第73話「まだ聞きたいことは」

 王都親衛隊隊長、グンター・ハイドフェルドが部下に一言二言話しかけると、それを聞いた男は敬礼をした後、小走りでどこかへ走り去ってしまった。


 どうする? 降りるべきか?


 だが先程の部下以外にも、ハイドフェルドの周りには目視できるだけで数人ほどの兵士が、警戒を怠らぬ姿勢で等間隔に配置されている。できれば彼だけに会いたい。これから話そうとしていることを他の人間に聞かれたくないというのもあるのだが、何より騒ぎにだけはなって欲しくないと思う。


 その一瞬の躊躇が仇になり、ハイドフェルドは再びテントへと足を向ける。が、一歩踏み出したところで踏みとどまり、またくるりと方向転換すると一定の速度で歩き始めた。いくつかのテントの脇を通り過ぎ、野営地の端へとやってくる。


 そこに待機していた兵士が彼の前に立ちふさがり何かを言っていた。だがハイドフェルドは手を軽く振り、代わりに兵士の手からランタンを取り上げると、そのまま野営地の外へと向かって行った。


 暗闇にぼんやりとランタンの明かりだけが進んでいくのが見える。その明かりはどこか異常な雰囲気を感じさせていた。通常、人が明かりを手に歩く際には、多少は左右上下に揺れるものだ。しかしハイドフェルドの持つランタンは先程からピクリとも動かない。まるで地面の上を滑るかのように、一定の速度で移動している。


 一瞬、何かの罠ではないかと疑ったのだが、ランタンの明かりは彼の姿をぼんやりと照らし続けており、それが彼の恐ろしさを際立たせているかのように思えた。


 上空から一定の距離を保ちつつ、彼の後を追う。やがて森に入り、ランタンの明かりがチラチラと木々の間から溢れるようになってきた。見失わないように気をつけながらも、彼がこんな深夜にどこへ向かっているのかが気になってきた。


 前方に少し顔をやると一部森が途切れている箇所があり、何かがキラキラと光っているのが見えた。目を凝らすとそれは小さな湖で、湖面に月光が映し出されてそれが輝いていたようだった。


 ハイドフェルドのランタンは、まっすぐその方向へ向かって行き、やがて湖岸に到着するとようやく止まった。湖面から反射されている月明かりのおかげで、彼の姿が先程よりもよく見える。彼はランタンを地面に置くと、近くに転がっていた倒木に腰を下ろした。


 どういうことだ?


 彼ほどの者でも、戦争を前にすると穏やかではなくなるということか。寝付けず近くを散歩して、美しい景色に思わず見惚れて……といったところだろうか?


 だがそんなことはどうでもいい。これほどのチャンスはもうないだろう。


 私は魔法を操作し降下を始める。音もなく彼の背後、暗闇の中へと着地した。ここから彼に話しかけ、聞きたいことだけを聞き出す。当然、私の正体を明かすことなどない。王都親衛隊とその隊長が、私の敵であるはずはない。だが、これから私が話そうとしている内容は、カールランド王国とは関係のない話だ。念には念を入れておくべきだろう。


 息を整え、口を開こうとしたときのことだった。


「そんなに離れていては話しづらいだろう――バルバトスよ」


 突然ハイドフェルドの低く落ち着いた声が聞こえてきた。彼は私に背を向けたまま「怖がることはない。こっちへ来い」と続ける。


 想定外の事態に私の心は乱される。絶対に気づかれない自信はあった。だがそもそもそれ以前に――。


「あぁ……私が不審者を察知するのはともかく、なぜ君だと分かったのか、ということに不信感を持っているのだな」


 その通りだ。かなり気を使って着地したつもりだったが、彼ほどの手練であれば自分の身近に迫っている者の気配を察知するという芸当くらいはできるのかもしれない。しかし、なぜそれが私だと分かった?


「それについてはきちんと説明しよう。だが、まずはこちらへ。こんなにも離れていては、どうしても声を上げて話さねばなるまい。今は他に誰もいないようだが、用心に用心するに越したことはないだろう?」


 まるで心が見透かされているかのようだった。これからハイドフェルドに問いかけたいこと、話したいこと。それを他の者に聞かれたくないということを彼がすでに知っているかのような口ぶりに思わず動揺する。


 それでも彼にそれを察せられるわけにもいかず、私は暗闇から姿を表し彼の元へ向かう。静寂に包まれた湖岸に、枯れ葉を踏むザクザクという音が静かに響き渡る。


「直接会うのは王都での武闘大会以来……いや、ホウライ以来だな」


 対面するように座った私に、ハイドフェルドは穏やかな口調で話しかける。月光に照らされた彼の顔が見えた。これまで彼の顔をまじまじと見たことはなかったのだが、改めてこうやって対面すると、想像していたのとは少し違うことに気づく。


 冷たい刺すようだと思っていた瞳には、穏やかな光が灯されており彼がただ単に冷酷無比な人間ではないことを示しているかのようだった。その目尻には薄いながらにも少しシワが見え隠れしており、それは彼の苦労と年齢を表しているように見える。


 恐らく40……歳と少し、といったところだろうか。生きていれば私の父も同じくらいの年齢だったのではないか。


「ホウライ……とおっしゃいましたが、お認めになるのですか?」


 私が問いかけようとしていたことを彼の口から聞かされたことに驚きながらも、そこから話の糸口が見つかるかと思い、敢えてそれに触れる。


「認めるも何も、実際のことだからな」


 あっさりと肯定する彼の口調に更に戸惑いを覚える。てっきり否定されるか、とぼけられるかのどちらかだと思っていたからだ。


「それで……聞きたいことがあるのだろう?」


 畳み掛けられるように投げかけられた問いかけに、毒気を抜かれる思いになってくる。確かに聞きたいことは山のようにあったが、実際に聞くべきことは限られている。私が聞きたいことは――。


「キョーコという女性を探しています」


 無論、戦争のことなど聞きたいことは多い。だが、まず聞くべきことはこれ以外にはあり得ない。


 ハイドフェルドはそれまでの落ち着いた顔を崩し、やや驚いた表情を見せた。そして「そうか、そちらの方がお前にとっては大切というわけか」と、さもおかしそうに笑う。


「もちろん彼女のことは知っている。あの武闘大会にも出ていたしな。それに行方についても……知っている……が」


 勿体ぶるかのようにそこで言葉を区切ると、ハイドフェルドは空を見上げた。無数の星々が優雅に浮かぶその先には――。


「お前も既に気づいているのだろう?」


 そう、ホウライだ。


 キョーコが失踪したことにホウライが絡んでいるという可能性はほぼないと思っていた。あのとき、キョーコが魔法を暴走させたのは、彼女が失っていた記憶の一部――『ヴェルニアの大行進』に彼女が関わっていたということ――を取り戻したことによるものだ。その原因を作ったのは私にあり、決してホウライが仕組んだことではない。だが……飛空艇に揺られていたとき、私の脳裏にひとつの疑問が浮かび上がっていた。


 キョーコが帰って来ない理由は何なのか?


 魔力を暴走させたとき。キョーコの取った行動はおおよそ理解できる。ダンジョンを、そして私たちを巻き込まないように、より遠くへ、人里離れた地へと逃げたのではないか?


 歴史書に記されていたヴェルニアの大行進の記述、そしてキョーコが言っていた『たくさん殺した』という言葉。そして彼女がその記憶を、自分の奥深くに封印していたということ。


 それらから分かることは、恐らく魔力を暴走させた彼女は、周りのもの全てを破壊し尽くしてしまう……自分でも制御できないほどの力で。それを咄嗟に察した彼女はダンジョンから去った。


 だがそれならなぜ戻って来ない? 魔力の暴走は、ヴェルニアの大行進の際でも一晩ほどで収束に向かったはずだ。どうして何日も経った今でも、私たちの前に姿を表さない? どこかで行き倒れているという可能性は否定できない。私がどれほど情報を集めようとしても、それに何も引っかからないというのはどう考えてもおかしい。


 考えられることをひとつひとつ検証し、最後に残ったもの。


 それが『ホウライが彼女を見つけ、拘束している』というものだった。あのハクという男もキョーコを追っていた。一時「もう必要ない」と言っていたが、それでも一時は必要としていたのに変わりない。それに合わせるようにこの戦争だ。


 キョーコの力を戦争に利用しようとしていたとすれば、そして必要ないと言いながらも我々の動向を探っていたとしたら……魔力を暴走させダンジョンを飛び出したキョーコを放っておくはずがない。


「さて、いつまでも野営地を空けるわけにもいかぬしな。私はそろそろ戻る」


 ハイドフェルドは立ち上がりランタンを手に取る。


「待て、まだ聞きたいことは――」

「正直なところ、お前には失望させられた。もう興味はないし、答えてやる義理もない」


 失望……だと。どういうことだ? だがハイドフェルドは私の問いかけに構わず歩を進める。数歩ほど歩いたところで立ち止まり「あぁ、やはりひとつだけ答えてやろう」と振り返った。


「なぜお前がここに来たのかを知っていたことだがな。あれは私にはがあるから……ということだ。お前には分からぬ目が、な」


 そう言い残すと、ハイドフェルドは再び森の闇へと姿を消した。

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