第88話「私はあの国に行く」
「ジンさま、会談はいかがでしたか?」
自室に戻った途端、黒髪の青年が部屋に押しかけ心配げな様子で問いかけてきた。
「あぁ、ハクか。そうだな、それほど悪いものではなかったのだが……まずは茶でも飲ませてくれないか?」
私の言葉にハッとした様子で「す、すぐにご用意します!」と、キッチンへと消えていく。
私はここ帝都アスカより遥か北に位置する、カイという小さな町で生まれ育った。10歳になったころ、近隣の家にひとりの男の子が生まれた。それがハクだった。カイは林業以外にこれといった産業もなく、とても貧しい町だった。働き手である大人たちは昼夜問わず身を粉にして働いていた。必然的にハクの面倒は私が見ることになり、私たちは多くの時間を共にすることになった。
16歳になると、両親に帝都に行きたいと申し出た。カイの町は嫌いではなかったが、一生この小さな田舎町で埋もれるように暮らしていくのは耐えられないと思ったからだ。
出立の日、ハクは泣きじゃくりながらも「がんばってきてね、ジン兄ちゃん!!」と送り出してくれた。町中の期待を背に帝都へと向かう私の胸は、期待で満ち溢れていた。
帝都アスカはカイとは違い、活気に包まれているのだろう。大勢の人が暮らし、最先端の技術が存在し、豊富な食べ物に立派な家。豊かな暮らしがそこにはあるに違いないと思っていた。
だが実際に目にしたアスカの惨状は、まだ幼かった私の目には衝撃的な事実として映った。道路は所々陥没し、建物は崩れかかっているものすらある。その多くが補修すらされず放置されていた。通りには活気がなく、行き交う人々の瞳からは光が失われているようにも見えた。
当然ろくな仕事にありつくことすらできず、当時たまたま募集されていたホウライ軍に転がり込むこととなる。それは組織的にも装備的にも、おおよそ軍とは呼べないようなものだったが、それでも私は国をよくしようと懸命に努力した。
やる気のない者、血筋だけのぼんくらなどがあふれかえる中で、私はあっという間に頭角を現していく。数年で小隊長に、翌年には中隊長。10年後にハクが私の跡を追って入隊してきた頃には、すでに軍幹部にまで昇進を果たしていた。
帝国の南に位置する王国からの侵攻を受けたのは、そんなときのことだった。
私は軍に「徹底抗戦すべし」と訴えた。だが軍の重鎮、帝国の文官たちは揃って首を横に振る。論理的に考えれば彼らの主張していることは正しい。固有魔法は失われ、装備もままならぬホウライ軍が抵抗したところで、一体何ができるのだろうか?
失意のうちに、帝国は王国の支配下へと成り下がることになる。
このとき私はひとつの誓いを胸にする。
「帝国を再び栄光あるものにする」
それに同意してくれたのはハクのみだった。軍の幹部は最早当てにならない。これは私が、私たちがやらなければならないことだ。
そのために必要なことは分かっていた。王国の横暴を許した原因は「力がなかった」ことに尽きる。力を持たない者は力を持っている者に屈することしかできない。力を持たなければならない。
あの魔法を復活させなければ。
そんなとき、軍のルートからある情報がもたらされる。
「ある人物と会って欲しい」
その男はキリツといった。軍の出身者で、今は皇帝陛下の護衛などを担当していた側近のひとりだった。私は帝都郊外で彼と接触した。それが昨日のことだった。
キリツが口にしたことは、私にとって衝撃的なことだった。王国の侵攻のどさくさで亡くなったとされていたアリサ皇女殿下が存命だったこと。彼女を連れ国外に脱出していたこと。そしていずれ帝国に帰還し、ホウライ再建の礎にすること。
それは私の目標と一致していた。だが手段がない。そう返すとキリツは少し考えたのち、あることを私に告げた。
「ホウライの魔法は失われてはいない。皇族と側近の一部にのみ伝承されている」
それを聞いた私の表情がどんなものだったかは分からない。しかし必死で平静を保つよう、努力したことだけは覚えている。かの魔法が、喉から手が出るほど欲している力が目の前にある。
私はそれとなくキリツにそれを教えるよう、話を誘導していった。彼は「かつてのようにホウライ軍がその力を得ることには反対だ」と釘を刺す。
無論、そんなものは受け入れられない。一部の人間だけが使える程度では話にならぬ。だがキリツは「ホウライ固有魔法の力を侮ってはならぬ」と重ねて言う。
これまでまっすぐに生きてきた私が、ここで初めて嘘をつくことになった。
キリツには「私と軍幹部の一部だけに留める」と確約した。それを聞いた彼の表情に安堵の色が見えた。一瞬、心に針を刺されたかのような感触を覚えた。だが私にはやらなくてはならないことがある。そのためにはどんな苦痛でも受け入れる覚悟がある。
「ジンさま、お待たせいたしました」
ハクがカップを置くコトリと置く音に、私は我にかえる。礼を言って茶をひとくち含む。相変わらず彼の淹れてくれる茶は、軍人にしておくには惜しいくらいに絶品だ。
目の前に座っている青年を見る。まだあどけなさが残る顔。彼を巻き込んでいいものだろうかと一瞬戸惑う。しかし、もし何も告げなければ彼はきっと私を責めるだろうし、同時に自分も責めるだろう。
だから私はハクにこれまでの経緯を全て伝える。当初驚いていたが、すぐに「私はジンさまについて参ります」と真剣な面持ちで言う。それがあまりにもおかしくて、思わず表情を崩してしまうと、彼はややむくれた顔で「私は真剣なのです」と抗議してきた。
こうして手に入れたホウライの固有魔法――肉体強化魔法――を、私は自分の旅団に導入していった。情報が外へ漏れぬよう、ホウライ中から精鋭を集めた部隊にのみ、魔法を授けていく。その成果を試す機会は、数年後にやってきた。
帝国を支配下においた王国の要求は、年々厳しさを増していた。既に帝都以外の地域では、働けど働けど生活に困窮する者が出始めていた。王国に対する不満は、いつ爆発してもおかしくない状況だった。
そんなとき王国との国境付近の小さな町で、ある小競り合いが起こる。税を徴収しようとした王国の官吏と、地元の有力者の間での揉めごとが発端となり、やがてそれは駐留していたホウライ軍も巻き込んで大きなものへと発展していった。
その収拾に私が任命される。
私は精鋭たちを率い問題の町へ向かうと、数日で王国軍を殲滅。その勢いをもって、王国内へと侵攻を開始する。帝国本土からは「即時中止」の命令が届いていたが、その全てを握り潰した。要は結果を出せばいいだけの話だからだ。
こうして作戦開始から1ヶ月を待たずして、私たちは王国首都を陥落することに成功する。しかし意気揚々と帝都に戻ってきた私を待っていたのは、歓声でも称賛の声などではなかった。ある者は命令違反を咎め、ある者は国を危険に晒したことを非難した。
それらに対して失望したのは確かだったが、それよりも憂慮すべきことがあることに気づく。それは声の中に「我々の力を疑う者」が現れはじめたからだ。あまりにも圧倒的な戦果を上げすぎたため「よもや固有魔法が使われたのではないか?」という疑問が呈されだしたのだ。
私やハクを含め、
まず帝都に駐留していた師団を「王国への関与を避ける」という名目で、地方へと移すことを提言した。無論、どこにでもというわけではない。「我が故郷の防備にあたりたい」と付け加えることを忘れなかった。
そしてそれを了承させるために「自らの退任」を申し出た。軍の幹部の中には私のことを「鼻持ちならぬ若造」という認識で見ている者も少なくなく、彼らにとってはこの申し出はまさに渡りに船だったらしい。あっさりと了承される。
帝都に配備された主力軍から、地方の一守備隊へと落ちた私の部隊の長には、ハクを強引にねじ込んでおいた。カイは彼の故郷でもあることが有利に働き、これも難なく承諾される。
帝都を離れる日。ハクが私の元を訪ねてきた。帝国軍幹部の座を失った私に対して、ハクは自らの力不足であったと涙を見せた。だが私は「そんなことはどうでもいい」と言った。それは強がりでもなければ彼への慰めでもなかった。
「これは将来への布石なのだ」
「……布石……ですか?」
「あぁ、一度しか言わんからよく聞け」
カイでの新しい任務に就いたら、じっくり時間をかけて軍備を増強していくこと。
仕事は完璧にこなし、帝都からの介入をされないようにすること。
自分たち以外に魔法のことを決して口外しないこと。
「お前のやるべきことは、来る日に向けカイで戦力を蓄えることだ」
ハクはうなずきながらも、今ひとつ納得していない様子だった。
「しかし……ジンさまはどうなさるのです?」
「私にはやることがある」
南の王国を攻略した以上、大陸の東に最早脅威となる国はほとんどない。大陸中央には遊牧民族の国家が多く、野心的な国家は皆無だ。残るは大陸西側の国々だ。彼らは未だに我々から色々なものを搾取し続けている。特にカールランド王国、あの国は「同盟親善費」という名目で、多くの物資を我々から吸い上げていた。
私たちが――ホウライ帝国が、真の独立を果たし再び誇れる国になるためのは……あの国をなんとかしなくてはならない。
「だから私はあの国に行く」
無論、ひとりで戦争をするわけではない。カールランドに行き、そこで王国内へと潜入する。中枢へと登りつめ、いつか時が来るのを待つ。
必ずやってくるチャンスの、そのときまで。
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