第87話「何もいうな!」

まるでりんごが木から落ちるかのごとく、あっけなく王の頭部は地面へと落ちる。残された胴体から血液が噴水のように吹き出し、頭部を追うかのようにゆっくりと馬上から崩れ落ちた。


 私はその光景に、思わず息をするのも忘れてしまう。身体は硬直し動くことがすらできない。周囲にいた連合軍の兵士たちもようやくその事態に気づいたらしく、それは波紋のように広がっていき、怒号が満ち溢れていた戦場が一瞬水を打ったように静まり返る。


 だがそれも長くは続かない。最初に動いたのはホウライ軍だった。それに対処するため、連合軍、カールランド軍も再び戦闘を再開する。静寂が嘘だったかのように、辺りに再び怒号が鳴り響く。


 私は我に返ると、戦闘地域を抜け丘を駆け上がっていく。王の身を案じてではない。例え首を落とされたとしても、優秀な司祭プリーストがいれば蘇生は可能だろう。それよりも問題なのは「王を討ち取ったのは誰なのか?」ということだ。


 様々な憶測が脳裏をよぎる……が、答えは分かりきっている。現在は連合軍もカールランドと戦っているが、本来の敵はホウライだ。となれば、隠れ潜んでいたホウライ兵がいたと考えるのが妥当だろう。


 緩やかに見えた丘の傾斜は、思っていた以上にきつい。くそっ、やっぱり運動不足か。もっと早く動け! 飛翔魔法の呪文を唱えようかと一瞬迷う。だが最早魔力はほとんど残っていない。飛翔魔法であれば数分程度、大型の攻撃魔法は使えるかどうかすら怪しい。


 確かめなければ。


 その思いだけで丘を登る。息が切れる。脳に酸素が回っていないのを実感し、少しクラクラしてくる。朦朧としてきた意識に、ふとある疑念が浮かび上がる。


 これまで戦ってきたホウライ兵は、そのほとんどがろくな武器を携行していかなった。錆びついたブロードソード。一部が欠けたツーハンデッドソード。武器すら持っていない者も少なくなかった。


 彼らの武器で王の首をはねることなどが可能なのだろうか?


 あのような武器は、そのほとんどが打撃を目的としたものだ。よほど研ぎ澄まされたものであれば斬撃も可能だろう。王を急襲した部隊にのみ、特別な武器が与えられていたのだろうか?


 その疑問に答えが出ないまま、私は丘の頂上へとたどり着いた。血の匂いが充満し、思わず吐き気を覚える。辺りには地に伏した王と護衛たちの亡骸。濃い霧に包まれており、襲撃者の姿は確認できない。


 なんとか息を整え、霧の奥へと足を進めようとしたときのことだった。ぼんやりとした視界の奥に、何かがキラリと光るのが見えた。霧を通してうっすらと光るそれは、見たこともないほどの細身の剣。その表面にはべっとりと赤い液体がまとわりついている。


「やはりお前か……」


 剣の持ち主の声。聞き覚えのある声。いや、まさか……。


 霧の中でゆらりとひとりの影が浮かんできた。ゆったりとした歩調で私の方へと向かってくる。ぼんやりとした影がはっきりとした輪郭を描き出す。


「ハイドフェルド……!!」


 グンター・ハイドフェルド。王都親衛隊隊長。あの夜見せた穏やかな表情ではなく、氷のような冷たい瞳に思わず寒気を覚える。ハイドフェルドは、手に持っていた布切れで剣についた血を丹念に拭う。剣を掲げると、刀身が薄い太陽光を反射しギラリと輝いた。


「名工の鍛え上げた業物だ。どうだ? 美しい剣だと思わないか?」

「ハイドフェルド、お前が王を殺したのか? 王と王都を護るはずの親衛隊であるお前がなぜっ!?」

「無論、その切れ味は無限ではない。だがその儚さこそがより美しさを強調しているともいえる」


 私の話を聞いていないかのように、ハイドフェルドは言葉を重ねる。


「……だが、首のひとつやふたつをはねたくらいでは、この剣の勢いを削ぐことなど叶わぬ。例えば――」


 視界からハイドフェルドの姿が消える。危険を察知し脊髄反射に無詠唱の爆裂魔法を放つ。反動で身体が後方へと吹き飛ぶ。景色がまるでスローモーションのようにゆっくりと動いていく中、つい先程まで私の頭部があった空間を一筋の閃光が横切った。


「ほぉ……。前にお前に失望したといったが、なかなかどうして……魔王というのは一筋縄ではいかないということか」


 地面を転がり岩にぶつかってようやく停止する。呼吸が一瞬止まるが、すぐに体勢を立て直す。本能が「動かなければ死ぬ」といっている気がした。


 しかし先程の動き……。王都での武闘大会で彼の動きは見た。だが、あのときよりも速い。とても人の動きとは思えな……。


「まさか……」

「ようやく気づいたか……が、その話はひとまず置いておくとしよう。よいタイミングで到着したようだ」


 背後で草を踏みしめる音が聞こえた。ゆっくりと振り返る。霧の奥に人影が見えた。ふわりと風が吹き、それに呼応するかのように長く艷やかな黒髪がゆらりと揺れる。


「キョーコ!!」


 はっきりとは確認できないが、私が彼女を見間違えるはずがない。キョーコは約束通りハクを倒したのだ。そして私の元へと駆けつけた。


 これで勝てる!


 ハイドフェルドへのある疑念によって、私の戦闘意欲は消えかけていた。それが再び激しく燃え出しているのを感じる。自分ひとりでは敵わない相手でも、仲間がいれば……彼女がいればなんとかなる気がしてくる。


 しかし彼女から発せられた言葉により、それが幻想であることを思い知らされた。


「りょ、りょーちゃん……ごめん……あたし……勝てなかっ……」


 ぼんやりとキョーコの姿が見えてきた。まとっていたローブはボロボロに破れ、剥き出しになった手足には多数の傷。額からは一筋の血が流れ、瞳からは光が失われているかのよう。


 彼女の首を何かが掴んでいる。それはゆっくりと姿を現した。ハク……だ。


「魔法を完全に開放できていないとはいえ……流石は古代種エンシェントタイプ。やや手こずらされました」


 そう言うとキョーコを放り投げるように地面に叩きつける。言葉通り、彼も無事では済まなかったらしく、かなりの手負いのようだ。それでもキョーコを連れてこられる程度には体力は温存できているらしい。


「キョーコっ!? 大丈夫かっ?」


 私は這いずるように彼女の元へ行く。地面に伏したキョーコは最早身体を動かすことすら困難な様子で、唇を震わせながら「ごめん、ごめん」と繰り返している。


「いい、何もいうな!」


 私はボロボロになった彼女を抱きしめる。いつも身体に触れるときは彼女の方からだったので気づかなかったが、想像していたよりもか細く華奢な肢体に少し驚く。


「ジンさま、諸々ありまして予定より遅れました」

「ハク、その名で呼ぶなと言っているだろう」

「はっ、申し訳ございません。しかしどうせ……」


 ジン……だと? 傍らに近づいてきたハクにハイドフェルドがうなずく。


「まぁ……それもそうか」


 そういうことか。頭の中で全てのピースが揃っていくのを感じた。


「バルバトス。冥土の土産に教えてやろう」


 ハイドフェルド、いやジンが語る言葉で私は全てを知ることとなった。

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