第93話「なぜあのとき」

「うぉぉぉぉ!!」


 ハクが剣を振りかぶり、まっすぐにそれを振り下ろす。魔法なしでそれをかわす。先程まで私がいた地面が大きな音を立て、礫となり周囲に飛び散った。同時に土煙が舞い上がる。


 それが収まると、剣が突き立てられた箇所を中心に、大きなクレーターができているのが確認できた。深さは膝ほど、直径は人が寝転んで二人分くらいの大きさ。


 なるほど……。ジンは肉体強化魔法をスピードの向上に使い、ハクはそのまま力の増強に当てているというわけか。キョーコやホウライ兵たちを見るに、恐らくハクの方が一般的なホウライの固有魔法の使い方で、ジンのようなのはイレギュラーなものなのだろう。


 だがこれでは。


「おぉぉぉぉ!!」


 再びハクが剣を振るう。ドン、と音がして地面が弾け飛ぶ。難なくそれをバックステップでかわす。


 はっきりいって、ジンの攻撃を受けたあとでは、この攻撃は止まっているように感じてしまう。それはハクの攻撃が極端に遅いというわけではない。キョーコがそうであったように、ハクの斬撃もそれなりに速い。


 しかし今の私には、それがスローモーションのようにはっきりと見える。アルエルに魔力を注いでもらったことで肉体まで強化され、まるで背中に羽が生えているかのように、私は余裕を持って彼の攻撃をかわしていた。


 よってこれでは勝負にすらならぬ。


 『大地の守護アースシールド』の呪文を唱える。かつて見たことがないほど、鮮明に魔法陣が浮かび上がった。それをハクが剣を振りかざしている地面の周囲へ発動する。突然の地面の隆起に、思わずハクが体勢を崩しそうになる。すかさず『怒れる火球ファイヤーボール』を数発打ち込む。


 二発ほど剣によって防がれたが、残りはハクの身体――手足に直撃した。ハクの顔が苦悶の表情を浮かべる。


 全く負ける気がしない。無論、ハクがキョーコとの戦闘で既に負傷していたのは大きいのだろう。それがなければ、もう少し苦戦したのかもしれない。しかし自信の根拠は、私の側にも存在していた。


 蓄積された魔力は、数発の魔法を放ったあとでも、ほとんど目減りしていない感触がある。これなら『時間の支配者タイムキーパー』からの『無敵の大砲バトルタンク』のコンボを使うまでもない……というよりも、それを使うのを躊躇している自分に気づく。


 無詠唱の爆裂魔法を使い、その反動でハクとの距離を一気に詰める。地面スレスレを飛翔しながら『怒れる火球ファイヤーボール』を詠唱。ハクが剣を構える。呪文の詠唱をキープしたまま、無詠唱魔法を放ち右へ飛ぶ。同時に魔法を発動。ハクの腹部へ魔法がヒットし、大きくのけぞる。


 そう……。私には彼らに致命的な攻撃を与えることができるのだろうか、という懸念。それが先程から頭の中で何度も繰り返されている。


 ホウライの人間には蘇生や治癒の魔法は効かない。


 先程までの私であれば、そのようなことにまで思考を巡らせることはできなかったに違いない。だが、完全に回復した……いや以前よりも増強されたかのように感じる魔力と肉体。それを得て、私の中で葛藤が生じ始めていた。


 それは私の甘さなのかもしれない。


 ジンたちのやろうとしていることは、決して看過できるものではない。王を殺した罪は、死をもって償わねばならないのかもしれない。しかしその裁定を下すのは私なのだろうか……私でなければならないのだろうか?


 ハクの攻撃をかわし魔法を打ち込む。「もう倒れてくれ」と祈りながら、何度も打ち込む。だがハクは体勢を崩しそうになるものの、すんでの所で踏みとどまる。通常の人間であれば、既に動けなくなるほどの攻撃を受けているはず。


 どうして倒れない……。お前は死んだらそれまでなんだぞ! 蘇生も治癒もできないんだぞ!!


 1532、1533……まだか。


 治癒という言葉で、先程アルエルに指示したことを思い出す。ボロボロになったキョーコを見て確かに私は絶望した。だがずっと気になっていたことがあった。


 ホウライの人間には蘇生や治癒の魔法は効かない。


 これまでのキョーコの戦いを振り返る。初めてダンジョンを訪れたときのこと。冒険者たちとの戦闘。剣士四人組を一方的にノックアウトしたのは圧巻だった。どれもこれも一方的な戦いで、危なげない――いや……ひとつだけ例外があった。


 王都での武闘大会。私と死闘を繰り広げたあの戦い。あのとき私は、キョーコを戦闘不能にした。戦闘後、アルエルはキョーコに……薬草を塗り込んでいたはず。


 薬草の元となる野草には、元々ある程度の治癒能力が備わっている。それを加工し、魔法により治癒能力を強化したものが、一般的に売られている薬草というものだ。つまり魔力によって肉体の回復を促している、ということ。


 ならばなぜあのときのキョーコは、薬草により回復したのだろうか? その問がこの戦争の前からずっと気になっていた。それに対して私はひとつの仮説を立てていた。それは「キョーコには回復魔法が使える」という、何とも都合のよい説だ。だが事実であることに違いはない。


 その答えはふたつの出来事から確信に変わりつつあった。ひとつは先程の違和感。あのとき、アルエルに背負われたキョーコはまだ気を失っていた。おかしいと思ったのは、だらんと垂れた腕や足。


 ハクに連れてこられたとき。キョーコは身体のあちらこちらを負傷していた。手足には無数の切り傷や打撲の跡。それを覆うように幾筋かの血が流れていたのも見えた。だがアルエルが抱えていたキョーコには、それらのほとんどが既に止まっているように見えた。


 更にハクが言った「古代種エンシェントタイプ」という言葉。キョーコの姿に衝撃を受け、さらりと聞き流していたが、あれは重要な言葉だったように思われる。ハクが言った言葉の文脈から考えると、古代種とはジンやハク、それに今も戦っているホウライ兵たちとは異なる何かであることが推測できる。


 古代種という響きから、固有魔法の初期のもの――つまり、ホウライが大陸を席巻したときのものだということだろうか? いや待て……。


 ある疑問が私の中で膨れ上がる。


 ホウライは大陸全土をほぼ手中に収めるまで勢力を拡大した。だが今日、ホウライ兵たちの戦いを見てみると、彼らは決して無敵ではなかった。多くの者が負傷し動けなくなり、そしてとどめを刺されて死亡していた。


 100年前にも同じことが起こっていたというのならば、どうしてホウライは連戦連勝を続けていけたのだろうか? 確かに戦いにおいて、ホウライ兵の力は絶大だ。だが当然、負傷する者も出てくるはず。治癒魔法が効かないのであれば、小さな負傷であっても戦闘を続けるのは困難になるのではないか?


 あくまでも推察でしかないが……。恐らく昔のホウライの固有魔法――キョーコの使っている魔法――は、自己回復能力すら強化する魔法なのではないか。だから武闘大会でのキョーコは、薬草ではなく自身の力により回復したのではないだろうか?


 あぁ……。


 キョーコが話してくれたことを思い出す。キョーコはキリツとの旅の中で、魔法を習得した。キリツは皇帝一族と重臣のみに受け継がれていた固有魔法を彼女に教えた。そしてそれをジンにも伝授したと言っていた。


 もしかするとキリツはそのとき、このことを予見していたのではないだろうか。そして密かに魔法に制約リミッターをかけたのではないだろうか? 「治癒能力を行えなくする」という制約を。


「バルバトス、貴様! 私を弄んでいるつもりかっ!!」


 ハクが表情を歪めながら剣を振るう。最早、それを意識しないでかわすことができるようになっている私は、無言で間合いを取る。


 万が一、ジンが野心を持っていたとしても、再び大陸へ侵攻することができないよう。最低限の力だけになるように。キリツは魔法の一部を封印した。


 もしそれが本当ならば、ますますハクたちへの攻撃を躊躇してしまうことになる。キリツの決断が、ますます私の決心を鈍らせることになるのは皮肉なものだ。


 しかしこのままダラダラと戦闘と長引かせるわけにはいかない。何故なら――。


 そう考えていたときのことだった。ハクの攻撃をかわした私の左方から、恐ろしいまでの殺気を感じた。瞬時に無詠唱魔法を放ち、更に後方へと下がる。目の数センチ先を、眩しいほどの閃光が横切った。


「ハク、お遊びは終わりだ」


 剣を振り切ったジンの瞳が、冷たく光っていた。

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