第58話「魔王が命じる」

 女の声で、男たちが一斉に飛びかかってくる。距離はやや離れているものの、のんびりと構えてはいられない。瞬時に対策を考えるが、魔法を警戒してかバラバラに散らばりながら襲ってくる彼らを一撃で倒すのは不可能だろう。


 ならば……。


 『大地の守護アースシールド』を唱える。両手を地面に叩きつけると、魔法陣が浮かび上がった。同時に地響きがして周囲の地面にひび割れが走り、右前方から走り寄る男の足元の地面が一気にせり上がる。


 轟音を立てながら地面はグイグイ上へと伸びていく。3人ほどの男がそれに足をとられ転倒していた。その向こうに魔導馬車が見える。よし、突破口は開けた。


「アルエル、走るぞ!」

「は、はいっ!」


 アルエルの手を取って走り出す。魔法でせり上がった地面のちょうど横をすり抜ける辺りで、転がっていた男の一人が「逃がすかっ!」と立ち上がり、私たちの方へ向かってきた。チッ。手をかざし無詠唱魔法を放とうとしたとき、アルエルが私の手を振りほどく。


「おい、アルエルっ!?」


 アルエルの手が、腰からぶら下げていた細身の剣の柄を掴んだ。それを抜くと「えぇぇぇいっ!!」と振りかぶった。


 剣が夕日を受けて鈍く光る。


 そうだ、アルエル。特訓の成果を見せてやれ! 一瞬の静止の後、それは勢いよく振り下ろされ――盛大に男の目の前の地面にヒット。そのまま地面に剣先が突き刺さる。


 って、おい! 外しちゃダメだろ!! だが、男も驚いたらしく唖然とした顔でその剣をじっと眺めていた。今のうちにアルエルを引き剥がして逃げよう。しかしアルエルは「うーーーん!」と地面に刺さった剣に力を込めている。


「うぅぅぅぅーん!!」


 剣が地面からボコッと抜け、そのまま――


 男の股間にヒットした。男は声にならない声を上げ、そのまま泡を吹きながら倒れた。うわぁ……。敵ながら思わず同情してしまう。


「やりましたっ!」


 うん、まぁ凄いよね。でもちょっと後で、お話をしようか。


 他の男たちも、倒れている仲間の惨状を見て躊躇している様子だ。今のうちに逃げるぞ。


 私とアルエルは魔導馬車に乗り込む。我に返った男たちが、それを阻止しようと必死で追いすがってくる。だが残念だな、私の方が早い。キーをひねり魔導エンジンに点火。車輪が地面をこする音がして、勢いよく魔導馬車が飛び出す。


「助かりましたぁ」

「危なかったな」


 私ひとりならば浮遊魔法で逃れられたし、そこからの反撃も可能だっただろう。しかしアルエルを守りながらの戦闘では、手が限られる。誰かを守りながら戦うという経験が不足していたのだ。まぁ今回は助かったから良かったものの、これは一考の余地ありだろうな。


「バルバトスさまっ!」


 アルエルの声で後ろを振り返ると、数両の馬車が土煙を上げながら追ってくるのが目に入ってきた。しついこいヤツラだ。魔導の利器を舐めるなよ。アクセルペダルを深く踏み込む。


 だが、2頭立ての馬車の速度は思っていた以上に速く、なかなか引き離せない。辺りは一面平原が広がっており、隠れる場所もない。魔導馬車を飛ばすのにはいい地形だが、追われる立場ではそれが仇となる。


「アルエル、何か武器はないのか!?」

「えええっと、ちょっと待って下さいね」


 アルエルが荷物を漁る。山ほど荷物を持ってきたんだから、この状況をなんとかできるものも入っているんじゃないか? そんな淡い期待を抱いた。だが「これは……ダメ」「これは違う」「これも……使えないか」と、トランプやらチェスボードやらが飛び出してくるバックパックを見て、それが間違いであることに気づく。


 って、遊び道具ばかりじゃない!? 君、何しにここに来るつもりだったの? こうなれば仕方がない。アルエルと運転を代わってもらって、私がなんとかするしか……。


「あっ、これはっ!!」

「どうした? 何か良いものがあったのか!?」


 振り返るとアルエルが手にしていたのは、いつぞやの魔導の杖(レプリカ)。


「これでなんとかします!」

「できるわけないだろ! 絶対ムリ!!」

「やってみないと分かりませんよ、バルバトスさま。諦めたらそこで終わりです!」


 言っていることは格好いいんだけど、それレプリカじゃん……。アルエルは馬車の後方へ向かうと、杖を振りかざす。


「大地を守護する我らの神よ……」


 おぉ? 


「その大いなる力をもって……」


 それは……さっき私が使った『大地の守護アースシールド』の呪文じゃないか! そうか、流石のダメっ子アルエルでも、ついさっき聞いたばかりの詠唱くらいは覚えているのか。


 前にキョーコに話したが、アルエルの魔力生成力は他に類を見ないほど高い。『大地の守護アースシールド』はもちろん、どれほど強力な魔法であってもリアルタイムで魔力を生成できる。


 私がアルエルに本気で魔法を教えていない理由は、アルエルを戦いの場に送り出すのが怖かったことにある。アルエルが詠唱を覚えられないのを都合のいい理由にして、私は「使えないのならば使わないでもいい」と思っていた。


 だが、やはり彼女は自分で自分の身を守る術を身につける必要がある。先程のように私が守ってやれればいいのだが、そういうときばかりではないだろう。


 よし、アルエル。やってしまえ! ドカーンとかませ!


 しかしアルエルは杖を持ったまま微動だにしない。どうした? もしかして続き、忘れちゃった……? しかしよく見るとアルエルの肩が震えているのが分かった。


 そうか。


 自分が初めて魔法を使ったときのことを思い出す。剣や槍とは違い、魔法は物理的な接触なしに相手にダメージを与えることができる。しかもそれは剣や槍の何倍もの強さを持っている。私が初めて魔法を行使したときに感じた感情は、嬉しいでも楽しいでも凄いでもなく「怖い」だった。


 自分の力以上のものを発揮するというのは、人にとって不自然なものだ。


 きっとアルエルもその葛藤を抱いているのだろう。目の前で見た呪文の威力。それが自分の言葉で発せられる。その結果、彼らの多くは傷ついてしまうだろう。中には命を落としてしまう者もいるかもしれぬ。


 アルエルがそれを抱えるのは、私としても本意ではない。が、状況はそうは言ってくれない。ならば、私がそれを代わりに抱えてやればいいだけだ。


「アルエル、魔王が命じる」


 魔導エンジンのけたたましい音の中、アルエルの息を飲む音が聞こえたような気がした。


「やれ」


「その力を持って……我らを守り給え!」


 アルエルの詠唱と共に、背後で轟音が鳴り響く。ブレーキをかけ魔導馬車を停止させた。辺りを覆い尽くしている土煙が夕日を帯びてキラキラと光っている。その奥に巨大な土の壁が出現していた。


 これは……。


 私がこの魔法で作れる土の壁の高さは、どれほど魔力を注いでも数メートルほどが限界だ。しかし、アルエルの魔法によって出来上がったそれは、その10倍以上もある。まるで小高い山が突然出現したかのようだった。


 いくらダークエルフが魔法に長けているとは言え、常識では考えられないほどの魔力が注がれたことになる。それを思うと、少し身震いする。が、アルエルの手前、それは見せられない。


 私は呆然と立ち尽くしているアルエルを、背後からそっと抱きしめる。「大丈夫だ。前だって彼らは死んでなかっただろう? 今回だって大丈夫さ」と言うと、黙って頷いていた。振り向いて「私にもできました」と笑っているが、その顔に力はない。


 「お前のせいじゃない。私が命令したからだ。お前はそれに忠実に従っただけ」と慰めてやろうかと思っていた。しかし土煙の奥で蹄の音が聞こえてきて、慌ててそちらを見る。


 どうやら何とか回避した1両がいたらしい。しかもそいつは、あのリーダーの女が乗っている馬車だった。何か叫びながら馬にムチを打っている。急いで運転席へと戻る。魔導馬車を出発させるが、勢いの付いた2頭立ての馬車はすぐ背後まで迫ってきていた。


「アルエル!」


 もう一度魔法を、と言おうしたが、アルエルはへたりこんでしまっている。ショックだったのか、大量の魔力を放出して力が抜けてしまったのか。いずれにしても、アルエルを頼るわけにはいかない。どうする……。


 女の馬車が私たちの隣を並走している。ガンッと音がして魔導馬車のハンドルが取られる。見ると女が馬車で体当たりをしていた。マズイ、このままでは……。魔導馬車を止めても事態は解決しないだろう。あれだけのことをしたのだ。彼女らが私たちを許すはずがない。


 ボン、ロック、ランドルフさん、薄月さん……。ダンジョンの皆の顔が浮かぶ。すまない、もしかするとこれはもう駄目かもしれない。レイナ、マルタ……キョーコ。


 こんなとき、演劇などであれば愛する人の顔が浮かんできたりするのだろう。しかし、私の脳裏に再生されたのは、他の誰でもない。剣士4人組のひとり、ニコラの満面の笑みだった。


『もうダメだ~、と思ったときには、それを押して下さい』


 私はハンドルの下にある赤いボタンに手を伸ばした。

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