第59話「お前、どうしてここに」

 ハンドル下にある赤いボタン。『もうダメだと思ったら押せ』とニコラは言っていた……が、一瞬戸惑う。


 本当に大丈夫なの、これ?


 改めて見ると、ボタンにはうっすらとドクロのマークが浮き上がっている。「もうダメなときの自爆ボタン」じゃないよな……。しかし迷っている暇はない。再び女の馬車が迫ってきている。あとどれほど体当たりに耐えられるのか分からない。


「アルエルしっかりつかまってろ!!」


 アルエルが座席にしがみついたのを確認して、ボタンに手を置き……押す。同時に、カッと周囲が明るく光った。うおっ、前が見えん、なんだこれ!?


 かざした手の隙間から周囲を確認すると、魔導馬車を取り囲むように巨大な魔法陣が浮かび上がっていた。青白く発光しているそれは、我々と並走しながらゆっくりと回転している。


「ばばばばばばバルバトスさまぁぁぁぁぁ」

「ああああああアルエルぅぅぅぅぅ」


  馬車が激しく振動を始める。上下に激しく揺さぶられて、周りの景色が2重3重に見えた。


「だだだだだだいじょうぶぶぶぶ、なななななんですすすかかかぁぁぁ!?」

「しゃしゃしゃしゃべるなななな、ししししたたたたをかかかむぞぞぞぞぉぉぉ」


 目の前に広がっていた平原がゆっくりと歪んでいく。我々の進路の先を中心に景色がぐりゃりと伸びていき、遠くに広がる山脈、広大な森林などが引き伸ばされたかのように後方へと広がっていった。


 やはり自爆だったのか……あぁ、あの世の景色はなんと美しいことだろうか……。


 そんなことが脳裏をよぎる中、突然周囲が一層より明るく光る。目も眩むほどの閃光が辺りを包み、身体がふわりと浮いたような感触を覚えた。次の瞬間、光は消え失せ再び周囲の景色が映る……と同時に、魔導馬車にフルブレーキが掛かる。


「ぶへっ!」


 私とアルエルはその衝撃で前へ突き飛ばされる。魔導馬車は聞いたことがないような轟音を上げながら、急速に速度を落としていく。やがてそれに耐えきれなくなったのか、馬車は回転を始めた。景色がグルグル回っている。それが永遠に続いていくような感触を覚え始めたころ、ようやく魔導馬車は停止。


「うぅ……だ、大丈夫か……? アルエル?」


 隣を見ると、アルエルは馬車の前方に設置されているガラスに顔を埋めて……伸びていた。フラフラになりながら、馬車を降りアルエルを引っ張り下ろす。ふぅ、どうやら気絶しているだけのようだな。


 地面にアルエルを寝かせたところで、ようやく追手の存在を思い出した。慌てて周囲を確認するが、私たち以外に誰もいない……と言うか、どこだここは……?


 ホウライ周辺、というよりも大陸を南北に横断しているウェリンストン山脈以東は、我々の国と比べて気候が違うせいか、生えている植物も違う。周囲に生えている木々や草花は、彼の地のものと言うよりは……どちらかと言えば、我が国のものに似ている。


 いや、もしかしてここは……。


「あ、バルバトスさまっ!」


 周囲を見回しているときのことだった。どこかで聞いたことがある声が聞こえてきた。少し離れたところにある茂みから、ぴょこっと顔を突き出しているのはダークエルフの幼き長、エルリエン――エル。


「お前、どうしてここに……」

「それは私のセリフでしゅ……です! 確かホウライに行かれると聞いてたのですが」


 そう言いながらエルが駆け寄ってくる。いや、そうか。やはりここはダークエルフたちの拠点、漆黒の森の端なのか……?


 戸惑っていると、何者かにガンッと後頭部を殴られる。


「いてっ!!」

「長の質問に答えろ。ダンジョンマスター」


 頭を擦りながら見上げると、そこにはエルの護衛役であるラエスギル――ラエが立っていた。まるでゴミを見るような目で私を見下している。一部の人にとってはご褒美というらしいが、あいにく私にその属性はない。


「こちらの……方は……もしかして……」


 傍らに横たわっているアルエルに気づいたエルが、言葉を詰まらせながら指さしている。しまった。そこでようやく事態の深刻さに気づく。アルエルは元々彼女らの一族の者だ。エルの先代がアルエルを一族から放逐した。


 以前、漆黒の森を訪れた際も彼女を連れていかず、彼女の話題すら出さず、お互いに触れないようにしていた。それが今対面している。「いや、すまない。すぐに出発するから」そう言って、アルエルを起き上がらせようとする。が、エルはそれを制し言う。


「駄目ですよ。どうやら頭を強く打っているみたい……。ラエ、担架を持ってきて。しばらく安静にしておかなくては」

「しかし長。その娘は――」

「分かっています!!」


 ラエに有無を言わせぬように言葉を重ねるエル。


「過去の遺恨は過去のもの。先代がどのように思い、彼女を追い払ったのかは私も知りません。でも、彼女は……」


 珍しく流暢に話すエル。それだけ必死なのだろう。ラエも小さき長に圧倒されたかのように、言葉を謹んでいる。


「彼女は私たちの同胞なんですよ!」


 エルの言葉にラエはサッと踵を返し、森の中へと消えていった。ホッとしているエルに「ありがとう」と伝える。エルは少し赤くなりながら「本当のことでしゅ……すから……」と小さく答えた。


 それにしても……。アルエルをエルに任せて、魔導馬車へと戻る。4輪あった車輪はひとつ失われ、無残にも傾いている。車体のあちらこちらが焦げており、ツンとした匂いが広がっていた。


 車体の後方には車輪が地面に付けた跡が盛大に伸びており円を描いている様子から、我々が回転しながらここまでやってきて、ようやく停止したことが伺えた。その跡を追っていくと、かなり遠方まで続いており少し小高くなっている箇所で途切れている。


 その周囲の草は焼けただれており、煙が上がっていた。まるでここから私たちが出現したかのようだ……。あの短時間で、大陸の東の果からここまで、ほぼ大陸東西を横断したというのか? 一体どんな魔術を使ったらそんなことが可能だと言うのか……。


「バルバトスさまー!」


 振り返ると、エルたちのいた場所から4人の少年が手を振りながら走ってくるのが見えた。先頭を走るのは相変わらずガタイの良いラスティン。それにこの魔導馬車を作ったニコラが続き、はるか後方にはヒューとコーウェルが息も絶え絶えと言った感じで、ヨロヨロと走っていた。


「お久しぶりです!」

「久しぶりだな、4人とも元気そう……だな」


 死にそうな顔をしてゼエゼエ言っているヒュー、コーウェルはともかく、ラスティンとニコラは目を輝かせながら私に握手を求めてきた。その手を握りながらニコラに「ちょっと聞きたいことがある」と言った。


「魔導馬車のことですか? えぇ、例のボタンを押されたんですね。どうやら上手くいったみたいです」


 ニコラが言うには、あれは時空を歪め魔導亜空間を作り出すことで、どんな距離でも一瞬で移動できるものらしい。そんな魔法は聞いたことがないが、複数の魔術を組み合わせひとつの魔導器に術式を書き込んでいると言う。


「ダークエルフ独自の魔法なんですよね。ぼくも知らなかったんですが、彼らの協力の元、魔導器の開発に成功し仕込んでおきました」


 なるほど、それを発動させるのがあのボタンというわけか。すごい発明だな、あんなのは見たこともないぞ……って、聞きたいのはそういうことじゃない。


「もしかして、実験してなかったのか?」

「ええ、あとで実験しようとは思ってたんですが、その前にバルバトスさまが使うっておっしゃったので」


 あー……うん、まぁ成功してよかったよね。一応さ、一応聞いておくけど、もし失敗したらどうなってたの、あれ?


「うーん。どの段階で失敗するかにも依るのですが、最悪は魔導亜空間に閉じ込められて、一生出てこれなくなるとか……かな?」


 「かな?」じゃないだろ!! と言いたいところだが、グッと我慢。彼の作ったあの装置に助けられたのは事実なのだから。


「バルバトスしゃまー!」


 遠くでエルが手を振っている。ラエともうひとりのダークエルフが、アルエルを担架に乗せて運んでいた。エルの元に戻ると、彼女は少しはにかんでいた。さっき噛んでたのが、ちょっと恥ずかしかったみたいだが、まぁいつものことだから気にしてないぞ。


「アルエルさんが目覚めるまで、私たちの森に来て下さい。見せたいものがあるんです」

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