第91話「受け取って下さい!」

□ ◇ □ ◇



 ぽつりと降り出した雨が頬を叩く。


 私は膝をついたまま空を仰ぐ。雨粒がまるで天と私を繋いで、そこへ導く糸のように見える。それは次第に数を増し、私に早く来いと告げているようにも思えた。


「終わりだ、バルバトス」


 誰かが私を見下ろしている。もう何も考えられない。細身の剣が振り上げられる。雷が剣身に反射して光るのを目にして、私はそれを美しいとさえ思った。



□ ◇ □ ◇



 でも結局、魔法を使えるようにはなりませんでした。剣も槍も弓すらも、冒険者の皆さんのお相手をするほどには上達できませんでした。そんな私にバルバトスさまは優しく言って下さいました。


「気にするな、アルエル。お前はお前ができることだけやってくれれば、それだけで十分だ」


 お優しいお言葉です。でも同時にとても残酷な言葉でもあります。


 私はあの日――バルバトスさまに助けて頂いたあの日から、ずっと「どうしたら、バルバトスさまのお役に立てるんだろう?」と考えていました。ずっとそれは、思うだけでとても手の届かないことでした。私にはできないことなんだと諦めかけていました。


 でもバルバトスさまとホウライに行ったとき。初めて魔法を使うことができました。やっとバルバトスさまのお力になれた、と嬉しくなりました。ずっとその背中を見ていただけの私が、何とかバルバトスさまの隣に立てた気になれました。


 もっとバルバトスさまのお役に立ちたいと思いました。


「アルエルさん! 目標地点に到達しました、ハッチを開きます!!」


 ニコラくんの言葉に私はうなずきます。


 今こそ、そのときだと思うんです。



□ ◇ □ ◇


 アルエルさん……。


 飛空艇の開いたハッチから外を眺めている彼女の横顔に、俺は思わず見惚れてしまっていた。でもこれからアルエルさんがやろうとしていることを思うと、今度はゾッとしてくるような感触もあったりする。


「ラスティン!? ぼーっとしてないで操縦桿握ってて!」


 ニコラの声に我に返る。「あ、ごめん」と慌てて操縦席に座る。隣では顔を真っ赤にして「うーん、うーん」と、コーウェルが唸っている。アルエルさんの代わりに魔力を供給しているそうだ。でも僕らって、魔法が使えないから剣士になったんだよね。


 突然、飛空艇がガクッと傾く。慌てて操縦桿を持ち上げて、何とか機体を立て直そうと努力する。並んでいる計器に目をやると「魔力」と書かれたところが、限りなく0に近づいてきているのが分かった。


「ヤバいっ! もう魔力が!!」

「大丈夫、予備魔力に切り替わっただけだから。もう少しなら何とかなるから!」

「でもニコラ。もう少しって何分くらい……」

「……2,3分?」


 マジかよ。やっぱり計画を変更しよう。アルエルさんに戻ってもらって、ちゃんと着陸すれば……。でもアルエルさんの真剣な顔を思い出すと、そんなことを言うわけにはいかないと思った。だから俺は祈った。


 アルエルさん……どうかご無事で。



□ ◇ □ ◇



 想像以上です……思ってたよりもずっと高いです……。


 ハッチから外を覗くと地面がずっと下にあって、思わず足がすくんでしまいます。


 どうしよう……。


 途中で合流したエルちゃんたちに「バルバトスさまがピンチ」と聞いて、思わず「私が助けに行きます!」と手を挙げたものの、この高さはちょっと……。


「アルエルさん、もう予備魔力も持ちません! 行くなら、今行かないと!!」


 ニコラくんが隣で叫んでます。いや、でもこの高さ。本当に大丈夫なんですか?


 やっぱりちゃんと着陸して……と、振り返ろうと思ったときのことです。突然ポヨンとした感触。とっても柔らかくてちょっと生ぬるい。それはヒューくんのお腹でした。思いっ切り振り返ろうとしたので、そのお腹にむにょっとめり込んで――反動で、後ろへ飛ばされます。


「あっ」


 ヒューくんの驚いた顔が遠ざかっていきます。ふわっとした感覚がして、分かったことは……私が飛空艇から落下していることでした!


「アルエルさーーん、ご武運をぉぉぉ!!」


 手を振っているニコラくんの姿が、どんどん遠く離れていきます。


 ちょ、ちょっとー、まだ心の準備がぁぁぁぁ!!



□ ◇ □ ◇



 空を眺めていた。


 私の視界を妨げるかのように、雨はますます強くなっていた。


「ぁぁ………ぁ……」


 遠くで何かの音が聞こえる。幻聴だろうか?


「ぁ……ば……さまぁぁ……ぁぁ」


 どこかで聞いたことがある声だった。目を凝らしてみる。空にアルエルが浮かんでいるのが見えた。


 そうか、これがお迎えというものか……。


 こういうのは天使だとばかり思っていたが、身内のように見えることもあるんだな。


 私はそれに向かって両手を掲げる。さぁ、私を連れていってくれ。


 しかし天使アルエルは手足をバタつかせながら、段々……というかもの凄い勢いで、その姿が大きく……なって……? って、え、何これ。お迎えじゃないの? え、本物? 本当にアルエルが落ちてきてるの!?


「ばーるーばーとーすーさーまーぁーー!!」


 今度ははっきりとアルエルの絶叫が聞こえた。


「うーけーとーめーてーくーだーさーーいっ!!」


 は? 受け止める? 何、どういうこと? 落ちてきてるアルエルを受け止めろってことなの? 我、すでに満身創痍なんだけど、それマジで言ってるの!?


 いや待て、待て待て!


 無理だろうが、不可能だろうが、やるときはやらなきゃ男じゃないだろう、ましてや私は魔王バルバトス。「できません、そんなの無理です」と仲間を……家族を見捨てることなどできるわけがにない!


 さぁ、来い、アルエル! 私が受け止めてやるから安心しろ!!


 両手を広げる。


 私の記憶はそこで途切れた。



□ ◇ □ ◇



「いてて……」


 思わぬ登場の仕方でしたが、やっぱりバルバトスさまはバルバトスさまでした。ちゃんと私を受け止めて下さいました。前に「家族だ」と言ってくれたことはウソじゃありませんでした……。


 って、バルバトスさまは? バルバトスさまはどこにっ!?


 グルグルっと左右を見廻します……あっ。お尻の下に、バルバトスさまが伸びていらっしゃいました! 慌てて首筋にそっと手を触れると、ちゃんと脈もあります。呼吸もされています。大丈夫、気を失っているだけでした。


 よかった……。


「随分面白い茶番を見せてくれるじゃないか」


 冷たい声が聞こえてきました。顔を上げると銀色の髪の毛をした男の人がふたり、私たちを見下ろしていました。


「ほぉ……お前は確か……武闘大会で見かけたぞ。バルバトスのところのダークエルフか」

「そうですよっ、アルエルといいます。あ、あなたは……はいっ、はいどろ……」

「ハイドフェルドだ。だが、もうその名はいい。ジンと呼べ」

「ジンさんですか。私も知ってますよ。バルバトスさまをこんなにボロボロにしたのは、あなたですね」

「半分はお前のせいだがな」

「……うっ」

「まぁいい。で、お前がここに来るということは、バルバトスの助太刀にやってきたということでいいのか?」

「そうです! 鮮血のダンジョンNo2! ダークエルフのアルエルが参上しました!」


 そう胸を張ると、ジンさんは面白そうに笑います。隣に立っている男の人も釣られて同じようにクックと笑いを堪えています。随分失礼なお二人なのです。


「たかだかダークエルフがひとり、加勢したところで何が変わるというのか」


 悔しいですが確かにその通りです。ぐうの音もでない事実です。でも……ジンさんは知りません。私の本当の力を。


 息を深く吸い込みます。バルバトスさまに教えてもらったことを思い出します。


『いいか、アルエル。魔力を最大限に引き出すには、心の中に明確なイメージを持つことが大切なんだ』


『どんなイメージでもいい。それが自然に思えるものであれば、どんなものでもいいんだ』


『そのイメージが鮮明であればあるほど、魔力はその力を発揮できる』


 私は魔法をやっと使えるようになりました。でもそれは、バルバトスさまの見様見真似でやっとできるようなものです。だから私がここでやるべきことは――。


 蛇口。お風呂の蛇口です。お湯がどんどん沸いてきます。後から後からどんどん勢いよく。お風呂はみるみる一杯になっていくほど、お湯は勢いよく沸いています……。


 私は両手をバルバトスさまに当てました。ふぅっと息を吐きながら、もりもり湧き出てくるそれを一気に……放出します!


「バルバトスさまっ、受け取って下さい!!」

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