第81話「約束する。必ず守る!!」
国の統治が及ばない地を旅する以上、アリサは自分自身を守る力を持たなければいけないとキリツは感じていた。そこで数年前からアリサに体術を教えていた。彼女はまるで砂が水を吸うかの如く、みるみるそれを会得していった。今ではキリツでさえ、本気を出さないと後手に回ることすらあるようになっていた。
確かにこの子には素養がある。だがしかし……。
それを確信したのは、寂れた街道を歩いているときのことだった。街道脇の森から10人ほどのゴロツキたちが姿を現した。無論、キリツにはアリサを守れるだけの力はある。だが如何せん数が多すぎる……。
アリサに(逃げるぞ)と目配せしようと、隣に立つ彼女を見た。と同時にアリサの姿がキリツの視界から消える。直後に彼の顔に衝撃波となった風が押し寄せ、思わず目をつぶる。凄まじい衝撃音と、続けて唸るような断末魔の悲鳴。
目を開けると、握った拳を突き出しているアリサの姿と、その遥か前方に吹き飛んでしまったゴロツキの姿。それを取り囲むように残された男たちの顔には、間違いなく恐怖の感情が浮かび上がっていた。
ゴロツキたちは悲鳴を上げながら、散り散りに去っていった。
「どう?」と笑顔で振り返るアリサを見て、キリツの心は揺らいだ。皇女殿下に望んでいたのはこのようなことではないはずだ。彼女には帝国を明るく照らす灯りとしての存在になって欲しいと願っていたはずだ。だが問題はそんなことではない……。
たった今、キリツを驚かしたアリサの動きは、ただ単に体術が向上したということでは片付けられない。それは明らかに人の力を超えている。
かつて大陸を席巻した力。失われてしまった独自の固有魔法――肉体強化魔法。
いや、しかし……。
キリツの心の動揺は収まらない。公には失われているはずのその力は、皇族を中心に密かに受け継がれている。そしてキリツもその魔法を会得していた。だがそれを彼女に教えたことは今まで一度もない。それは彼が「アリサが固有魔法を会得している事実が判明すれば、今後彼女が戴冠する際の足かせになる」と恐れたことが理由だった。それにもちろん、キリツはアリサにそのようなことを望んでいたわけではない、という部分も大きい。
なのに何故……?
思わず、自信満々の表情で笑っているアリサの肩を掴む。
「な、なに? どうしたの、キリツ!? 痛いよ」
「あ、すまない。だが……だがそれよりも、どこでそんなものを……?」
「そんなもの?」
「さっきの魔法だ。あれは教えていないはずだ」
「魔法……? あぁ、あれは魔法だったのね」
「どこで知った?」
「知ったって言うか……なんかね、ぐわーっと力を込めたらぶわーって勝手に身体が熱くなって、すっごい力が出てくるようになったんだ」
「それはいつから?」
「つい最近……1ヶ月ほど前からかな?」
なんということだ……。
先程のアリサの力を見る限り、彼女の魔法はキリツと同様……いや、既にキリツを超えているように思えた。彼が肉体強化魔法を会得するのにかかった時間は約10年。それをたった1ヶ月で超えてしまったというのか……。
そのときのキリツには分からなかったが、それはアリサの血が関係していた。元々ホウライの魔法は皇族により最適化されたものになっていた。皇族でない人間でも使うことは可能であるが、皇帝により近い人間であればあるほど、その効果を最大限に引き出せる。
無論、アリサがここまで短期間で魔法の力を会得したのは、彼女が真面目に体術に取り組んだという努力の側面は無視できない。それが下支えとなり、より一層早い習得へと結びついたというわけだ。だがそれをキリツが知る由もない。
呆然とするキリツを心配げにアリサが見上げる。
「ねぇ、大丈夫? なんだか様子が変だよ」
それを見たキリツの心にある決意が芽生えた。この子はきっと大丈夫だ。力を持ったからと言って、それを乱用するようなことはない。むしろホウライ再興のために有意義に使ってくれるだろう。ならば芽生えてしまった力は抑え込むよりも、いっそ引き出す方に力を注いだ方が良いのではないか?
キリツはアリサを座らせて全てを話した。100年前から続くホウライの歴史。固有魔法のこと。祖国の現状。そして自分たちが今していること。祖国が「普通の国」として自主独立をするために、彼女の力が必要なこと……。
黙って聞いていたアリサは、彼の言葉が途切れた後もしばらくうつむいたまま顔を上げなかった。やがてゆっくりと顔を上げると、まっすぐにキリツの目を見た。
「分かったわ」
こうして再び彼らは旅を続けた。決意した通り、キリツはアリサにできる限りのことを教えた。固有魔法には「正しい使い方」がある。全身にあまねく魔力を循環させつつ、それを全く無駄にしない。必要なときに必要な分だけ必要な箇所に魔力を使う。そうすることで、魔法の効果は何倍にも増幅させることができる。
アリサは自らで魔法を会得したため、それができていなかった。だが、キリツの教えを真剣に聞く彼女は、彼が驚きを通り越して呆れるほどのスピードでそれを習得していった。
1年ほどでキリツが教えたことを全て理解した。2年も経つと無意識下でもそれを行うことができるようになった。3年が過ぎた頃には、もはやキリツが教えることは何もなくなった。その頃になると、アリサの力はもはや人のそれをはるかに凌駕したものになっていた。
かつて10人ほどのゴロツキを驚かせたことが可愛らしく思えるほどに、彼女は成長を遂げていた。それに伴ってキリツとアリサの関係が、守るものから守ってもらうものへと変化していく。幾度となく盗賊や冒険者たちに絡まれたり襲われたりしたが、キリツの出番は今ではほとんどなくなってきていた。
そうして更に5年の歳月が流れる。
アリサは18歳になっていた。長い平和な時代は終わりつつあり、特に大陸の西の国が軍備を増強しているという噂を耳にする。定期的に連絡を取っていたジンからは「ホウライにはハクという同胞を置き、例の計画を進めている。私は国を出て他の国に潜伏し、機を待っている」との連絡も入った。
それを聞いたキリツは、いよいよ祖国へ帰る決意を固め始めた。
その前に、と西の国々の様子を見ておくことにした。ジンがいる国に出向き接触を図ろうかと思ったが、危険が大きすぎるためそれは取りやめた。代わりに周囲の国を巡っていく。いよいよ旅の最後になり西側北方にある、とある国を訪れた。
西方随一の経済大国であるヴェルニア共和国の首都『ヴェルニアーデ』を訪れた二人は、数日後ある事件に巻き込まれる。
モンスターの大群が首都に迫っている。
そんな噂を耳にする。そしてそれを裏付けるかのように、街のあちらこちらでは兵士たちが忙しそうに動き回っていた。キリツはすぐさま国を出ようとアリサに言った。だが、彼女は首を振る。
「駄目よ、キリツ。彼らを見捨てることなんてできない」
「アリサ……ヴェルニアのことはヴェルニアに任せるべきだ」
「あなたも見たでしょ。あの貧弱な装備。軍と言ってもこれまで回ってきた他の国のものと比べて、話にならないほどだよ」
「それは……確かにそうかもしれませんが。だからと言って我々が何かできるとは――」
「……私には力がある」
「……」
「力がある者は力がない者を守る義務がある!」
キリツは何も言い返せなかった。これが血と言うものだろうか……。皇帝の血。国民を守ろうとする強い意志。頭は「関わるべきではない」と言っているが、心は「これを否定してはならない」と告げている。
キリツは「まずヴェルニアの兵士の様子を見て、彼らの手に負えないようであれば」という条件付きで、アリサに同意した。だが、戦況はアリサの予言した通りヴェルニア共和国にとって厳しいものになっていく。
モンスターの襲来から1週間が経とうとした頃、ヴェルニア共和国の軍は瓦解したと言っていい状況にまでになった。更に2週間が経つと、食料の供給まで滞るようになってきた。
「行こう」
アリサは立ち上がった。キリツは最早何も言わない。暗闇に紛れ城壁へ登ると、そこからモンスターたちの手薄な地点へと舞い降りた。
アリサの力は圧倒的だった。迫りくるモンスターたちを物ともせず、殴り、蹴り飛ばし、圧倒していった。モンスターの中にはレベル30を遥かに超えるものもいたが、それすらも彼女の相手にはなり得なかった。
……だが、数が違いすぎた。
いくら倒しても、その屍を超えモンスターは後から後から迫ってくる。やがてキリツとアリサの顔に疲労の色が見え始めた。このままではいけない。
「アリサ、ここは一旦引いて立て直しを――」
キリツが彼女の方へと振り返ったときのことだった。背後に突如、巨大なモンスターが姿を現す。その丸太ほどある太い腕が掲げられ、彼の背中へと振り下ろされた。血に染まった鋭い爪が、薄い月明かりを反射してギラリと光る。
戦いの中で初めてアリサの顔に恐怖の表情が浮かび上がった。アリサはモンスターを瞬殺すると、キリツの元へと駆け寄った。
「キリツっ! キリツ、しっかりして!!」
地面に流れる血の量が、彼の命が長くないことを示していた。
「……アリサ……」
「キリツ! ごめんなさい、私があなたの言うことを聞いていれば――」
「アリサ、聞きなさい。お前が後悔することはない。それは正しいことだから。お前は間違ってない。だから……」
「キリツ!? キリツしっかりして!」
「……だから、お前は国に帰って国民を守ってやって欲しい。頼む、ホウライの民を――」
「分かったよ、約束する。必ず守る!! だから――」
キリツの瞳から光が消えた。アリサは彼の亡骸を抱えたまま、声にならぬ声を上げる。
暴走したアリサが意識を取り戻したのは朝になってのことだった。ムッとするほどの血の匂い。辺りに散らばる数えきれないほどのモンスターの死骸。
こんな所であたしは何をしてるんだろう……?
ぼんやりとした頭で森を彷徨っているとき、ひとりの中年男性の亡骸を目にする。人間の亡骸はそれ以外にもたくさんあった。だがそれは彼女にとって特別なものに思えた。彼を抱え上げ、近くの丘へ埋葬した。そこへ近隣の村から様子を見に来た村人に出会う。
彼らは問うた。「あなたが国を救ってくれたのか? あなたが英雄なのか?」
しかし彼女には何も分からなかった。何があったのか? 自分が何をしたのか? そもそも自分は誰なのか?
彼女を称える村人たちの元を去り、彼女は放浪する。
何か……何かを忘れている気がする……。大切な人と何かを約束したような気が……。
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