第82話「それは間違っている」

□ ◇ □



「それが私のところに来る3年前までの話……というわけか」


 私の問いかけに黙ったままキョーコ……ホウライ帝国皇女アリサはうなずく。いや、私にとって帝国などどうでもいい。彼女はキョーコ。私の忠実なる部下にして、幼き頃に共に約束をした……うんまぁ、忠実ってところはやや事実とは異なるけど。


 彼女の話からヴェルニアでのキリツという従者の死が、彼女を暴走へと導いたのだろうと推測できる。ホウライの魔法を使う者には蘇生魔法が効かない。それは恐らく魔法が肉体自体を変化させるからだろう。蘇生魔法は肉体に最適化されている。だから変化した肉体には蘇生魔法が効かない。理屈は合っている。


 となれば、それは頭――脳への影響もあると見るべきだろう。魔法が暴走し通常よりも強大な力を発揮するということは、それだけ身体にも負荷がかかるということだ。そしてそれは脳にも同じことが言える。その結果、一時的な記憶障害が起こる可能性があるのではないか……。


 あくまでも推論ではあるが、それがキョーコの記憶喪失の原因ではないかと私は思う。そしてそれが正しいのならば、ヴェルニアでの暴走が彼女の記憶を奪い、私の部屋でその事実に再び触れたことで、魔法の暴走と共に再びその記憶が蘇ったのではないか。


「バルバトス。アリサさまは帝国の新しい皇帝陛下になられるお方だ。そのお方がお前とは行かぬと申されておる」


 考えを巡らしていると、しばらく黙っていたハクが口を開く。


「いい加減諦めるがよい。今宵はアリサさまが特別にお前に会いたい、どうしても事情を説明したいと申されたのでここに来ただけだ。あまり思い上がらないことだ、ダンジョンマスター」

「思い上がる……だと」

「そうだ。アリサさまはホウライにとって唯一残された希望。お前はホウライの民からその希望を取り上げようと言うのか?」


 希望……それは決して悪いことではない。ダンジョンにとってダンジョンマスターがそうであるように、国にとっても象徴は必要だろう。問題はそれを求めている人と求められている人の思いだ。キョーコは「かつての約束を守る」ために、自身の行動を決めているのだろうか? ならば約束はふたつあることになる。


 キョーコはふたつの約束を交わしていた。ひとつはキリツとの約束。そしてもうひとつが私との約束。そのどちらを取るのか……という答えは既に出ている。彼女はホウライに残ると言った。


 いやだがしかし……。


「そのキリツとの約束をお前が大切に思っているのは分かる。だがそれなら私との約束はどうなる?」

「そんなの……比べられるわけがないじゃない! そりゃ……りょーちゃんとの約束も大切だよ……でも、ホウライにはあたしを必要としている人がいるんだ! あたしが新しい皇帝となって国民を導いていかなきゃならないんだ……それくらい分かるだろう、りょーちゃんなら……」


 そうだ。一国と一ダンジョン。比べるまでもないことだ。そんなことは言われなくても分かっている。だが言いたいことはそういうことじゃない。


「導くだと? キョーコ、それは間違っている。この世に導かれるべき民など存在しない」

「そんなことはない! 現にホウライの国民はあたしの帰還を喜んでくれてた! あたしがみんなを――」

「お前がいつかいなくなったときはどうするんだ? 次の皇帝が暴君だったらどうする?」

「そんなの分からない! 分からないけど……」


 やはり彼女は間違っている。確かにホウライはこの100年、多くの苦難を受け入れてきたのだろう。その解決に象徴としてのリーダーを求めるのは間違いとは言えない。しかしそれに頼り切るのは確実に間違っていると断言できる。今のホウライは全てをキョーコに丸投げし、彼女に多くの責任を負わせようとしている。


 もしキョーコがただ単に「キリツとの約束を守りたいから」と言ったのなら、私には何も言えなかっただろう。彼女の選択が彼女の意思によって決められたというのであれば、私はそれを尊重するしかなかった。だがそうではない。彼女は決してキリツとの約束を優先したわけではない。


 恐らくダンジョンでの暴走のあと、それを監視していたハクたちに保護されたのだろう。そしてホウライへと連れて行かれた。そこで国の現状を知り、彼女へと差し出された手を振り切れなかったのだろう。


 こんなにも苦境に立たされている自分たちを救って欲しい。再びホウライが輝ける国になれるよう導いて欲しい。失ったものをどうか取り返して欲しい……。


 その期待に答えなければならない、と彼女は思ったはずだ。だがそれは彼女の意思ではない。彼女がそうしたいと思っていたとしても、それは彼女の中から生まれでたものではない。そして同じことがホウライの民にも言える。


 自分たちの願いを誰かに押し付けて、責任を放棄するのが正しい道とは思えない。ホウライをかつてのように栄えた国にしたいのであれば、まず自分たちが動かなければならない。皇帝のようなたった一人の存在に、未来が左右されるような国が果たして健全だと言えるだろうか。


 私の考えを聞いた彼女は、それでも首を振る。「そうかもしれないけど……それでもやっぱりあたしは……」彼女を困らせるつもりはない。そんな私にとって彼女の言葉と共に頬を流れる涙を見るのは、ただただ辛いものでしかなかった。


 しばらく沈黙が続く。キョーコの背後に控えていたハクがゆっくりと歩き、私とキョーコの間に立つ。


「バルバトス。お前が自分とアリサさまの間に交わされた約束を大切だと言うのならば、私に妙案がある」

「……なに!?」

「此度の戦い。私たちはカールランド・ヴェルニア・ハーフィールド連合軍に必ず勝つ。そしてその後、帝国が再び大陸に侵攻することはない。私たちの望みは誰からも干渉されない独立した国を樹立することだからだ」

「それが本当にできると思っているのなら、お前はずいぶん楽観的な考え方だな」

「私は現実主義者だ、バルバトス。なぜお前にあの資料を手渡したか、分かってないのか?」


 あの資料――私がホウライに偵察に行く際に、この男から手渡された資料。それにはホウライの現状に関わることが書かれていた。そしてそれは私が実際に調べたこととほぼ一致していた。その理由はダンジョン協会の会長とも話したが、結局よく分からないままだ。


 うかつなことは言えないと答えない私に、ハクは口元を歪める。


「やはり感づいていなかったか。と言うよりも感づかれていては困るのだがな」

「どういう意味だ?」

「おっと、それを私が素直に言うとでも?」

「ハク!」


 背後からキョーコにたしなめられると、ハクはうやうやしく一礼し再び私に向き直る。


「アリサさまのご命令だ。教えてやろう。あれはな、確かに正確な情報を記したものだった。首都の人口、軍の配置、武器などの装備。全て事実を書いたものだった。ウソは書いていない。だが……」


 もったいつけるように言葉を切る。だがそこまで聞けば私にも理解できる。情報は正しかった。虚偽はなかった。ただ……書かれてないものがあっただけだ!


「ご明察。お前が調べた首都であるアスカは、すでに我々の本拠地ではない。アスカより北に位置する山岳部にカイという街がある。元々は林業などを生業としていた小さな街だ」


 確かにハクの資料にはそのことは書かれていなかった。


「我々は軍の主力をそこに移している。万が一にもお前に察知されないために、アスカの詳細な資料を手渡し『答え合わせ』に終始してもらったというわけだ」


 ようやく全てが理解できた。私にホウライの調査が命じられたことを知ったハクは、その目がアスカに留まるようあの資料を手渡したのだ。そして私はそれにまんまと乗せられて、アスカの調査を終え帰国した。ハクにとってはアスカなどどうでもよかったのだ。そのカイという街こそ、知られたくない情報だったのだから。


「それで……その街に立て籠もる、というわけか?」

「立て籠もる? そんな訳がないだろう。私たちは国に迫る脅威を振り払うためにいる。当然打って出るに決っているだろう」

「正面切って戦って、本気で連合軍に勝てると思っているのか?」

「私たちがカイに集めたのは、ただの兵士ではない」

「肉体強化の魔法を持った兵士たち……というわけだろ」

「そうだ。そしてそれは……お前たちが思っている以上の数だぞ」

「それではこれまでの戦いは……」

「あれは小手調べ、というわけでもないのだがな。お前も分かっているだろうが、念には念を入れてというやつだ。消耗し切った連合軍がアスカに迫る。彼らは士気は高いが身体は疲れている。そこに北からホウライの精鋭が襲いかかる……というシナリオだ」


 恐らくハクの言っていることに嘘はない。だがそれを今、私に話した理由は何だ? 確かに私が連合軍にそれを進言しても、受け入れてもらえるかどうかは微妙なところだ。しかしハクたちにとっては負けられない戦いのはず。そんなリスクを犯す理由は……。


「カールランドに帰って、りょーちゃん」


 しばらく黙っていたキョーコが口を開く。


 やはりそういうことか。

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