第79話「本当なんだ」
「キョーコ、キョーコだよな!?」
地に降り立って再度呼びかけるが反応がない。駆け巡る風が周囲の草木を揺する音だけが、優しく耳に入ってくる。私を見上げていた彼女の顔はいつの間にかうつむいてしまっており、長い髪に隠れてその表情は読み取れない。
「キョーコ。さぁ、ダンジョンに帰ろう? みんな心配してるんだぞ。も、もちろん我……私もだ」
その言葉に、微動だにしなかった彼女の肩がビクリと揺れる。同時にまとっていたローブが風に煽られてゆらりと揺れた。月明かりに照らされて、黒に近い青色のローブが確認できる。
先祖代々受け継がれた、由緒正しい魔王のローブ。そしてそれはホウライ伝統のものでもある。それを彼女がまとっているということは、やはりホウライが失踪後の彼女と接触していたことを意味している。
「りょーちゃん……」
ややか細いものの、いつものキョーコの声。
私が一番危惧していたのは『キョーコが魔法でホウライに操られている』ということであった。だが、目の前のキョーコの瞳を見る限り、いつもの元気さはないものの彼女が正気であることはすぐに分かった。
「さぁ行こう。王国などの連合軍がホウライに迫っている。ここは危険だ。一旦ダンジョンに帰ってから話はゆっく――」
肩にかけた腕が振り払われる。
「……キョーコ?」
「あたしは行かない」
「どうしてだ!? もしかして本当に魔法で操られて……いや、何かホウライに脅されているのか?」
「違うっ!」
「ならなんで――」
「我が国の姫君にあまり馴れ馴れしくしないで欲しいものだな」
突然背後から声が聞こえてきた。いくらキョーコに気を取られていたとは言え、周囲の警戒を怠っていたわけではないのだがいつの間に……。それにその声、聞き覚えがある。
「ハク……だったな」
エルたちの森を襲ったホウライからの使者。理由は分からないがキョーコを追い、私に彼の国の情報を流した者。
いや、それよりもだ――今、なんと言った?
振り返ると、腕組みし薄ら笑いを浮かべたハクが立っている。いつも通りの自信満々の表情からは、余裕すら伺えそうだった。
「……姫……だと?」
私の問いかけにハクの口角が上がる。悠々とした足取りで私の隣を過ぎ、キョーコのやや後ろに立った。
「そうだ、バルバトス。ここにおられるのはホウライ帝国先帝、最後の嫡女。そして新生ホウライ帝国女帝アリサさまである」
「何を馬鹿なことを……」
「本当なんだ、りょーちゃん」
私を真っ直ぐ見据えるキョーコと目が合う。少し悲しげな顔で彼女は「本当なんだ」と絞り出すように繰り返す。突然のことに動揺してしまい何も言えない。正確には何を言っていいのかが分からない。
キョーコがホウライ帝国皇帝の娘だと? そんな三文芝居でもやらないような話を私が信じるとでも……。
だが、私に向けられるキョーコの顔を見ると、それが戯言などではないということを証明しているかのように思えた。いやだがしかし……。
「聞いて、りょーちゃん」
うろたえる私をなだめるように、キョーコは私の手を取る。
「思い出したんだ。昔のこと」
そうして彼女は過去のこと、我がダンジョンに来るまでのことを語り始めた。
□ ◇ □
今から約100年前。ひとつの帝国が大陸全土を集中に収めようとしていた。
ホウライ帝国。
大陸の極東に位置するその国は、農業を中心に古くから発展してきた。だが古くからの慣習を大切にするあまり、また乏しい資源のせいもあって、年を追うごとに周辺国とのいさかいが彼らの国を疲弊させていっていた。
そんなとき戴冠したのがキサラギ・ノブナリだった。若き皇帝は、誰にも侵されず自主独立を保てる強い国を目指した。彼は懸命に国を再興しようと努力した。しかし資源を周辺国との貿易に頼ることしかできないことが、特に兵力増強の足かせとなっていた。
そんなとき、皇帝はある古代の魔法のことを知る。
それは人間の肉体を強化させる魔法だった。一般的に知られている強化魔法とは違い、肉体そのものに作用するため、より効率的に魔法の効果が得られる。
彼は国中の魔道士をかき集め、古代魔法の解析と改良を命じた。十年以上の歳月をかけ、魔法はより効果的で強力なものへと進化していった。
いかなる剣も矢も寄せ付けぬ。
攻撃魔法ですら跳ね返す。
圧倒的な力。
皇帝はその魔法を軍隊に導入した。初戦は帝国の南に位置する、とある王国だった。王国はことあるごとに帝国領土に侵攻を繰り返しており、隙きあらば帝国を併合しようと目論んでいる好戦的な国だった。
戦いは皇帝の想像を遥かに超えたものになった。最新鋭の武器防具に身を包んだ王国軍が、為す術もなく宙に舞っていく。半日を待たずに王国軍の前線は崩壊し、2日で王国の首都は陥落した。
ホウライ帝国皇帝に限らず、ホウライ国民にはひとつの思いがあった。
『なぜ今までの我々は、これほどまでに他国に蹂躙され続けてきたのか?』
侵攻してきた他国の軍に一方的に殺される。不利な条約を無理やり押し付けられる。貿易交渉の席でさえ、背後に見え隠れする軍の存在に怯えながら行う。
しかし、力を持たぬ者は従うしか生き残る道はない。そんな妥協を彼らは強いられてきた。だが……。制圧した王国の宮殿で皇帝は思った。
『争いの絶えぬ世界が変わらないのであれば、余が全てを掌握し自らの手で変えればよいのではないか?』
こうしてホウライは大陸全土へと兵を進めていくことになった。その過程であることが判明する。
『肉体強化魔法を使い続けた者に、治癒や蘇生の魔法が効きにくくなっている』
帝国の魔道士たちはそれを『肉体自体に魔法が作用することで、身体が他の魔法を受け付けなくなっている』と結論づけた。そして『変化した肉体は世代を超えて遺伝する可能性がある』とも付け加える。
それを聞いた皇帝は迷った。肉体強化魔法を使い続ければ、傷ついた者を癒やすこともできぬし、死んだ者を生き返らせることも叶わない。前線に立つ兵士はそれでも良いと言うかもしれぬ。だが彼らの子や孫にまでその性質が残るのであるのなら……。
悩み進軍を止めた皇帝に、臣下たちが声をあげた。
『皇帝陛下。陛下の志は我らも同じです。どうか世界を手にお入れ下さい』
その言葉に皇帝は奮い立った。家臣たちの言う通りだ。余が世界を手に入れ、このような魔法などなくても暮らしていける平和な世の中を一刻も早く作らねばならぬ。
再び帝国軍は西へと歩み始める。極力損害を出さないよう、用兵には慎重にも慎重を期するようになった。それが功を奏し、進軍速度は遅くなったものの帝国軍の損傷は最小限に抑えられていた。
そして西方最大の強国、マルセール公国を制圧したときに事件は起こった。
最早、大陸には帝国に抵抗できる国はほとんど残っていない。ここを落とせば大陸を制圧したも同然。後は圧力をかけつつ降伏を迫り、従わなければひねり潰せばよいだけだ。
軍全体にそんな慢心とも思える空気が支配していた。そしてそれは皇帝自信にも存在していた。公国占領の翌日早朝、皇帝は最小限の侍従と共に街へと足を運んだ。朝日も登らぬ時間帯。帝国の侵攻に疲れ果てたのか、街に人気はなかった。
しんと静まりかえる街路を歩いているとき。ひとりの男が街路樹の影から飛び出してきた。男の手には短剣が握りしめられていた。言葉にならない何かを叫びながら、男は短剣を皇帝の身体へと突き立てた。
強化魔法は使っていなかった。それを慢心だと言えばそうかもしれない。しかしこれまで帝国の圧倒的な力を見せつけられた国の民は、震え上がり帝国軍や皇帝に対して反抗しようという素振りさえ見せてこなかった。その経験が皇帝を高慢にさせていたのかもしれない。
男を叩き斬った従者たちは、大慌てで皇帝を魔道士の元へ運んだ。魔道士たちは懸命に治癒魔法を行使したが、その甲斐なく数時間後に皇帝は息を引き取った。
こうしてホウライ帝国の大陸掌握の夢は潰えた。
皇帝が死去したことを知った周辺国は一斉に挙兵した。指揮官を失ったホウライ軍は為す術もなく敗退し、残党は統制も取れぬまま帝国領内へと逃げ帰った。
ホウライに支配されていた国々でも独立の機運が高まり、やがて連合軍が組織されホウライ帝国へと逆侵攻を始めた。帝国は元の領土へと押し込められた。一方的な条約が結ばれ、領土の多くは他国へと割譲された。更に肉体強化魔法の放棄を求められ、彼らが再起できぬよう牙を抜かれた状態となった。
こうしてホウライ帝国は事実上、崩壊した。
それから100年近くが経った。大陸最極貧へと転落した帝国は細々と皇位を継承しつづけ、ノブナリから数えて2代のちの皇帝の妻は初めての子を産み落とした。
弾けるような笑顔。くるりと大きな瞳に、黒い艷やかな髪。
愛らしい小さな皇女はアリサと名付けられた。
アリサは天真爛漫な子だった。人見知りせず常に笑顔の絶えない子供だった。歩けるようになってしばらくすると城の中を駆け回るようになり、度々臣下たちを困惑させるようになった。更に歳を重ね4歳になるころには、従者を従え城下町へと繰り出すようになってきた。
彼女の明るい性格、誰とでもすぐに仲良くなろうとする姿勢は、貧しい国に暮らす民にとって一筋の希望の光りだった。かつてのような強国にならずともよい。この国で、皇女殿下と共に生きていることが自分たちの幸せなのだ。多くの帝国民はそれを信じていた。
そんなとき。
国境を警備する兵士から一報が入る。
『南の王国が越境し、アスカに迫っている』
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