第76話「応戦準備!」

 ハーフィールド・ヴェルニア両軍と共に、私たち5人がホウライへと進軍を始めてそろそろ1週間が経とうとしていた。最初の頃はとてもこれから戦争に行くのだという感じではなく、ほのぼのとした雰囲気の中進んでいたのだが、ここ数日はさすがに疲れ果て足取りも重くなっていた。


 大陸西側とは異なり、整備の遅れている街道は道幅も狭く足場も悪い。以前訪れた際は魔導馬車を使っていたためよく分からなかったが、実際に歩いてみると凹凸の激しい地面のせいで余計に体力を消耗してしまうのを実感する。


 街道の両脇はまさに手付かずの大自然といったところ。大きな立ち木などはないが、地肌が見えている巨大な岩石や膝を覆うほどの雑草で埋め尽くされており、それが余計に行軍を困難にしていた。


 加えてハーフィールド・ヴェルニアの両軍は指揮官の言っていた通り「我こそがホウライへ一番槍を」と功を競うかのごとく軍を進めており、それがより一層隊列を乱すことになっていた。


 今では一体どこからどこまでがハーフィールド軍で、どこからがヴェルニア軍なのかすら判別がつきにくいほど、統制の取れていないものになっている。それに危機感を覚えた私は両軍の指揮官に改めて進言しようと試みたが「臆病者の国のダンジョンマスターらしい言い草だ」と下級士官にあしらわれてしまう。


 そのカールランド軍も未だに姿を現さない。ニコラとの魔導器通話で、我々の出発した翌日にはカールランド軍が通過したと聞いていたので、1日遅れで我々の後を追ってきているのは間違いないはず。だが、一向に追いつこうともしていないのも確かなようだ。


「そろそろホウライとの国境ですね」


 休憩中、エルが地図を指差す。確かにそうだ。以前の記憶を手繰り寄せ、焼き払われた農村などの光景を思い出す。あと1日ほど進めば、あの辺りにたどり着くはず。


「結局、ここまでキョーコ殿の手がかりもなしだな」


 エルが横目でジロッと睨みながらつぶやき、続けて「ここからどうするつもりなのだ、ダンジョンマスター?」と問いかけてくる。


 キョーコが捕らえられていたとしても、ホウライと接触しないことには何も掴めない。三カ国連合軍の進軍を知ったホウライが迎撃軍を出してくれば、それらを撃退し、生き残った者から情報を得られたのかもしれない。


 だが、ここまで恐ろしいほどにホウライは何も手出しをしてこない。だから何も成果を出せないままに、こうしてずるずるとホウライの国内へと足を踏み入れることになってしまっている。


「やっぱいっそ、飛空艇でバーンと帝都に乗り込んで、キョーコをさらっちまえばよかったんじゃないか?」


 サキドエルが半笑いで熱い息を吐く。それは飛空艇にいたときにも議論の対象となったことだった。しかし万が一キョーコがホウライに捕らえられていなかった場合、また捕らえられていたとしてもホウライが軍備を僅かにでも強化していたときの場合。いずれも我々ができることは少ない。


 やはり連合軍と行動を共にした方がよいということになった。だが、今となってはサキドエルの言う案の方がよかったようにも思えてくる。


 ……どうも、この戦争に関して私の心は揺れているように思えてならない。何をするにしても迷い、判断が遅れ、そして後悔の連続のように思える。前は結果が良かろうが悪かろうが、自分の行動に迷いを感じながらもそれなりに前に進めていたような気がするのに、ここ数週間の私はやっていることがチグハグに思えた。


 まったく……しっかりしろ。お前はダンジョンマスターなんだぞ。お前が迷ってどうする。自信満々に皆を導く存在、それこそが魔王のあるべき姿だろう。


 そんな自戒の念に浸っていると、ローブの袖がクイクイと引っ張られるのを感じた。ふと隣を見ると、いつの間にかチーロンが隣に腰掛けており、彼女が私の袖をしきりに引っ張っていた。


 こらこら、そんなに引っ張ると破れるから。チーちゃんは知らないかもしれないけど、これは由緒正しい魔王のローブであってだな。現存するのは既にこの1着のみ。よってこれがダメになるとだな……ん?


 私の言葉をまるで聞いていないかのようにチーロンは北の方角を指さしている。街道から少し離れたその一角は、小高い丘のようになっていた。別段変わったものは見えない……が、よく目を凝らしてみると何かが揺れているのが見える。葉っぱか……いや、あれは……何か布切れのような……。


 と同時にそれが丘の上に姿を現す。長い柄の先端に掲げられたそれは、白地に赤の紋章。


 ホウライだっ!


「てっ、敵襲!!」

「ホウライだ! 応戦準備!!」


 一気に辺りが騒然となり怒声が飛び交う。指揮官の掛け声に合わせ、ハーフィールド・ヴェルニアの軍は武器を手に立ち上がる。


 丘の上には既にホウライの軍旗に続いて、続々と兵士たちが姿を現していた。彼らは一気に丘を駆け下りて、連合軍へと迫ってくる。その数、100……200……いや、それ以上。恐らく500はいるかもしれない。


 前にホウライの首都、アスカを偵察したとき、ホウライの軍はほぼ瓦解しているのを確認した。確かに帝都を守備している者、または一般人でも戦える者をかき集めればこのくらいの数は用意できそうだった。


 だが、それでも数が違いすぎる。


 連合軍の総数は、おおよそ1万と聞いている。主力はカールランド軍だろうが、ここにいるハーフィールド・ヴェルニアの軍だけでも5,000人は下らないはず。5,000対500。どう考えても話にならない。


 もしホウライが何かしら抵抗を示すとした場合、それは帝都にて立てこもりゲリラ戦のような形で行われると予想されていた。兵力に差があるのだから、そう考えるのは当然だ。だからまさか、こんな場所で決戦を挑んでくるとは誰も予想していなかった。


 だが、それでも数の差は圧倒的だ。ホウライが何を企んでいるのかは分からないが、これではとても戦いとは言えない結果になるだろう。


 そんなことを考えている内に、両軍の先頭が刃を交え始める。私は事前に決めていたように、エルを後方に下がらせラエに護衛を頼む。サキドエルを先頭にチーロンと私でその後ろに陣取り、戦闘に備えた。


「だがバルバトス、これはいくらなんでも話にならないのではないか」


 サキドエルが戦斧バトルアクスを構えながら、やや呆れた口調で言う。彼も私も、そして他の者も同じ感想を持っていた。そしてそれは当然のことだった。


「そうだな。恐らく我々の出番はないだろう。だが、念には念を入れ――」


 気を引き締めるべく声をかけようとしたときのことだった。遠くの方で、何かが衝突するような大きな音がする。目を凝らして見ると、ホウライの軍へと迫って行っていた連合軍の兵士たちが……まるで紙切れのように空を舞っていた。


 それはひとりやふたりのことではなかった。10人、20人、30人……。次々と兵士たちが、まるで竜巻にでも襲われたかのように四方八方へと吹き飛ばされていく。


「お、おい。バルバトス……」


 サキドエルがツバを飲む音が聞こえた気がした。そうだ、私たちはこの光景を見たことがある。


 何者も敵わぬ、圧倒的な力。


 いかなる刃も、強力な魔法も寄せ付けず。


 数の差も物ともせず、一方的に見せつけられるだけの力。


 そう、キョーコの魔法だ。

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