第66話「大バカものです!」
「逃げて」
キョーコの言葉に一瞬耳を疑う。だが、すぐにそれが決して冗談などではなく、本気で言っているのだと理解した。
彼女の身体の中に、恐ろしいほどの魔力が循環しているのが分かる。キョーコの使う「肉体強化」の魔法は、通常外からは検知できない。それにも関わらず、今こうしてそれを感じることができるのは、既に許容量を超えた魔力が漏れ出しているからだろうか。
だとすれば見えない魔力、つまり彼女の体内で作用している魔力はどれほどの……想像するだけで、恐怖を感じた。逃げ出そうとする足を必死で踏み留め、彼女の肩を掴み続ける。
「キョーコっ!」
私の呼びかけには答えず苦悶の表情を浮かべたまま、キョーコは震えながらしゃがみ込む。そして次の瞬間、彼女のものとは思えないほどの雄叫びを上げた。まるで巨大モンスターの咆哮とでも言えそうなそれに圧倒され、思わずキョーコを掴んでいた手を離す。同時に、彼女から感じられていた魔力の量がグンと上がるのが分かった。
「おぉぉぉぉぉぉお!!」という彼女の叫び声が聞こえ、目を開けていられないほどの光が辺りを包む。大きな衝撃音と身体を揺するほどの地響き。鼻をつく匂いが辺りに漂い、土煙が周囲の視界を奪う。
「キョーコぉ!!」
だが、再度の呼びかけに答える者はいない。辺りが静かになり、やがてゆっくりと煙が薄れていく。キョーコが立っていた場所の床は大きく窪み、割れた破片が散らばっている。書棚から落ちた本、机の上に置いてあった書類が散乱していた。
壁の一角にあった窓はなくなっており、代わりに大きな穴が開いていて、大きな満月が顔を覗かせていた。
そしてその日を境に、キョーコはダンジョンから姿を消した。
□ ◇ □
「バルバトスさま、晩ごはんの準備ができたそうですよ」
相変わらずノックもなしにアルエルが部屋へと入ってくる。「あぁ」と答えるものの、身体は言うことを聞かない。ベッドに腰掛けている私の隣にアルエルがちょこんと座る。
「昨日も食べてないんですから、今日くらいは食べないと」
分かっている。だが、食欲がないんだ。
キョーコがいなくなって1週間が経とうとしていた。その間、私はあらゆる手段を講じて彼女の行方を探し続けた。
ダンジョン協会を通じて依頼も出した。王国へ失踪者としての届け出もした。他国のダンジョンへの問い合わせも行った。でも、一向に彼女の姿を見たという者は現れなかった。
キョーコがあんなことになったのは私のせいだ。彼女がヴェルニアの大行進に関わっていた――正確には彼女こそがその中心人物だった――ことを知らなかったとは言え、あんなことを話さなければ。
キョーコが失踪する前に見せた異常な行動。あれはきっと魔力の暴走だったのだと思う。魔法は精神に強く依存している。精神力の強さは魔法にとって「手綱」のようなものだ。それを引き出したり抑制したりするのは、精神力に依るものだ。
彼女は私の話を聞き、そして失っていた記憶を呼び戻した。それに動揺した彼女は魔法を暴走させ、私を傷つけることを恐れた。だから、そうなる前に私の前から姿を消した……のだと私は思っている。
要はやはり私が原因なのだ。
だから、私はキョーコに対して責任があると思っている。彼女を見つけ出すのはそれを果たすためだとも言える。当初はそれだけが私の原動力だった。だが、徐々にそれだけではなかったことにも気づき始めていた。
目を閉じると、キョーコの姿が浮かんでくる。怒っているキョーコ。フザケているキョーコ。笑っているキョーコ。泣いているキョーコ……。その全てを愛おしいと思っていることに気づいた。
そしてそれを理解したとき、必要以上にキョーコを追うことができなくなった。本当はダンジョンを放り出してでも、彼女を探したかった。でも、そうなると残される者はどうなる? 自分の感情だけで彼らを犠牲にできるのだろうか?
どうしていいのか分からず、私はただこうして座していることしかできなくなった。
「バルバトスさま。さ、行きましょう」
アルエルが私の手を掴む。だが、それを振りほどき「要らないと言っているだろう」と答えた。咄嗟に後悔し「すまない」と頭を下げる。だがアルエルは何も言わない。ふと顔を上げると、初めてみるアルエルの怒った顔。そして「バルバトスさまのバカー!!」と私の頭をゴツンと殴る。
「アルエル……」
「バカっ、バカっ、大バカものです、バルバトスさまはっ!!」
「なん……だと?」
「キョーコちゃんがいなくなって悲しんでいるのはバルバトスさまだけじゃないんですよ? ボンくんやロックくん、薄月さんにランドルフのおじいちゃん、サキドエル師匠も! チーちゃんもマルタさんもレイナさんもみーんな、悲しいんです! 私だって……私だって……」
アルエル……そうだったな。自分が全部悪い、自分のせいだ。だから悲しいのは自分なんだと思っていた。でも、そうじゃない。キョーコと一緒に過ごしてきたのは皆同じなのだ。アルエルや彼らも同じように悲しい気持ちになっている。
私だけがひとり悲しみに暮れててどうする。むしろ私が彼らを引っ張ってやらないといけないんじゃないか。何をしているんだ、私は。
「ありがとう、アルエル」
もう一度彼女に頭を下げる。ところがアルエルは「バカっ、バカっ、バカっ」と言いながら、私の頭をポコポコ叩き続ける。ちょっと、アルエルさん……? もうその辺にしておいてもらえるかな……ポコポコポコ……‥。
「って、叩きすぎ! ポコポコと。本当に馬鹿になったらどうするんだっ!」
アルエルの腕を掴んでコラッと叱る。私を見るアルエルの瞳に涙が浮かんでいることに気づく。いつものように私に優しく笑うと「ご飯、冷めますから」と言った。
「悪かったな」
「そうですよ。本当にそうですよ」
「いや、だから本当にゴメン」
「ここは猛省してもらうためにも、何か罰ゲームが必要ですよ」
「罰……ゲーム?」
「ええ、そうですねぇ……何がいいかなぁ……」
うーん、うーんと唸っているアルエル。やがて最後の晩餐へとたどり着いた。
「あ、こういうのはどうでしょうか?」
そう言ってドアを開ける。
「今後のことは、みんなで考えましょう!」
最後の晩餐には、ダンジョンクルー全員が勢揃いしていた。皆、テーブルに着き入ってきた私を、それぞれの表情で見ていた。
「ヨカッタ バルバトスサマ ヤットキタ」と涙ぐんでいるのはスケルトンのボン。隣では同僚のロックが黙ったままグッと親指を突き出している。
リッチのランドルフさんは「遅いぞ、バルバトス」と眠そうな顔をしていた。雪女の薄月さんが少しいたずらっぽく笑って「ささ、座って」と隣の席をポンポンと叩く。ミノタウロスのサキドエルも「さぁ、食おうぜ」と鼻息を荒くしていた。
ドラゴンのチーロンは相変わらず無言だったが、少しだけ笑っているようにも見えた。マルタは皿を並べながら「遅い、冷めちまうよ」と文句を言っていて、それに苦い顔をしながら「おばあちゃんったら、もう。気にしないで下さいね」とレイナがグラスを手渡してくれた。
いただきます、と夕食に口をつける。久しぶりに食べた食事はもちろん美味しかったし、温かいスープは身体に染み渡るように感じた。でも、本当は皆の優しさが嬉しくてそれどころではなかった。
食事をしながら全員で話し合った。明け方まで話し合い、最終的に出た結論は「ダンジョンを閉めて、皆でキョーコを探しに行く」だった。このままずっとキョーコの帰りを待ち続けるのは、私だけでなく皆にとっても耐え難いことであることが分かった。
「じゃぁ、どういう方法で探すかですが……ふわぁぁぁ」
アルエルのあくびが室内に響く。既に夜は明けており、アルエルだけでなく他のクルーたちにも疲れが見え始めていた。
「あ、どうしましょう? ダンジョン開ける時間ですけど」
「いや、今日はもう臨時休業にしよう。協会に伝えておくから、アルエルはダンジョン前に張り紙でも貼っておいてくれ」
「分かりましたっ!」
魔導器を取りに部屋へ戻る。机に座り魔導器を操作しようとしたところで、ドアが勢いよく開きアルエルが部屋の中へ転がり込んでくる。
「ば、バルバトスさまっ! 大変です、協会からの使者の方が下に来られています!!」
「協会? 使者? 一体何の用だ」
「戦争が……」
アルエルが顔を引きつらせる。
「戦争が始まったそうなんです」
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