第64話「なんか変だぞ」

 魔王的食器洗浄皿洗いを終えて、ダンジョンへと戻ってくる。『憩いの我がダンジョン亭』は相変わらずの大繁盛で、多くの冒険者たちで賑わっていた。最近では、売上もダンジョンよりも良いことも多く、何とも複雑な心境ではあるが、収入は多いに越したことはない。


 疲れた身体で階段を登りながら、本を読もうとしていたことを思い出した。『叡智の魔図書室』へ向かいドアを開ける。ガランとした部屋の隅に書棚があり、その前にリッチのランドフルさんが立っていた。


 手に辞典のような分厚い書籍を持ち、立ったまま読ん……寝ているだと!?「ちょっと、ランドフルさん、こんなところで寝ちゃ風邪引きますよ」肩を掴んで揺すってみる。うっすらと目を開け「寝とらん、ワシは寝とらんぞ」と、目をショボショボさせている。いや、寝てましたよね。


「それはそうと、どうしたバルバトス。こんな夜中に」


 そう言ってランドルフさんは、手に持っていた書籍を閉じた。ダンジョン最年長でもあるランドルフさんは、リッチでありながら非常に勉強家でもある。結構なお年ということもあって、ここ数年ほどは本業は控え目にしてもらっているので、ここに籠もって本を読み漁っているのが、最近の彼の習慣となっていた。


「ええ、ちょっと本を探しに」


 そう言って、ランドルフさんの持っていた書籍に目をやる。表紙には『大いなる歴史シリーズⅦ 〜ヴェルニアの大行進〜』というタイトルが書かれているのが見えた。


 ヴェルニアの大行進。今から3年ほど前に、北方に位置するヴェルニア共和国を襲った悲劇の通称だ。


 大陸でも随一の経済大国として知られるヴェルニア共和国。その首都を突然モンスターの大群が襲撃した。理由は諸説あるが、共和国の乱開発によりモンスターたちの生息地が脅かされたことに端を発し、一部の過激な思想を持ったモンスターが扇動して起こった、というのが有力な説だ。


 首都へ迫るモンスターの大群に始めこそ善戦していたものの、やがて数に圧倒され敗退を続けた共和国軍は、1週間ほどで防壁内まで押し込められるに至った。巨大な防壁のお陰で、首都になだれ込まれることは避けられたが、一歩も外へ出ることもできないまま1ヶ月が過ぎた。


 何度か停戦を呼びかけたが、狂乱したモンスターたちの耳に届くことはなかった。それどころか、使者を虐殺して送り返すなど、モンスターたちは本来彼らが持っている本能のままに行動しているようだった。


 籠城戦と化した結果、共和国の食料は尽きつつあった。このまま餓死を待つか、それとも討って出るか。


 共和国は精鋭を集め、一点突破で国を脱出。近隣諸国へ救済の使者を出すことに決めた。精鋭たちは予定通りに包囲網を突破しつつあった。しかし、圧倒的な数の暴力の前には、それでも力は小さすぎた。


 あと一歩のところで彼らは包囲され、捕らえられ、殺された。その遺体は十字架に縛り付けられ、城門前に掲げられたという。


 誰もが絶望し、死を意識し始めたとき。防壁を見回っていた兵士が、暗闇の中で何かの音を聞く。深く茂った森の中で、何かが恐ろしいほどの速さで駆け巡り、モンスターたちと戦闘を繰り広げているようだった。


 時折聞こえる爆発音とモンスターの悲鳴、それに闇に浮かぶ数々の閃光。兵士たちは隣国の救援が来たのだと歓喜した。加勢しようという声もあったが、最早、軍と呼べるほどの戦力を持っていなかった共和国の兵士たちは、夜明けを待つことにした。


 感謝と共に、使者が殺されたというのにどうして我々の窮地を知ることができたのだろうか? という疑念が彼らの中になかったわけではない。だが、それよりもただ感謝の気持ちの方が大きかった彼らにとって、そんなことはどうでもいいことであった。


 夜明け前になると、城外で鳴り響いていた戦闘の音は聞こえなくなってきた。陽の光が柔らかく周囲を照らし始めて、ようやく兵士たちは恐る恐る城門を開いた。


 そこで彼らが目にしたのは、信じられない光景だった。


 おびただしいほどのモンスターの死骸。あちらこちらの地面がえぐれ、その何箇所からかは、うっすらと煙が立ち上っている。木々は折れたり焼けただれたりしており、一部ではまだ火の手があがっている箇所もあった。


 倒れたモンスターたちの手には、共和国軍から奪った武器が握られていたが、その全てが折られ、破壊され、砕かれていた。


 あまりの凄惨さに、兵士の中にはそれを直視できない者もいるほどだった。彼らは死骸の山を踏みながら、状況を把握しようと歩を進めた。小一時間ほど探索をしていくと、ある兵士が疑問を投げかけた。


 我々を助けてくれた兵士たちの姿はどこだ?


 絶命して倒れているのはモンスターだけであった。稀にいた人間の死体は、全て殺された共和国軍の兵士のものであった。また、破壊された武器などは、全て共和国の装備品であることも判明した。


 ひとりの犠牲者も出さず、自分たちの武器も破壊されず、大量のモンスターたちを一層したというのか……?


 一通りの処理が終わったころ、共和国政府は近隣諸国へと改めて使者を派遣した。


「我が国の国難を救ってくれたのは、貴国か?」


 だが、どの国も首を横に振った。ヴェルニア共和国に派兵した国は皆無だった。それでは一体誰が、この大量のモンスターを打倒したのか?


 それは今でも謎のままだ。色々な歴史学者が様々な説を唱えているが、どれも信頼性に欠けているか、証拠のないただの妄想でしかなかった。


 ランドルフさんから受け取った書物では『ヴェルニアの大行進は、ある一人の英雄によって排除された』と結論づけている。共和国の首都から少し離れた村で、数日後ボロボロのローブを頭からまとった人物が目撃されている、と記述があり更に


 『彼こそが英雄に違いなかった。だが自分を称える村人たちを見て、彼はそっと姿を消した。まさに英雄の所業である』


書物の最後はそう締めくくられていた。


「伝説の英雄、勇者……まるでお伽話じゃな」


 ランドルフさんはそう言ってヒッヒッヒと笑う。


 英雄……ねぇ……。私の見立てはちょっと異なる。あれはヴェルニア共和国の自作自演だったのではないか。ヴェルニア共和国は、ホウライの襲来に対してさほど抵抗もせず、どちらかというと彼らを幇助した形跡がある。


 それ故に、大戦後には彼らの軍隊は他国からの監視対象となった。協定が結ばれ、共和国の軍隊は大幅に制限された。それの見直しが行われるきっかけになったのがヴェルニアの大行進だ。


 その事件以降、ヴェルニア共和国は他国と遜色ない軍隊を持つようになった。だから、私はそれを望んだ共和国の首脳たちによる自作自演説を強く推している。


 まぁ、これも証拠は一切ないのだが、歴史的にはこの方が面白いだろう?


 私は本をランドルフさんに返し、別の書籍を手に取る。『大いなる歴史シリーズⅣ 〜ホウライの襲来〜』。


 会長に一任した後、特にこれといった動きもなく、最早私とホウライの関係はないものと言っていいと思う。だが、私やキョーコのルーツがホウライにある以上、彼の国について今一度学んでおくことも、今後のためになると思った。


「あまり夜更かしするんじゃないぞ」


 本を手に部屋を出ていく私に、ランドフルさんが声を掛ける。


「ランドフルさんも早くお布団に入って下さいね。寒くなってきましたから、風邪引いちゃいますよ」


 「年寄り扱いするな」と怒っていたが、実際年寄りなんだし、もう少しは気を使って欲しいところだ。


 部屋を出て階段を登る。3階へ行き自室に戻ろうとしていると、廊下でばったりキョーコと出会う。私の顔を見るなり「あっ」と言って、Uターンしようとする彼女の腕を掴む。


「ちょっと待て。お前、なんか最近変だぞ」

「別に。そんなことない」

「じゃあ、どうして私を避ける」

「……避けてないし」

「今、目の前で避けたじゃないか」


 指摘すると、キョーコは振り返り、キッと私の顔を睨む。やっぱり何か怒ってるのか……。睨まれたことにちょっとだけ震え上がりそうになりながらも、何とかそれを我慢。


「もしかして、ホウライに連れて行かなかったことを怒ってるのか?」

「……ホウライだけじゃない」

「ん? どういうことだ?」

「ダークエルフの森に行くときだって、あたしを置いていった」


 あー、そう言えばそんなこともあったな。でも、キョーコよ。そっちは確かにそうだが、ホウライのときは、そもそもお前、何も言わなかったじゃない?


 だが、キョーコは「それはっ……それは、バル……りょーちゃんが誘ってくれなかったんだもん」とぷくーっと頬を膨らませる。


 「だもん」……だと……。

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