第72話「獲物を狩る鷹」
明かり一つない暗闇に包まれた森を抜けるのは、想像以上の困難だった。10分もすると目の方は慣れて、大体の地形などは把握できるようになったものの、とは言え昼間に草原を歩くようにはいかない。
慎重に歩みを進めていく。途中、野良モンスターや野生動物には遭遇しなかったことは、目的地に着くまではできるだけ魔法の使用を避けたかった私にとって幸いなことだった。
数時間ほど道なき道に格闘し、ようやく小高い丘に到達する。そこから見下ろせる大きな盆地に多くの篝火が灯っているのが見えた。恐らくあれが王国軍の野営地に違いない。ゆらゆらと揺れている明かりを目印に、更に歩を進める。
驚いたことに王国の魔術師たちは探知魔法を使っていなかった。通常、このような野営を行う際には見張りが立つのが常識だろう。剣を扱う者はそれを手に暗闇に目を凝らし、魔法を使える者は探知魔法で侵入者の気配を察知する。
しかし野営地に近づいて行って分かったのは、誰も見張りに立っていないし魔法も使われていないということだった。ホウライからもまだ距離もあり、敵地でもないということで油断しているということだろうか?
いずれにしても私にとっては好都合なことはこの上ない。安心して飛翔魔法にて空へと飛び立つ。
上空から野営地を俯瞰すると、まばらに輝いている明かりの一部に、より密集した地点を発見した。あれが軍首脳部、つまり国王たちが陣を構えている地だろう。近づいてみると巨大なテントが2つほど設置され、それを取り囲むように大小様々なテントが設営されている。
それらの脇に同じ大きさのテントが立ち並んでいるのが見えた。それまでの野営地では、兵士たちは飲食に夢中になったり、他の兵士たちと談話していたりと、とても戦争前とは思えない緩さが感じられたが、その一角だけは様子が違って見えた。
並んで立てられているテントは数センチも違わないように整然と並べられている。テントの脇には一定の間隔で兵士が直立不動の姿勢で立っているのも見えた。他の地では感じられなかった規律が、ここでは厳格に守られているように感じられた。
恐らくあれが、私の目指していた場所だと確信する。
王国屈指の組織――王都親衛隊。
ここに来る前、ダンジョン協会会長レンドリクスと交わした会話を思い出す。会長は王都親衛隊がホウライを探っていたと言っていた。王国内でも精鋭たちの集まる組織である王都親衛隊は、王都の守護、王室関係者の護衛などの本来業務以外にも、諜報活動など表に出てこない仕事も受け持っているというのは公然の秘密だ。
だから王都親衛隊がホウライを探っていると聞いたとき、それほど違和感は覚えなかった。だが、私が親衛隊隊長とホウライですれ違ったこと――あれが本当に隊長であればだが――は、正直理解に苦しむ。
王国とホウライとは戦争状態にはないものの、平和な関係でもない。それは今回王国がホウライに対して、突然進軍を開始したことからも分かることだ。その「敵国」とも言っていい国に、王国最強の組織の長が出向くだろうか?
『勇将、常に前線にあり』という言葉は、しばしば軍が好んで使う言葉ではあるが、それはあくまでも指導者が戦争の折に前線で指揮を執る、という意味合いだ。リスクと引き換えに兵士の士気を高めるのが目的であって、諜報活動のような裏の仕事においても、その必要があるのだろうか……?
私はそこに何か秘密があるのではないかと思っている。そして、それこそが今回の戦争を引き起こした要因になっており、それを知ることは私にとって大変重要なことであることも認識している。
なぜ突然このような戦争が引き起こされたのか? それを回避する手段はないものか? 回避は無理としても、早期終了へと導くことはできないだろうか?
部下を危険に晒す以上、それくらいは知っておくべきだろう。
「さて……どうしたものか……?」
ここまでは予想通り、いや予想以上に順調に事が進んだ。しかし、問題はここからだ。私の目的は当然、王都親衛隊隊長……確か名前は……グンター・ハイドフェルド、彼に会いそれを問いただすことだ。
だが……。空中に浮遊しながら眼下に広がる光景を見て、私はそれが如何に困難であるかを理解する。降り立って素直に「隊長に面会したい」と直訴しても怪しまれるだけだろう。それに私が問い正そうとしていることは、もしかしたら何らかの巣を突くことになる可能性もある。
真実を知ったはいいが、拘束され処刑、などとなっては意味がない。秘密裏に隊長だけに会い、彼から話を聞きそして立ち去る。それが問題にもならず、今後の活動にも影響を与えない。そんなことができるだろうか?
いや、できるかできないかじゃない。やるんだ。ダンジョン運営では「それはちょっと無理かなぁ」ということはしばしば……時々……いや頻繁にあった。「そんなに頑張らなくてもいいんじゃない?」とお茶を濁したことも一度や二度じゃない。
だが、今回はクルーたちの命がかかっている。それにキョーコのことも……。ここは妥協すべきではない。どんな手を使っても、必ず完遂しないといけない。
私は粘り強く待つことにした。ひたすら飛翔魔法で野営地上空に待機する。魔法を行使する際、瞬発的に大きな力を出すことは比較的簡単なことだ。『
最も困難なのは、今私が行っているように「微力な魔法を行使し続ける」というものだ。魔力量のコントロールも難しいし、魔法を継続し続けるためにはそれに集中しなければならず、精神的な強さが求められる。
通常、飛翔魔法を使って
だが、我は魔王バルバトス。そこらの魔術師と一緒にしてもらっては困る。1時間など余裕の範疇。その気になれば2時間でも3時間でも、なんなら一晩だって余裕。いかに厳格な警備の敷かれた野営地であっても、深夜になればチャンスも巡ってくるに違いない。ならば機が熟すまで待つだけだ……。
……と思っていたのだが、月光が頂上を照らし始める時間になっても、親衛隊のテントを護っている兵士たちは休もうとはしない。幾人かの兵士は交代していたようだが、多くの者は相変わらず直立不動の姿勢で一定間隔に並んだまま、微動だにしない。
そこから更に1時間ほど過ぎる。
「一晩だって余裕余裕」と言っていたのを撤回したくなってきた。当初は『獲物を狩る鷹』のような気分だったのだが、今では『飛ぶのもやっとのひな鳥』の思いだ。時折、魔法が切れかかり慌てて立て直す、ということが何度か繰り返されるようになってきた。
……おかしいな? こんなはずじゃなかったのに。もしかして歳……いいや、そんなことはない! だってまだ25歳だし!!
だが身体はすでに限界に達しており、それに応じて精神的にも参ってきている。「ここが頑張りどころだぞ、バルバトス」から「これ、意味あるのかな?」になり「お前は十分頑張ったんじゃないか?」へと変化して「もう帰ろうかな」という気分にすらなってきている。
そんな誘惑に負けそうになっていたころ。夜明けはまだ先だが月はやや傾き、野営している兵士たちのほとんどが眠りについた深夜。疲労と眠気と戦っていた私に、千載一遇の好機が飛び込んでくる。
整然と並んだテントのひとつから、ひとりの屈強な男が姿を表した。脇に立つ兵士に何か話しかける際、月光にその顔が照らし出された。凍るように冷たい切れ長の瞳。後ろに撫で付けられたブロンズの長髪。間違いない。
王都親衛隊隊長、グンター・ハイドフェルドだ。
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