第85話「あたしも行くから」

 エル、ラエ、チーロン、サキドエル……キョーコ。


 私は飛翔魔法で空へと舞い上がった。元々『位相空間フライ・イン・ジ・エアー』の飛行速度はそれなりに速いのだが、このときはやけに遅く感じられた。


 急げ……もっとだ……もっと速く!!


 ハクが言っていた連合軍への総攻撃は夜明け前。既に東の空はうっすらと明るくなり始めている。いつ奇襲をかけられてもおかしくない……いや、すでにもう始まっているのかもしれない。自然と魔法にこめる魔力が上がるのを感じ、手綱を引くようにそれを制御する。彼らの元へたどり着いた後のことを考えると、魔力は無駄にはできない。自分の魔力量を確認しながら、最も効率のよい使用を意識する。




 ハクの話はキョーコにとっても寝耳に水だったようで、私と同様、いや私以上に驚いていたようだった。顔を真っ青にしながら「約束が違うっ! 彼らを危険にさらすのは、あたしが許さない!」とハクに抗議していた。だが「いくらアリサさまでも、我軍の指揮について口を出すことは許されません」と一蹴される。


 やはりそうなのだ。


 彼らのいう国家とやらには個人など含まれていない。皇女であるキョーコでさえも、自分の意思を聞いてもらえるどころか検討すらしてもらえない。一般国民がどのような扱いを受けるのかは明白だ。キョーコもそれに気づいたのか、表情を変え一歩二歩と後ずさる。


 やはり彼女を連れ帰らねばならない。だが……。


 置いてきた仲間と彼女の間で葛藤していることに気づいたのか、キョーコは「行って、りょーちゃん! あたしは大丈夫だから!!」と声を上げる。まっすぐに私を見ている彼女の顔は、まるで不安を吹き飛ばそうと強がっているように見えた。


 それを見た私は一瞬戸惑う。ここでハクを倒しキョーコを連れ帰ることと、エルたちの元へ駆けつけること。そのふたつを天秤にかける……が比べられない。比べられるわけがない。判断ができない、できるわけがない!


 そんな私の元へキョーコが駆け出す。不意をつかれたハクの驚いた顔が見えた。キョーコは真っ直ぐに私へと駆け寄ってくると、数歩手前で思いっきり飛び跳ね、両手で私の首に抱きついてきた。


「あたしもりょーちゃんのことが好き! あたしのことを心配してくれるりょーちゃんが大好き!! でも」

「……」

「仲間を大切にするりょーちゃんの方がもっと好き! だから行って」

「……」

「あたしのことなら大丈夫だから。こいつを倒してすぐに追いつくから。だから」

「……」

「りょーちゃん? あたしの話、聞いてる?」


 聞いてる。


 聞いてはいるのだが、如何せん首を締め上げられているので声が出ない。息もできない。それどころかさっきから首の骨が嫌な音を立てている。ちょ、折れる! 頚椎折れちゃう!!


「あ、あぁ……ごめん」


 ようやく事態の深刻さに気づいたのか、キョーコがそっと手を離す。新鮮な空気が肺を満たし、私は生きていることの素晴らしさを実感した……。


「ってか、殺す気かっ、お前は!」

「だって、しょうがないじゃない。悪気があったわけじゃないんだし」

「余計に悪いわ。うっかりで首をへし折られたりしたら死んでも死にきれん」

「あーもう、はいはい。ワタシガワルウゴザイマシタ。これでいい?」

「なんかこのやり取り久しぶりだな……って、そうじゃない。まったく、お前は魔王に対しての接し方というのが分かって――」


「そのくらいにしてもらおうか」


 振り返るとハクが呆れたような顔をしていた。まぁそりゃそうだよなぁ……。


「それはそうと、先程聞き捨てならないお言葉を拝聴しましたが」


 そう口にするハクの表情が明らかに変わっていた。先程までのキョーコに対する最低限の敬意は消え去り、私を見る目と同じになっている。つまり敵として認定したようだ。


 キョーコは私の胸に手を当てると、もう一度「行って」と短く言った。ローブ越しでも彼女の手の温かさを感じることができる。それだけで不思議と不安は消えていく。


「ホウライの民は救う。けどそれはあんたたちのやり方じゃない。あたしはあたしのやり方でやる」


 キョーコは私の元を離れハクの前に立つ。


「行って、りょーちゃん。みんなを助けてあげて。こいつを倒したらすぐにあたしも行くから」


 天秤が大きく傾く。彼女の言葉は強がっているわけでもなく、嘘をついているようにも聞こえなかった。事実を、これから起こるべきことを、ただ語っている。そう思えた。


 私は「約束だぞ」と短く言い、魔法の詠唱に入る。飛び立つ瞬間、キョーコの笑っている顔が見えた。再び天秤がゆらっと動いているかのような感触を覚えた。だが私はそれを全力で押し戻す。


 大丈夫だ。彼女を信じろ。


 私は空へと舞い上がった。




  連合軍の野営地が目視できてきたとき、私が目にしたのは何事もなく静まり返っている連合軍の姿と、その東に迫っているホウライ兵の姿だった。野営地の脇には歩哨が立っているが、まさかここで奇襲があるとは思っていないらしく、まだ彼らの存在に気づいていない。


 ホウライ兵は身を低くし、街道脇の雑草に身を隠しながら進んでいる。その数はこれまでの戦いとは比べようもない。ここまでの戦いで連合軍は兵力の一割ほどを失っていた。それにも劣らぬほどの数。しかも肉体強化された兵士が野営地のすぐそこまで迫っている。


 私はすぐさまエルたちのテントへと降り立つと、彼らを叩き起こす。もぞもぞとテントから這い出してきたエルが眠そうな目をこすっている。


「何でしゅかぁ……ばるばとすさまぁ……」


 寝ぼけ眼のエルたちにホウライ兵が迫っていることを説明する。


「なんてこった……で、どうするんだ、バルバトス?」


 サキドエルが戦斧バトルアクスを肩に担ぎながら問いかけてくる。


「最低限の装備だけ持って、すぐに後退しろ。私は指揮官に進言してくる」

「でも、それだとバルバトスさまが……」

「大丈夫だ。私は飛翔魔法があるからすぐに追いつける。時間がない、さぁ行け」


  同時に全員が大慌てでテントに飛び込む。彼らが荷物を手に出てきたときのことだった。野営地の端の方から、わっと大きな声が上がるのが聞こえた。チッ、思っていた以上に早い。「てっ、敵襲!」「慌てるな、隊列を組め!」「ホウライが来たぞっ、起きろ!!」怒号が波紋のようにあちらこちらから鳴り響いてくる。


 と同時に、空を舞う兵士たちの姿が目に飛び込んできた。ひとり、ふたり……徐々にその数は増え、そして近づいてくる。


「エルっ、チーロン!!」


 私の言葉にふたりがまるで打ち合わせていたかのように、同時にコクンとうなずいた。


「我が地を守護せし太古の赤龍よ――」


 煙のような赤い渦と目を覆うほどの閃光。巨大な赤龍が姿を現した。


「えっ、うんうん」


 赤龍チーロンの口元で何やらうなずいていたエルが振り返る。


「バルバトスさま、チーちゃんも戦うって」

「ダメだっ、チーロンは皆を背に乗せ、できるだけ遠くへ。そしてアルエルたちと合流しろ」


 確かにチーロンは強い。それは疑うべきもないことだった。だがそれでもまだ彼女は幼い。恐らく人間の年齢でいえばそれなりの歳なんだろうが、それでも赤龍としてはまだまだひよっこだ。それはつまり圧倒的な戦闘経験がないことを意味する。それはダンジョンで冒険者を相手にしている彼女を見ていて感じたことだ。


 それでも落ち着いた状態であれば人間など束になっても敵わぬほどの力は持っている。だから今回も連れてくることにした。だが今のように混乱している状況だと、それに確信が持てない。彼女に対する信頼は疑うべきもないが、それでも背中を預けられるほどの存在とは言い難い。


 エルをチーロンの背中に載せたラエが「お前も乗れ」と私の手を取る。確かに最早、指揮官に会う必要はないだろう。だが……。


「行ってくれ。私にはやるべきことが残っている」

「だがダンジョンマスター、それではお前が――」

「私を誰だと思っている。鮮血のダンジョンの魔王、バルバトスだぞ」

「でもお前は」


 なおも食い下がるラエ。私は「エルたちを頼んだぞ」と彼女の背中をぽんと押す。


「やらなきゃいけないんだ」


 チーロンが空へと舞い上がる。彼らが西の空へ飛び立つのを見届けると、私は自分の両頬を叩いて気合を入れた。キョーコのことは心配だ。だが目の前で起こりつつある一方的な虐殺を放っておくことはできない。

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