂いているかのように、輝きながら迫ってくる。やや身体をひねりそれをかわす。反動で地面を二転、三転と転がる。体勢を立て直そうとすると顔を上げると、そこにはハクが剣を振りかぶって立っていた。
雄叫びと共にそれが振り下ろされる。再度、無詠唱魔法をハクに向かって放ち、その反動で後方へと回避する。耳を覆いたくなるほどの炸裂音が響く。ハクの斬撃で飛び散った地面が細かく砕かれ周囲に飛び散った。
息をつく間もなく、もう一度左方から殺気を感じる。 視界の隅で何かが動き、それを確認していては対応が間に合わないと直感で感じた私は、すぐさま『
その攻撃を何とかかわした私は、少し大きめに間合いを取る。続けて飛翔魔法を唱え空中へと舞い上がった。ひとまずは危機は脱したが、それにしても……。
ふたりの息は恐ろしいほどに一致していた。ジンが高速で攻撃をし、それをかわした私のところにハクがとどめを刺しにくる。恐らくジンは私がハクの元へ回避するように、追い込んでいるのだろう。そしてそれは攻撃を重ねることに精度を増していっていた。
彼らとの戦闘が始まって既に数十分。このままでは彼らの攻撃をかわすことができなくなるまで、そう長くはないように思われた。
「どうしたバルバトス。もう諦めたのか? それならそれで私にとっては都合がいいのだが」
剣を担いだジンが私を見上げて言う。悔しいことに彼の言う通りだ。時間をかければかけるほど、私たちにとって状況は不利になっていく。
アルエルのおかげで魔力は完全以上に回復している。だが体力はいつまで持つか分からない。そしてそれ以上に気にかかること――丘の下で行われているであろう、ホウライ軍、連合軍、カールランド軍の三つ巴の戦い。雨で靄がかかっていてよく見えないが、戦場に鳴り響いていた怒号は、徐々に収まりつつあった。
王を失ったカールランド軍が不利な戦いを強いられるのは間違いない。しかし見たところ兵力にそれほどの違いはなさそうだったのも確か。恐らく全軍壊滅状態になる……と想像できる。それはジンたちにとって、最も都合のよい結末だ。
彼らは目撃者を残さず、自らだけで王の亡骸と共に帰国する。そこで「王が連合軍を裏切り、カールランド軍を壊滅させた」と、事実の一部を隠しておくことで、自らのしたことを正当化することができる。無論、それを疑う者も出てくるだろう。だが、カールランドは専制国家であるが故に、王以外にこれといった脅威は存在しない。
ましてやジンはカールランドでも「王都親衛隊隊長」として崇められている存在だ。カールランド7世には子はいなかったが、王族から適当な者を担ぎ出して傀儡にしてもいい。その後、自らが戴冠するという手段もあるだろう。
いずれにしても、ジンにとってカールランド7世のいない王国など、赤子の手をひねるようなものだ。それを達成するには「目撃者がいない」という状況が必須だ。3軍が壊滅してしまえば、残りは彼らの手でどうとでもなる。
だから私は一刻も早く、彼らを止めなければならない……のだが……。
眼下にいる二人の剣士を見る。彼らは絶妙の距離を保ったまま、私への警戒を続けている。あの距離では、時間を遅くする魔法『
そもそも彼らの強化された肉体であれば、これほど距離が離れていては魔法の発動からかわすことも可能かもしれない。また万が一、武闘大会のときにキョーコが見せたように、魔法の詠唱中に跳躍され襲いかかられると、私のほうが無防備になる。
私が助かる方法は無限にある。いっそこのまま飛翔し、戦線を離脱することも可能だ。しかし彼らを倒す手段がない。だが一刻も早く決着を付けないといけない……つまり既に詰んでいる。
残る手段は……。
夢で見た父の言葉を思い出す。頼むぞ……心の中で強く願う。
飛翔魔法を緩め地面に降り立った。1688、1689……1699、1700。アルエルが立ち去ってからもうすぐ30分が経つ。託した指示が正確に行われていれば……。大きく息を吸い、静かに吐き出す。体内に循環している大量の魔力を整えていく。
「今度こそ終わりにしよう」
ジンの言葉に小さく「あぁ」と相槌を打つ。そうだ、終わりにしなければ。ゆっくりと魔力を手のひらに集中させていく。それに呼応するかのように、二人は互いの距離を取る。
やはり彼らは私の魔法を警戒している。特に王都武闘会で使った『
もう一度、父の言葉を心のなかで復唱する。
これまでの私はひとりで戦ってきた。ダンジョンを、クルーたちを背負っているという覚悟を履き違えた形で抱えていた。それが間違っていることは分かっていた。何度も何度も気づき、直そうと努力した。今度こそ自分は変わったのだと、その度に思った。
だが結局何も変わっていなかった。相変わらず私は自分の力しか信じられなかった。どこか心の奥底で、他人を信じていない、自分より劣っている存在なのだと見下していたのかもしれない。そんな自分に嫌気が指していた。もう私は変われない、生涯このままこうやって生きていくのだと思っていた。
しかし。
こんな理不尽な戦いに何の文句も言わず付いてきてくれた仲間。私を信じて送り出してくれたみんな。危険を承知で単身飛び込んできたアルエル。そして……キョーコの存在。
全てが私を変えてくれた。彼らの行動が私を根本から変えてくれた。だから今度は私がそれを証明しなくてはならない。1799,1800!
『
その瞬間、ジンが右足を地面にめり込ませ、体勢を低くする。両手で構えた剣を脇に引き、視線は私を捉えて離さない。足が地面を蹴り出し、土が宙を舞う。ジンの姿がフッと消える。来るっ!!
一瞬魔法を発動するか迷う。ジンの斬撃は一瞬で私の首をはねるだろう。それでも私は私の信じるところを変えない。変えるべきではないと心に強く念じる。だから魔法はハクに向けたまま動かさない。
私は信じている!
再度心に強く刻むが……恐ろしさに思わず目を閉じてしまいそうになる……が、魔法を放つ。それは瞬時にハクを捉え、彼の動きを拘束する、と、同時に凄まじいほどの衝撃音が鳴り響いた。瞑りかけていた目をゆっくりと開く。土煙が辺りを埋め尽くしていて視界が悪くなった中、うっすらと誰かが立っているのが見えた。
雨が彼女の黒い髪の毛をしっとりと濡らし、まるで宝石のように輝いてた。あのとき――初めて会ったときのように、彼女は不敵な笑みを浮かべていた。
地面に降り立った私の方へ、きみはゆっくりと振り返りながら言う。
「待たせたね、りょーちゃん」
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