第90話「最後は」

 キョーコをゆっくりと地面に寝かせる。ゆっくりと立ち上がる。風が強く吹き、ローブをはためかせる。西に傾きかけた月の代わりに、巨大な黒い雲が立ち込め始めていた。それは急速に発達し、こちらに迫りつつあるように見えた。


 一歩前に踏み出す。ジンが手を差し伸べている。私は呪文を唱えた。


「それが答えというわけか……」


 やや悲しげにジンが言い、剣の柄に手をかける。穏やかな表情が再び凍りつき、瞳には冷酷な光が宿っている。


「悪いな、ジン。私は王の器ではない。せいぜいダンジョンを治めるくらいで手一杯だ」

「自分の評価を正しく下すのも、大切な能力だぞ」

「正しく評価しているさ。それに……」


 足元に魔法陣が浮かび上がる。通常のものとは違い、弱々しく力強さを感じられない。それは本格的な魔力の枯渇を意味していた。しかし、ここで弱みを見せるわけにはいかない。ハッタリをかませ、バルバトス!


「お前はダンジョンを過小評価している!」


 『大地の守護アースシールド』を発動。地面が低い音をたてながら隆起していく。だがそれは私を護るためのものではない。


「ほぉ……?」


 ジンが感心したような口調で剣を構える。


「自らの命よりその女の方が大切……というわけか」


 地面がキョーコを取り囲むように円状に隆起していく。


「そうだ、魔王は――ダンジョンのメンバーは、どんなときでも仲間の命を守る。それに一切の例外などない。ホウライの無数の兵士たちを、お前を信じて力を貸したキリツを守れなかったお前などと一緒にするな!」

「貴様っ……!」


 傍らで大人しくしていたハクが剣を抜く。が、それをジンが手で制す。「お前は手を出すな」私を見据えたまま低い声で言う。氷のように冷たくなった表情に、一瞬炎が宿ったかのように見えた。しかしすぐに冷静さを取り戻す。


「心配するな、バルバトス。アリサ皇女殿下には手を出さないさ」

「……まだ利用価値があるから、ということか?」

「それもあるが……私とて同胞の命を軽んじているわけではない」


 ジンは体勢を低くし剣を構え直す。


「お前にはチャンスをやった。だがもう死ね」


 と同時にジンの姿が消える。無詠唱魔法を放ち、その反動を使って右に飛ぶ。視界の隅で目が眩むほどの光が半月状に浮かび上がると同時に、剣を振り切ったジンの姿も現れる。やはりそうか……。


 体制を立て直しながら、私はジンの戦い方にひとつの仮説をたてた。彼の剣術は「一撃必殺」。連続して剣を振るうのではなく、力を溜め一撃に全てをこめる。武闘大会のときに見たときもそうだったし、先程出会い頭に攻撃されたときも同じだった。


 ならばまだ手はある……。



□ ◇ □ ◇



 故郷を追放された私が初めてバルバトスさまに会った日のことを、今でも思い出すことがあります。目が覚めてぼーっと外の景色を眺めていました 。記憶は混乱してましたが、少しずつ色々なことを思い出してきてました。


「お前は生きていてはならぬ。お前の力はいずれ一族に……いや世界に災いをなす」


 いつも優しかった長が怖い顔で私に言いました。


 エルちゃんとチーちゃんは私を逃してくれました。でも途中で捕まって……そしたら、身体の中がぐわーっと熱くなって……気づくとベッドに横たわっていたんです。


 なんでこんなところで寝てるんだろう? エルちゃんは? チーちゃんはどこ? 長は私を許してくれたのでしょうか?


 窓にかかっているカーテンがゆらゆら揺れているのを眺めながらそんなことを考えていると、部屋の扉がガチャリと開きました。おずおずとひとりの男の子が入ってきます。私よりちょっとだけ……いや結構年上かな? その顔はちょっと悲しそうでした。


 でも、どうしてだか分からないんですけど、私は彼が助けてくれたんだと直感的に分かりました。ダークエルフの勘ってやつでしょうか。だから私の口から自然と言葉がでてきたのも、うなずけるというものです。


「助けてくれて、ありがとうございます」


 すると彼は驚いた顔をしていました。すぐに泣きそうな顔になったり、キュッと口元を結んでみたり、また泣きそうな顔になったり。忙しい人だなぁと呆れていると、突然ツカツカと私の元へと歩いてきて、ガシッと肩を掴みます。


「もう何も心配しなくていい。ぼくが……ぼくたちは今日から家族なんだから」


 彼――バルバトスさまは私の肩を揺さぶりながらそう力説しています。ちょ、ちょっと? そんなに揺さぶらないでくださいいいいー、目が、目が回ってしまいますぅぅぅぅ……。


「あぁ、すまない」


 それから10年間。バルバトスさまはお言葉通りに、私を家族として扱って下さいました。先代がお亡くなりになって、バルバトスさまが新しいバルバトスさまに……って、なんか変ですよね。つまり、リョータさんが新しい魔王さまになってもそれは変わりませんでした。


 バルバトスさまは私に色々なことを教えて下さいました。剣術、槍術、弓術。でもどれもなかなか上手くなることができませんでした。弓だけはちょっとだけ得意かな、と思ったんですけど、お友達のボンくんは「ウン……ソウダネ」と、かわいそうなものを見るような目で私を見ていました。


 違うんです。ダークエルフの本領を発揮できるのは、こういうのじゃないんです! ええっと……そう、魔法! ダークエルフといえば魔法です。バルバトスさま、魔法を教えて下さい!!


 でもそれを聞いたバルバトスさまは、ちょっとだけ悲しそうな顔になってしまいました。



□ ◇ □ ◇



 ジンの姿が消える。無詠唱魔法を放ちそれをかわす。体勢を立て直す。ジンが再び剣を構える。消える、放つ。消える、放つ……。


 もう何度それを繰り返したことだろうか。肩で息をしている私に対し、ジンは相変わらず涼しい顔をしている。何度でも何度でも……私を仕留めるまでは、自らのスタイルを決して崩さない。そんな決意、もしくは確固たる自信のようなものを感じていた。


「逃げてばかりだと――」


 フッとジンが消えるのと同時に魔法を放つ。足がおぼつかなくなり、思わず地面を転がる。慌てて立ち上がると、胸元のローブがはらりとめくれた。徐々にかわせなくなってきているのが、改めて実感できる。いつもなら「由緒正しい魔王のローブをー!」とか言うべきところかもしれぬが、最早そんな余裕はない。


「いずれ私の剣の錆となるぞ」


 ジンはやや嬉しそうにそう言った。どこかこの戦いを楽しんでいるのかもしれないと、直感的に感じる。その気持は理解できる。私とて魔王。誰かと手合わせによって、自らの力を確認する喜びは、心のどこかに持っている。


 だがしかし。確実に魔力は底をつきかけている。無詠唱魔法を後どれくらい放てるか……2発、いや彼の攻撃をかわせるほどのものであれば1発が限界かもしれない。再び走馬灯のように、皆の顔が脳裏をよぎる。


 アルエル、すまない。どうか飛空艇で無事に逃げてくれ。


 キョーコ、約束を果たせなくてごめん。ジンはお前の命までは取らないと言っていたが、それでも辛い日々が待っているかもしれない。


 その気持ちを抱え込みながら、精神を統一していく。ジンの言う通りだ。逃げてばかりではジリ貧になるばかり。最後に……できるかどうかは分からないが、最後に一撃を。


 『無敵の大砲バトルタンク』の呪文を唱える。目の前に巨大な魔法陣が現れる。いけるっ、これはいけるかもしれない。最後の一撃。全ての魔力を振り絞った魔法。私の全てをここに注ぎ込む。後のことはどうなってもいい。身体中の魔力回路が焼ききれてしまってもいい。


 ――何もかもを吹き飛ばしてしまえ!!


 …………。


 が、呪文を発動しようとした瞬間、身体の中を勢いよく巡っていた魔力が、まるで潮が引くかのごとく突然失われていく。それに呼応するように、魔法陣は音もなく消え去る。


 ……駄目だったのか……届かなかったのか……後一歩だったのに……。


 魔法を操る者にとって、魔力は肉体と密接な関係を持っている。多少の魔力でも残っていれば影響はほとんど出ないが、完全な枯渇は肉体の活動すらも困難にしてしまう。


 力が抜け、立っていることすらできなくなり、私は膝から崩れ落ちる。地面をこする音がする。ジンが近づいてくる。遠くで雷鳴が鳴り響いているのが聞こえた。


「最後はあっけないものだな」


 ジンの言葉は、もう私の耳には届いていなかった。



□ ◇ □ ◇



 それでもバルバトスさまは私に魔法を教えてくれました。今度こそ、と意気込んだのですが、なかなか上手く魔法を使うことができません。


 バルバトスさまは「お前なぁ……呪文の詠唱くらい覚えろよ」と呆れていましたが、違うんです、何だか変なんです。


 何故だか分からないんですけど、呪文を唱えようとすると……なんかこう……ぐわーっと身体の中に何かが溢れてくるような? まるで水道の蛇口を思いっきりひねったときのような? そんな感じになるんです。それで急に不安になって頭が混乱して……呪文を忘れちゃうんです。


 でもそれはバルバトスさまには言えません。だって心配をかけるのはイヤですから。「やっぱりアルエルはダメっ子だなぁ」と頭をかくバルバトスさまに抗議したい気持ちは山々なのですが、それでもグッと我慢します。ダークエルフは忍耐強いのです。

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