第77話「治癒魔法が効きません!」
「キョーコっ!?」
思わず叫んでしまった言葉は、戦場の怒声の中へと消えていった。それにも構わず一歩、二歩と足を前へと踏み出す。キョーコがあそこにいるのであれば、すぐにでも行かなければならないという思いが、私の身体を無意識に動かしていた。
だが……。
そこで踏みとどまる。いくらサキドエルとチーロンがいるとは言え、自分が指示した陣形を自らが崩して勝手な行動を取るわけにはいかない。
「ダンジョンマスター、前進するのか?」
そんな私の戸惑いを見透かしたかのように、後方からラエが問いかける。一瞬同意しかけるが、すぐにそれを否定する。
「いや、少し様子を見よう」
私がそう決断したのはもちろん彼らのことを思ってのことではあるが、一瞬でも立ち止まったことで目の前で行われている戦闘を少しだけ冷静に見られたことも関係している。
何かが違う……。
吹き飛ばされていくハーフィールド・ヴェルニア両軍の兵士たち。それは確かにダンジョンで見ていたいつもの景色に似ている。だが、何か違和感を感じていた。具体的には分からない。何か、しっくりこない感触。
それを解消してくれたのはサキドエルの一言だった。
「なぁバルバトス。いつものキョーコってあんなもんだったか?」
そこでハッとする。そうだ、このホウライ兵たちがキョーコと同じ肉体強化の魔法を使っているのは確かだ。だが、明らかにキョーコの魔法と比べて威力が少ないように見える。以前、キョーコの魔法を見たときに『ホウライの魔法はこれほどまでに強力だったのか?』という疑問を感じたことがあった。
ホウライ帝国は今から100年ほど前に大陸全土をほぼ手中に収めた。だが、それに10年を要している。当時のホウライ帝国は、数において現在のカールランド軍よりも強力な軍隊を保持していたと言う。もしそれが本当で、キョーコほどの強力な魔法を行使していたのだとすれば、10年はかかりすぎなのではないか? 恐らくその半分でも十分ではなかったのか?
それがそのときの感想だった。
それが正しいとすれば、キョーコが特別であり普通のホウライの固有魔法は、今眼の前で行使されているもの程度のものなのかもしれない。逆に考えれば、今ここにキョーコがいないということにもなる。
それを証明するかのように、戦況は変わりつつあった。当初、一方的に投げ飛ばされていたハーフィールド・ヴェルニア連合軍であったが、それが徐々に収まっていく。更に左右に伸びた軍がホウライを覆うように両脇に展開し始め、それはジワジワと狭まっていっていた。
開戦から1時間ほどで戦場に歓声が鳴り響き、戦いの終わりを告げた。
「全軍隊列を立て直せ! 1時間後に再度行進を始める。それまでに装備を整え休息せよ! おい、斥候を出して周囲を探索させろ」
指揮官が忙しそうに兵士に指示を出している中、私たちは前線へと急いだ。連合軍の退いたあとには、おびただしい数のホウライ兵の死体が転がっている。皆で手分けしてそれらを一体一体調べていく。
「どれも男ばかりだ。キョーコはいないな」
サキドエルの言葉にホッとしながらうなずく。足元に横たわるホウライ兵を見る。彼らはいずれも皮をなめした鎧だったり、軽量の鎖帷子などを装備していた。恐らく魔法の特性上、動きやすさを優先させていたのではないか。それが仇となり、一人二人と倒していく内に3人目に刺される……というような感じとなったのだろう。
周囲を見回し、比較的損傷の少ないホウライ兵の元へ行く。エルに「蘇生魔法は使えるのか?」と尋ねると、彼女は戸惑いながらもうなずく。
「じゃあ、このホウライ兵を蘇生してくれ」
「おい、ダンジョンマスター! どういうつもりだ!?」
ラエが私とエルの間に割って入ってくる。
「しっ、声が大きい。連合軍の奴らに聞かれるとややこしくなるからな」
「そんなことを!……そんなことを聞いているのではない。なぜホウライ兵を蘇生するのか、と聞いているのだ」
「別にかわいそうだから……というわけではない。どうしても確かめたいことがあるんだ」
私の真剣さが伝わったのか、ラエは渋々ながら「少しでも様子が変なら、すぐに斬るからな」と剣を抜きエルの隣に立つ。
エルの「ほ、本当にいいんでしゅか?」という確認に黙ってうなずき、連合軍に見えないようにサキドエルを壁として立たせる。エルが魔法を詠唱すると、彼女の手の平の先に緑色の魔法陣がぼわっと浮かび上がる。
エルの詠唱に合わせて魔法陣はゆっくりと回転を始める。1分ほど詠唱を続けたところで、エルの顔に困惑の表情が浮かび上がる。それを見た私は、彼女の肩にそっと手を置く。詠唱を中断したエルが泣きそうな顔で訴える。
「魔法が……治癒魔法が効きません」
やはりそうか……。
この戦争が起こる前、ホウライについて色々調べた。ホウライが大陸全土に侵攻するのに10年の歳月を要したこと。そこからたった3年足らずで帝国は一気に瓦解へと向かっていったこと。
どうしてそれほど時間をかける必要があり、また無敵を誇った帝国軍が崩壊してしまったのか?
それに思いを馳せているとき、私はひとつのことを思い出した。
それは私の父の死についてのことだった。父は私が15歳のときに亡くなった。死因は冒険者との戦いで負った傷が原因だった。ダンジョンの『
だが彼は首を振った。
『マスターのお怪我は治せるものではありません』
冒険者の剣には特殊な魔法が込められており、それが治癒や蘇生を困難にしていると。
私はその冒険者への復讐を誓った。だが、死の間際の父がそれを諌めた。
『バルバトス、ダンジョンでの負傷は自己責任。これは冒険者にだけかけられる言葉ではない。ダンジョンマスターとてそれは同じこと。決して冒険者を呪ってはならぬ』
その翌日、父は亡くなった。私は父の言葉に従い、以来その件には触れないようにしてきていた。
そして『
ホウライが大陸侵攻に時間がかかったのは固有魔法がキョーコほど強力ではなかったのも一因だろうが、それよりも『慎重になっていたから』ではないか? 3年足らずで瓦解へと向かったのもそれが原因ではないか? そして父のこと……。
それらを総合して、私はひとつの結論を導き出した。
ホウライ人に蘇生魔法は効かない。
残念ながらそれを立証する手立てはこれまでなかった。だが、今目の前でそれは証明されたことになる。
どういう理屈かは分からないが、ホウライ人は蘇生させることができない。それを知っていたからホウライ帝国は侵攻に時間をかけ、慎重に行っていた。また瓦解に向かったのもそれが原因であろう。大陸を掌握するまでに兵力の大部分を失い、義勇兵や敗残兵の反撃に合い、やがて滅んでいったのではないだろうか。
そして父の死もそれで説明がつく。父や医師がなぜ本当のことを言わなかったのかは分からない。だが、既に「死」がそれほど恐ろしくなくなった時代に「お前は他の人間とは違い、蘇生はできない」と告げられたとしたら、どんな感情をもたらすのだろう。
恐らくそれは絶望だ。
それを気遣った彼らは私に真実を告げなかったのだろう。
「そ、それじゃぁ、バルバトスさまも……」
エルが涙をこぼしながら私のローブにすがりつく。そう、私も父の血を引き継ぐホウライ人だ。父に起こったことは、当然私にも起こり得る。
「おい、ダンジョンマスター」
エルをなだめていたラエが語りかけてくる。
「お前は飛空艇に戻れ。ここは私たちだけでいい」
「ラエ、お前が私の心配をしてくれるとはな」
「茶化すな! とにかく一刻も早くここを立ち去れ」
「いや、それはできない」
「だが、それでは――」
「私にはやるべきことがある」
それを聞いたラエは、まだ何か言いたげな表情をしながらも「……分かった」とグッと唇を真一文字に結ぶ。あまり見せたことのない表情に思わず彼女の顔を見ると、目尻にうっすらと光るものがあった。
「泣いているのか……?」
「泣いてないっ! 泣いてなどいない!」
「女っ気のない無愛想なヤツだと思っていたが……案外可愛らしいところもあるんだな」
「クッ……ダンジョンマスター、それ以上愚弄すると――」
ラエは立ち上がり、腰の剣へと手を伸ばす。目にも留まらぬ速さでそれを引き抜くと、振りかざし私へと振り下ろした。その勢いに思わず目を瞑ってしまう。
「ラエっ! ダメでしょ!」というエルの声が聞こえ、恐る恐る目を開ける。目の前にギラリと光るラエの剣が見えた。剣先は私の目の数センチ前でプルプルと震えているのが見え、それが太陽の光りを帯びてキラリと光る。それと同時に、何か布の切れ端のようなものが、はらりはらりと宙を舞いながら地面へと落ちていくのも見えた。
「バルバトスさまっ、大丈夫ですかっ!?」
「え、え? うん、うん? 切れてない? 我、切られてないよね?」
「え、ええ。なんともないみたいです……けど」
「けど?」
「頭に被られていたローブが……ちょっと切れちゃってます」
「なっ! 由緒正しい魔王のロ――」
「あ、でもお顔はなんともないようですよ!」
「うむ、それはよかった……って、おい、ラエ! 殺す気かっ!?」
「ふん……お前が変なことを言うからだ」
エルに叱られて少しきまりの悪そうな顔でラエが言う。
「次、同じこと言ったら、今度は斬るからな」
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