第89話「私と来い」
「それから後は、お前の想像している通りだ、バルバトス」
ジンは手にしている細身の剣を眺めている。キョーコのことが心配で当初は話半分に聞いていた私であったが、いつの間にか彼の話に引き込まれていることにようやく気づいた。
ジンの言う通り、その後のことは想像できる。
ホウライに残ったハクは、カイという小さな町で密かに軍備の増強に努めてきた。カールランドに渡ったジンは、王国内に潜入した後その才覚を発揮し、王都親衛隊隊長にまで登りつめた。
今日この日のために。
だが腑に落ちないことは残っている。なぜジンはわざわざカールランドに渡ったのか? 「ホウライ再興のため」という大義のためならば、ホウライに留まったとしても果たすことは可能だったのではないか? やはり彼らは再び大陸を戦火の中へ引きずり込もうとしているのではないのか?
私の問いかけにジンは表情を変える。やや穏やかになりかけていた顔が、再び氷のように冷たいものへと変化した。
「カールランドは……カールランドだけは徹底的に叩き潰しておかねばならぬ」
まるでそれが疑いようのない事実であるかのように、強く、そしてはっきりとした口調。
「お前は『ヴェルニアの大行進』を知っているか?」
無論知っている。腕の中で横たわるキョーコに視線を落とす。よかった、気を失っているようだ。ホッとしている私に、ジンが更に疑問を投げかける。
「あれの原因も知っているのか?」
「……ヴェルニア共和国の乱開発に反発した一部のモンスターが先導したもの――」
「そんなものを本気で信じているのか?」
彼の言葉に強烈に喉の乾きを覚えた。
確かに。
話ができすぎているとは思っていた。
恐らく100人が聞けば99人は納得してしまう理由だ。
逆にそれが疑わしいと思ったこともあった。
だが……。
「まさか……」
「そう、そのまさかだよ。あれはカールランドが仕組んだ悲劇だ。いや喜劇といった方がいいかもしれんな」
信じられない。信じられるわけがない。我が祖国が、そんな……。
「実際のところ、確かにヴェルニアは新しい町を建設しようと開発計画を立てていた。しかしそれはモンスターの生息地を綿密に調査し、影響が出ないように考慮されたものだった。だがその計画を知ったカールランドは、それを利用しようとした」
頭の中で、信じていた何かが崩れていくようなイメージが浮かび上がる。
「カールランドは工作員を使い、近隣のモンスターたちを焚きつけた。『ヴェルニアはあなたたちの住処を奪う気ですよ』と触れ回った。更に一部には武器を与え、共和国軍の手薄な箇所も教えたりもした」
剣の柄を強く握る。グローブと柄の擦れる音が、まるで彼の心の叫びのように聞こえた。
「それ以外にもいくらでもあるぞ。あの国は……あの国が行ってきた所業はそんなものじゃない。あの国は近隣諸国の力を削ぐことになんの躊躇もしない。いや近隣だけではない。我が国も含めて、自分たちの脅威になりえるものは全て排除してきた」
「私がそんなことを信じるとでも――」
「お前が信じる信じないはどうでもいい。これは明確な事実なのだ。あの国は残しておいてはならぬ。確実にこの世から滅してしまわねばならぬ!」
私の言葉を遮断するように、強くそしてはっきりとした口調で言い切る。
カールランドがそのようなことを行ってきたという証拠はどこにもない。ジンが言っているだけのことだ。だが矛盾しているようだが、私は彼の言葉を信じてしまっていた。理屈ではなく彼の言葉には虚偽があるように思えなかった。
もちろんそんな感情的な理由だけではない。あの日、王都で会ったカールランド7世の瞳に宿る冷たい光。あのときはただ単に「冷淡な性格」を現しているのだと思っていた。だが、今になってみればよく分かる。
あれは人を――自分以外の全ての人を見下している目だ。自分こそが世界の王であり、自分こそが全てを統治すべき人間である、と。いやもしかしたら、自分のことを人間であるとすら思っていないのかもしれない。
いや待て、それならば……。
「既にカールランド7世は死んだ。最早戦う理由などないだろう。お前たちはさっき過去のように大陸制圧をするつもりはないとも言っただろう。ならばもう剣を収めろ。これ以上の戦いは無益ではないか!?」
「いや、まだ……だ」
まるでスローモーションのように、ゆったりとした所作でジンは剣を掲げる。そして同じようなスピードでそれを振り下ろす。動作は決して速くないのだが、なぜか私は彼に斬られるような気持ちになってしまい、思わず身を固くする。
「カールランド王朝が滅びるまでは決して安心できぬ。私は彼の国に『王都親衛隊隊長』として帰還せねばならない」
「ま、まさか、お前は……」
「そうだ……私が新しい王に君臨するのだ。カールランドは滅び、我がホウライ帝国の傀儡国家となる。そうなればもう憂いはなくなる」
狂っている。彼のやろうとしていることがカールランド7世のやったであろうことと、何の違いがあるのだろうか? それすら分からぬほど、怒りに心を支配されてしまっているということだろうか?
しかしそれ以上に彼の言葉の意味は、私にとって重いものだ。ジンの剣先が私を指し示す。それはつまり――。
「私たちが生きていると色々都合が悪い……ということか」
「相変わらず物分りだけはいいじゃないか」
「それを黙って受け入れるとでも?」
「無論、思っていない」
「たかだが一介のダンジョンマスターなど敵ではないということか」
「それは自分を卑下しすぎだろう、バルバトス。先程も言ったが、私はお前を再評価しているぞ」
不敵に笑うジンの顔に、いつぞやの王の顔がだぶる。
「道はふたつある」
ジンは剣を構えたまま言う。
「ひとつ目はここで死ぬ」
彼が私のことをホウライ出身者だと知っているのかどうかは怪しい。だが、いずれにせよその「死」が蘇生を前提にしたものでないことは、その断固たる口調から理解できた。
ジンはふぅと息を吐くと、剣を鞘に収める。氷のような表情が緩やかに溶け、あの夜湖畔で見せたような穏やかな笑みを浮かべた。
「もうひとつは、私と共に来い、バルバトス……いや、リョータ」
「!?」
「おっと、そんなに怖い顔をするんじゃない。お前のことはキリツから聞いている。カールランドに関する情報は彼から得ていたからな。『面白いダンジョンがある』と、キリツは言っていた」
「……」
「私と共に帝国を正しい道へと導こうではないか。カールランドはお前に任せてもいい。一生を一介のダンジョンマスターで終わるのか? それとも私と共に王になるのか? バルバトス、お前次第だぞ」
「私が王になるだと? なかなか魅力的な提案だな」
「そうだろう。お前はダンジョンなどに収まる器ではない。さぁ、来い!」
ダンジョンなどに……か。
ダンジョンなど。
ダンジョンなど。
ダンジョン……。
ここで引き受けるフリをして油断したところでジンを討つ、という手もあった。いや一層彼の案に乗ってしまうというのもそれほど悪いことではないとすら思えてきていた。それほどジンには魅力があるように思えた。
確かに彼の見せた冷酷さは恐ろしい。だが、時折見せる彼の優しい顔。それは彼の本性を現してるように思えた。目的のためにとった手段が問題であって、それを達成してしまえば案外彼はいい君主になるのではないか? そんな思いが心を支配しつつあった。
……だが。
アルエル、ボン、ロック、ランドルフさん、薄月さん、サキドエル、ラスティン、コーウェル、ヒュー、ニコラ、マルタ、レイナ、チーロン、エル、ラエ……。
――キョーコ。
ダンジョンとそれに関わる人たちの顔が脳裏をかすめる。それを聞いた彼らがどう思うだろうか? いや、違う。どう思われるのか、じゃない。そんなことをした私は、どんな顔で彼らの前に立てばいいのか? 私は彼らに胸を張って再会することができるだろうか? 何より、私はそれを良しとするのだろうか。
答えは決まっている。
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