第92話「後悔するなよ」

 夢を見ていた。


 辺りは真っ暗で何も見えない……いや、遠くに誰かが立っている。あれは……父さん……?


 立ち上がろうとするが身体が重い。それでも何とか立ち上がり、よろけながらも父の元へ向かう。父は若干慌てた様子で、身振り手振りで何かを伝えようとしている。ん……「こっちへ来い」ということか?


 足を引きずりながら、必死で父の元へと急ぐ。後少し、というところでようやく父の言葉が聞こえてきた。


『リョータ! こっちへ来るんじゃないと言ってるだろうが!!』


 えっ……。足元を見る。いつの間にか底が見えないほどの深い谷ができていた。あと一歩でも進めば落ちるところだった……。父は呆れた様子で咳払いをする。


『リョータ、お前はまだこっちへ来てはいかん』

『でも父さん……僕はもう疲れたんだ』

『弱音を吐くな。お前にはやるべきことがあるだろう?』

『でももう身体はボロボロだし、魔力も尽きてしまったんだ。もう僕にできることなんて――』

『そんなことはない。どんな困難な状況でも、必ずできることはあるはずだ』

『でもそもそも国同士の争いなんて、僕には荷が重すぎるし……』

『――ばっかもーん! でもでもでもと、女々しいことばかり言うんじゃない!!』


 突然、父が怒鳴り声を上げて、私は思わず尻もちをつく。生前、見せたこともないような厳しい表情に、思わず震え上がりそうになる。


『リョータ、いいか』


 もう一度咳払いをすると、いつもの優しい父の顔に戻る。


『お前のしたいことは何だ?』


 私のしたいこと……? 私は……私が……私のしたいことは……。


 考えてみれば、いつも自分のことは後回しだった。自分のしたいことと誰かのためになることが一致しないと、何もできない。周りの意見に流されてばかり。父から受け継いだダンジョンを、ただ守ることだけを考えていたようにも思える。


 それを変えてくれようとしたのはキョーコの存在だった。しかしそれすらも自発的な行動とはいえないかもしれない。それに彼女との関係も同じだ。いつも彼女がしてくれることに対して、リアクションを取っていただけだ。


 だが今はもう違う。言いたいことも言った。やりたいこともやった。私は変わらなければと気づいて、実際に変わったのだ。


 私のしたいことは――。


『みんなを守りたい。大切な人たちが傷つくのは見たくない』


 私の言葉に満足気にうなずく父。


『けど……』


 成し遂げるだけの力はもうない。私は無計画に行動し、ジンに……彼らに負けたのだ。最早、私にできることなど何もない。


 打ちひしがれている私に、父は再び優しい顔を見せる。そしてゆっくりと手を挙げ、私の後方を指差す。


 真っ黒な空間に……何か亀裂のようなものが生じていた。そこから透明な液体がチロチロと湧き出ている。何だ……あれは……?


 それは徐々に勢いを増し、やがて足元へと流れ着く。指でそれに触れてみる。


『……お湯?』


 温かかった。お湯は少しずつ溜まっていき、既にくるぶしを覆うほどかさを増してきている。空間にできた亀裂も段々と大きくなっていき……ミシミシと音を立てている。一体何が起こっているのか分からず混乱していると、それは轟音を立て崩れ去った。大量のお湯が一気に放出して、私の周囲を覆っていく。


『おぉ……これはいい湯だ』


 などと、当初はのんきに思っていたのだが、お湯はすぐに膝に達し、腰を覆い、胸の高さまでになっていく。そこで少し慌ててきた。いや、これってまさか……溺れる?


 首に達した辺りでそれを確信し、私は湯の中でもがき始める。『父さん……父さんは大丈夫!?』と振り返ると、父はうっすらと消えそうになっていた。


『父さん! 父さん!』

『リョータ……いやバルバトスよ。お前はひとりではない。仲間を大切にするのならば、仲間を頼れ。それができたときお前は――』

『父さん! でも、これ溺れ――ごぼぼぼぼ』


 父の姿がすぅっと霧のように消えていく。同時にお湯が口元まで達し、私の言葉は途切れてしまう。ってか、どうなってるの!? 何このお湯は? なんでお湯で溺れそうになっているの!?





「死ぬっ、死んじゃう!!」


 そこで目が覚める。ぷはぁと大きく息を吸う。酸素が肺に満たされて、その勢いで私は飛び上がるように上半身を起こす。頭が何かにぶつかり、ごつっと鈍い音を上げた。


「いったぁい!」


 目を開けるとアルエルが私の腰にまたがっていた。額に両手を当てて「痛いです。痛いです」と涙目になっている。そこでようやく状況を理解する。どうやら気を失っていたようだ。目が覚めた反動で、アルエルに思いっ切り頭突きをかましたらしい。


「いや、悪いアルエル……大丈夫か?」


 私も結構痛かったんだけど、痛がっているアルエルを見ているとそんなことも言えない。アルエルは両手でおでこをこすりながら「大丈夫……です……ダークエルフは石頭なのです」と強がっていた。


 いや、ダークエルフにそんな特性はないだろ……。


「でもバルバトスさまが目覚められてよかった……」


 「心配をかけてすまなかった」とアルエルの頭に手を伸ばす。そこで身体の異変に気づく。既に魔力が枯渇し、指一本動かすことすら困難だった……はず。だがどういうわけか、体内の奥深くから何かが満ち溢れてくるような感覚がある。魔力が……戻っている……?


「私が魔力をお注ぎしたんですよ」


 アルエルが自慢げに言う。魔力を注ぐ……だと? 確かに魔導馬車や飛空艇などの魔導器に同じことをした。だが人体相手でもそれが可能だというのか。


「ニコラくんによると『たぶん大丈夫じゃないかなぁ』らしいんですよ」

「ちょっ、『たぶん』とか『らしい』とか、そういうのでいきなりやっちゃダメでしょ? こういうのはちゃんとテストしてから――」

「でも、上手くいったから結果オーライですよ」

「むぅ……」

「それに……今はそんなことを言ってる場合じゃないみたいですよ」


 その言葉で私は現実に引き戻された。そうだ、私は……。


「ジン!?」


 アルエルを抱えて立ち上がる。「ジンさんならそこに」アルエルが指差す。ジンとハクが剣を手に立っている姿が見えた。


「茶番に付き合わせるのも、いい加減にしてもらいたいものだ」


 何故かは分からないが、相当呆れているようだ……。何があったのか問い正したいところだが、そんな悠長なこともいっていられない。


 魔力は回復した。アルエルがいる限り無限の魔力を手に入れたといえるのかもしれない。しかし本気で戦うには足かせがある。それにアルエルをも危険に晒すのは……どうする? 考えろ、バルバトス!


 ある決断をする。


 アルエルの耳元に口を近づけ、今後の指示をささやく。


「えっ? で、でも、それじゃバルバトスさまが……」

「私は大丈夫だ。むしろその方が憂いなく戦えるしな」

「……分かりました」


 てっきり反対されごねるものだと思っていたアルエルが、あっさりと了承する。


「さぁ、行け! アルエル!!」


 私の言葉を合図にアルエルが走り出す。向かう先は先程『大地の守護アースシールド』で隆起させていた場所――キョーコの元だ。私にとって、この戦いで最も留意しなければならないのは彼女の存在だった。


 先程のジンとの戦いでも、彼女に危害が及ばないように回避の際も計算して動かなければならなかった。まずはキョーコの確保と安全な場所への退避。それさえできれば……。


 盛り上がった大地の窪みから、アルエルがキョーコを背負って出てくる。「ひぃ……ふぅ……」若干、息が上がっているが大丈夫か……?


「チッ……させるかっ!」


 それを察知したハクが剣を構える。『怒れる火球ファイヤーボール』の呪文を唱え放つ。文字通り火の玉を放つ魔法。名前の割に威力は大したことがない……が、詠唱が非常に短いという特徴を持つ。


 自分に向かってくる火球にハクの追撃が一瞬鈍る。剣を薙ぎ払い火球を撃ち落とす。すかさず『位相空間フライ・イン・ジ・エアー』で距離を詰め、ハクとアルエルの間に割って入った。


「行けっ、走れっ! アルエル!!」

「はひぃ!!」


 アルエルがヨタヨタとキョーコを背負ったまま、近くの森へと消えていく。その方向を見ると、遠くで煙が上がっているのが目に入ってきた。何だ……あちらでは戦闘は行われていないはずだが……?


「ジンさま、こいつは私にお任せ下さい。漆黒の森での借りを返さねばなりません」


 改めて剣を構えながらハクが言う。それにジンは「好きにしろ」と無表情で答える。


「いいのか? 二人で戦わなかったことを後で後悔するなよ」


 これはハッタリではない。

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