第84話「決まっているだろ!!」
「お願い、ハクの言うとおりにして。それが一番いい方法なの。ホウライの民はもちろん、ダンジョンのみんな……それにりょーちゃんにとっても、これが一番いい方法なんだ!」
みんなにとって一番いい方法……か。
その言葉からキョーコがこの数週間、いかに悩み苦しんだのかが理解できる。自分がホウライの皇女であることを思い出した彼女が、その身にのしかかる責任と天秤にかけたもの……それが私たちのことであったことは素直に嬉しい。
だが彼女はその両者の間で苦悩し決断を下さなければならなかった。その答えが――。
「ホウライと私たちを救う、ということがお前の望みなのか?」
その問いかけに戸惑いながらもキョーコは静かにうなずく。
「本当は……私の望みなんてどうでもいい。でも、どっちもほっとけないでしょ。だから少しだけ待って欲しい。できるだけ早くりょーちゃんの元に――」
「私はそれがお前の望みなのか、と聞いている!」
思わず少し荒げてしまった声に、キョーコの肩がビクッと震える。血の気が引いたかのような顔は、月明かりを受けてより一層白く輝いているように見えた。
「私は……私の望みは……」
絞り出すような声でそう言った後、唇を真一文字に閉じ泣きそうな顔になる。私は別に彼女を困らせたいわけではなかった。また彼女との約束を先送りされたことを怒っているわけでもない。そんなことはどうでもいい。
「お前が言わないのなら、私が言わせてもらおう」
「りょーちゃん……?」
「私の望みは、お前をここから連れ帰ることだ! ホウライなどどうでもいい。王国だって同じことだ。もっと言えばダンジョンすら関係ない」
「どうして……どうして、そんなことを……」
キョーコの瞳が大きく開く。月の明かりが、涙で湿ったまつ毛を照らしキラキラ輝いているように見え、私はそれに一瞬見惚れてしまう。だが、言わなくてはいけないことがある。大きく息を吸い、肺の中の空気を一気に吐き出すかのように自分が言いたかったこと――一番大切な言葉を放った。
「お前が好きだから! お前のことを好きだからに決まっているだろ!!」
真っ白だったキョーコの顔にぽっと朱が差したかのように色彩が戻る。目尻からはぽろぽろと涙がこぼれていたが、彼女はそれを拭おうともしない。あの日――展望台で見た涙とは少し違うものだとは思ったが、私はあのときと同様にそれを美しいと感じていた。それはきっとその涙が悲しいときに流れるものではないと確信したからだ。
彼女はホウライと私たち――いや私との間で板挟みになっていた。自分でもどうしていいのか分からなくなっていた。ホウライにとって、自分は将来を託されるべき存在であると彼女が気づいたとき、自分の意思よりも多くの人のことを優先させたのだろう。
それは間違いとは言い切れない。そうしなければならなかった気持ちもよく分かる。それでも私はその決断に納得していない。約束などどうでもいい。ホウライや王国の将来も関係ない。もっと大切なものがある。
キョーコは少しよろけながらも、一歩私の元へと踏み出す。ゆっくりと片手を私の方へと差し出そうとしていた。しかしその前に立ちはだかる者があった。
「バルバトス。その辺りにしてもらおう」
ハクは片手でキョーコを制しながら、その前に立つ。
「お前の言いたいことは分かった。だが逆にいえば私にとってはお前の望みこそどうでもいいことだ。考えてもみろ。こちらは国家の存亡の危機なのだぞ。一個人の望みなど比べるべきもないことだと分からないのか」
「そうだな、比べるまでもないことだ」
「だったらここは引け。先程も言ったがお前の意思は尊重してや――」
「個人の前に国家のことなどどうでもいいことだ」
「……なん……だと?」
ずっとすました顔をしていたハクの表情が歪む。
「貴様っ! 自分がホウライのことなどどうでもいいからといって、あまりふざけたことを――」
「ホウライだけじゃない。王国のことだってどうでもいい。さっきも言っただろう。ホウライも王国も関係ない」
「自分が何を言っているのか分かっているのか……?」
「もちろん分かっているとも」
「国家の前に一個人の想いだの意見など無意味だ!」
「ハク、それは大きな間違いだ。国家とは個人の集まりだ。個人がより幸せになるための仕組みが国家なんだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「だとすれば、個人の幸せを追求すればするほど国家を優先せねばならないのではないか」
「時としてそれはそうかもしれない」
「だったらお前の言っていることは――」
「だが、国家の存続のために個人が犠牲になるのは間違っている。それは本末転倒というやつだ。『全体の幸せのためには個人が犠牲になってもいい』と言えるのは、犠牲になる者だけだ。キョーコは自らの生涯を捧げようとしている。私はそれが本当に彼女の望みなのか、と聞いている」
そうだ。所詮、国など人の都合によって作られた人工物に過ぎないのだ。それを上手く使って個人の幸せを追求するための仕組みなんだ。だからそれを否定するわけじゃない。だがそれによって誰かの願望だとか希望が踏み潰されようとしているとき、その者は声を上げる権利がある。
「もういい。お前と話すことはこれ以上なさそうだ」
吐き捨てるような口調でハクが言う。
「お前がどう思おうと関係ない。我々は計画通り粛々と進めていくだけだ。せいぜい我々の邪魔をせぬことだ」
「いや、そうはいかない」
「なに……?」
「私のやるべきことはキョーコを連れて帰ること。それを邪魔する者を放っておくことはできない」
「ほぉ……この私とやろうというのか?」
「必要ならば」
「まだアリサさまがお前につくとは限らんぞ。場合によっては2対1になるわけだが?」
「構わない。私はキョーコをぶっ飛ばしてでも連れて帰るつもりだ」
「王都でアリサさまに苦戦し、漆黒の森で私を取り逃がしたお前が二人を相手に勝てるとでも思っているのか」
「あまり私を甘く見ないほうがいい。ダンジョンマスターと呼ばれる人間が、伊達にその名を背負っていないことをお前に教えてやろう」
――無論、ハッタリだ。
ハクはともか、くキョーコまでも相手にして勝てると思えるほど、私は楽観的な性格ではない。だからといって「はいそうですか」と引くわけにもいかない。『
考えを巡らせているとクックックという低い笑い声が聞こえてきた。声の主はハク。肩をゆっくりと上下させながら笑いを堪えているようだった。
「危うくお前の挑発に乗るところだったな。なかなか名演技だったぞ。私たちを倒すと見せかけて、何らかの手段で拘束、もしくは混乱の最中にアリサさまだけでも連れ去るつもりだろう?」
首筋に一筋の汗が流れる感触。このハクという男。漆黒の森で対峙したときの印象では戦闘能力はそれほどでもなさそうだが、頭だけはキレるようだ。こちらの思惑の常に一歩先を読まれている。だが、そうなると打てる手は少なくなる。
「悪いがお前の書いた台本通りには演じてやらん。アリサさま、ここは一旦引きましょう」
「で、でも……」
「ではバルバトスと行き、ホウライはお見捨てになられるということでしょうか?」
「それは……そうじゃないけど」
「では参りましょう」
コクンとうなずくキョーコ。だが、それを簡単に許すわけにはいかない。私は右手を差し出し魔法の詠唱を開始しようとした。ハクはそれを見て「もう少しで夜が明ける」と言う。
「お前に教えておいてやろう。ホウライは今日、連合軍に総攻撃をかける。それは連合軍がアスカにたどり着く前かも知れぬし、もしくは――」
ややわざとらしい、もったいぶるような口調。少しだけ気持ちがざわつく。前もそうだったが、こいつがこういう言い方をするときはろくなことがない。
「今、まさに闇に紛れて連合軍を包囲しているかもしれぬ、ということだ」
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