第65話「逃げて」

 言葉にはそれを発した者の精神が宿ると言う。


 言い換えれば、その者の言葉をよく聞けば、性格や考え方、心理状態まで分かるということだ。また逆に言えば、言葉が人をつくるとも取れるだろう。


 あるキャラクターにはそれを形作る適切な言葉というものがある。例えば筋肉隆々の男戦士が「ぼく、自信ないな」とか言えばおかしいだろうし、酒場の妖艶なお姉さんが「ガハハ」なんて笑うと不釣り合いに思えるだろう。


 また私のような魔王が冒険者と対峙した際「痛い、止めて!」などと叫べば、それもどうかと思う。……ん? 「お前、前に言ってなかったか?」だと? あぁ、あれは口には出してない心の叫びなのだ。よってセーフセーフ、ぎりセーフ。


 ま、そういうわけで、私がキョーコの口から「誘ってくれなかったんだもん」などというセリフを聞いて、激しく動揺しているのも致し方ないところであろう。思わず「お前、キャラ変わってない?」と訊いたせいで「うるさいっ!」と殴られ、今復活の泉治療室で手当を受けているわけだが……。


「ごめん……」


 と、これまた柄にもないことを言うキョーコ。すっかりしょげているキョーコを見て、彼女がここに来たときのころを思い出す。あの頃は「屈服させる」だとか「ダンジョンに加えろ」だとか、男勝りなことばかり言っていた。それがいつの間にか「恥ずかしかったんだから」とか言い始めて、終いには「だもん」だ。


 人は変わるものだし、そもそもキョーコは女の子なわけだから、彼女のそういう変化は悪いことではない。だが、何が彼女を変えたのか? それは少し気になるところだ。いつから変わったのかと言えば……身に覚えはある。


 漆黒の森から帰ってきて、いなくなったキョーコを探して展望台で見つけたとき。そう、あの……‥キ……キスをしたとき。あの辺りから彼女の態度や口調が変化していたように感じられる。もちろん、何かのタイミングで以前の彼女に戻ることもあるが、その回数は徐々に減ってきているようにも思われる。


 ともあれキョーコの中で、何かが変化しているのは確かだろう。それによって苦しんでいるというのも見て取れる。ここは魔王上司として、相談に乗ってやらないといけない場面ではないのだろうか。


 そう感じた私は、治療を終え二人で廊下を歩いているときに「どうした、何か悩みごとでもあるのか?」と尋ねてみる。キョーコは「悩み……なのかどうかは分からないけど」とモゴモゴ言うばかり。


 そうこうしている内に、私の部屋の前にたどり着いた。


「ちょっと寄って行け。茶でも振る舞おう」

「……えっ、りょーちゃんの部屋に? 何、何する気?」

「いや……だから、お茶でも……」

「あっ……うん、うん」


  うーむ、やはりおかしい。ひとまず椅子に座らせて、茶葉を選定する。こういうときには……カナミールティに限るだろう。独特の香りが心を落ち着かせ……って、切れてるじゃないか。この前まで瓶に一杯入っていた茶葉が、いつの間にかなくなっている。そういやこの前、ボンの奴が「サイキン オチャ スキナンダヨネー」とか言ってたな。あいつか……。


 仕方がないので、先日マルタにもらった茶葉を取り出す。これ、なんていう名前だったっけなぁ……。何でも王室御用達の茶で、変わった効能があるとか、ないとか。「バルバトス。女の子にはこれを飲ませな」とか言ってたな。うん、これにしよう。


 湯を沸かし準備をしていると、先程叡智の魔図書室から持ってきた本をキョーコがパラパラとめくっている。


「ホウライ……ねぇ」

「そう言えば、前に聞いた昔の話。あれから何か思い出したことはないのか?」


 以前、キョーコと展望台で話をしたとき、彼女は「3年前以上の記憶がない」と言っていた。「気がついたら砂漠のど真ん中に立っていた」「その後大陸中を周り、ここへやってきたとき、子供のころ私と会っていたことを思い出した」とも語っていた。


 年齢的に私と彼女の記憶が一致しないのも気になるところだが、それも含めてもっと昔の記憶が戻れば解決しそうな気も……する。だから、私はそれに期待していたのだが、キョーコは「全然」と首を振る。


 まぁ無理をすることはない。きっとそのうち思い出すだろう。


 キョーコは退屈そうにページをめくっている。パラパラパラ……と、とても読んでいるとは思えないのだが……。


「お前、全然読む気ないだろ」

「だって、文字って目で追ってると眠くなっちゃうし」

「本はいいぞ。色々な知識を与えてくれるし、視野も広くなるしな」

「へぇ、そうなんだ。ってか、りょーちゃんこんなのばかり読んでるの? どうせ読むのなら、もっと面白い本の方がよくない?」

「こんなのとはなんだ。歴史書は素晴らしいものだぞ。過去から学ぶことで未来を見通す力を得ることができるし、歴史の謎っていうのも魅力的で――」

「ふーん、例えば?」

「さっきもランドフルさんと話していたのだが『ヴェルニアの大行進』って知ってるか? ヴェルニア共和国に押し寄せた、無数のモンスターを一人の英雄が救った話なのだが――」


 茶をカップに注ぎながら、私は歴史のミステリーについて熱く語る。キョーコは黙ったまま話を聞いている。どうだ? 一晩でモンスターを撃退した無名の英雄の話。面白いと思わないか……って、どうした?


 キョーコは椅子に座ったままテーブルに手を置き、真っ青な顔をしていた。額にはうっすらと汗が滲み、その一滴がポタリとテーブルに染みを作る。


「おい、キョーコ? どうした、どこか具合が悪いのか?」


 慌ててキョーコの元へと駆け寄る。彼女はわずかにうつ向いて、テーブルをじっと眺めている。カサカサになった唇がわずかに動き、ブツブツと何かを言っているのが聞こえた。


「ヴェルニア……モンスター……数えきれないほど……」


 もしかして怖かったか? モンスターが集団で人間に襲いかかるという事件は、ヴェルニアの大行進を除いては近年ではほとんど起こっていない。だから、その光景を想像して恐怖を覚えてしまったのだと私は思った。


 だが、彼女の口から「――私が殺した」という一言を聞き、ハッとする。


 ヴェルニアの大行進が起こったのが約3年前。キョーコの最後の記憶もちょうど同じころ。もしかして……いやいや、それは偶然の一致だろ。いくらキョーコの肉体強化魔法が強いからと言って……。


 テーブルに肘をつき、うつ向いたままの彼女の肩にそっと手を置く。カタカタと震えているのが分かった。


「キョーコ、キョーコ! しっかりしろ! 私を見ろ!」


 肩を掴んで、無理やり私の方へ向かせる。彼女の目は焦点が合っておらず、瞳は私を見ているようで見ていない、どこか遠くの光景を見ているように感じられた。一見無表情にも見えるが、それでいて怒りに満ちているような、悲しみを抱いているようにも思える彼女の顔に、私は一瞬戦慄を覚える。


 それは初めて彼女と対峙したときのものとは違っていた。あのときは「彼女の力」に恐怖を覚えた。だが、今私が感じているのはそれとは違う何かだ。上手く言えないが、憎悪の塊のような、もしくは悪意の権化のような、そんなものと向き合っているように思われた。


 彼女を離してはいけないと思いつつも、私はその恐怖に一瞬怯んでしまう。肩を掴んでいた手の力が一瞬緩む。同時に彼女の震えが止まるのが分かった。「りょ……ちゃん……」絞り出すような声で言う。


「……逃げて」

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