第57話「順調ですね」

「なんだか随分寂しいところですねぇ」


 アルエルが不安そうにキョロキョロ辺りを見回している。私たちはホウライの帝都、アスカに潜入していた。帝都と言っても、城門は崩れ去り関所なども既に存在していなかったので、何の苦労もなく入ることができた。


 手に持っている地図に視線を落とす。今いるのが帝都を南北に貫くメインストリート。向こうの方には、うっすらと皇帝の居城『アスカ城』の姿が見える。私はダンジョン協会の会長、レンドリクスから手渡された指令書を取り出した。


 そこには私がここですべきことが書いてある。帝都の現状とその地図。おおよその人口や兵士、武装とその配置。その他細々したものもあるが、おおよそあの男、ハクが手渡してきた資料に書いてあることばかりだ。


 とは言え、それを素直に信じるわけにはいかない。それにこの資料の存在は明かさない方が良いような気がしてきていた。ホウライの者と私が接触していることを報告すれば、レンドリクスはともかく、あの国王カールランド7世がどう思うだろうか……?


 それを考えると、調査自体はこの資料を参考にしながら「答え合わせ」しておき、別にキチンとしたものを用意すべきだと思う。できるだけ早く帰りたいと思っていた私は、初日から作業に明け暮れた。帝都を歩き回りながら思う。それにしても……。


「人、少ないですよねぇ」

「うむ、確かにそうだな」

「王都とは大違いです」


 アルエルの言うように、カールランド王国の都とは段違いの人の少なさだった。メインストリートだというのに、人はまばらで商店などにも活気がない。かつて大陸を席巻した帝国の首都とは思えないほどの衰退ぶりだ。


 それに街を歩いている衛兵などもほとんど見かけない。ときにホウライ独自の武具に身を包んだ兵士とすれ違ったりするが、その多くは身なりに見合わないほどの貧相な体格をしている。帝都を防護するはずの兵士がこの体たらくで良いのだろうか? と、他人事ながら心配してしまうほどだ。


「今日はこの辺にしておくか」


 一日を終えて一旦郊外に向かい、野営の準備をする。先日の件もあって流石に宿泊施設へ向かう気にはなれなかったし、そもそも帝都にろくな宿屋がなかったのだ。ちょうどよいことに、少し離れた場所に小高い開けた場所があったので、そこにテントを張る。


 夜襲される危険もあったが、トラップ魔導器を周囲に設置したので、まぁ大丈夫だろう。


「お仕事は順調ですね」

「そうだな……」


 焚き火を起こしながら、あまりに順調すぎることに疑問を感じた。ここまでハクの資料はほぼ完璧なものだった。多少の誤差はあるものの、大きな点では違いはなくホウライの現状を正しく記したものであることは間違いなさそうだ。


 ハクがこれを私に渡した理由は何なのか? 私はホウライが再び軍備増強に走っており、それを隠すため、偽の情報を掴ませようとしたのではないかと思っていた。しかし現状のホウライを見る限り、それは正しくないように思われる。


 街で見かけた兵士たちを見る限り、とても兵力とは呼べない者ばかりだ。せいぜい治安維持が精一杯だろう。そう考えると、ますます混乱してくる。ハクの資料は正しい。資料も現実も、ホウライの凋落を的確に示している。それならば、なぜ彼はこの資料を私に手渡したのか?


 考えられる可能性としては「カールランド王国などが、ホウライへの不信を高めている情報を察知したハクたちが、弁明のために正確な資料を手渡した」ということだろうか。しかしそれならば、ハクが漆黒の森で活動していた理由は一体何だったのだろう?


 それに何か大切なことを見落としている気がする……。


 頭が混乱してきて、私は考えるのを止めた。そもそもそれは私の仕事ではない。私の役割は、調査し結果を王都に持ち帰ることだ。それ以外のことは私にはどうすることもできないことなのだ。


 テントに滑り込むと、毛布にくるまったアルエルは既に寝息を立てていた。寒いのか膝を抱えるように小さくなっている。私の毛布をそっと掛けてやる。思っていた以上に疲れていたのか、アルエルの隣に転がって目を閉じた瞬間、眠りに落ちてしまった。



□ ◇ □



「バルバトスさまっ! 朝ですよ、起きて下さい!」


 アルエルの声で目を覚ます。うぅ、寒いっ! 震えながら起き上がると、フライパンを片手にアルエルが「ご自分の毛布を私に掛けたりするからですよ」と困ったような顔をする。


「寒いのには慣れているからな。ほら『最後の審判』なんてキンキンに冷えてるし」

「ダメですよ。バルバトスさまはもうお歳なんですから、身体のことに気を使わないと」

「なっ!? 歳って、まだ25だし! 世間的にはまだまだ若者の部類だし!」

「若者って言葉、本当の若者は使わないと思いますよ」


 アルエルのくせに、妙な正論を……。


 ブツブツ文句を言いながら、テントを畳みトラップを回収する。戻ってくるとアルエルが「もうすぐご飯できますから」と言う。


「買った缶詰とかがあるだろう?」

「缶詰だとちょっと寂しいじゃないですか。それに冷たいし。ちょっと組み合わせてお料理してみたんですよ」


 王都でお弁当を食べたときにも思ったのだが、アルエルは、料理の腕だけはメキメキ上がってきている。「早くバルバトスさまのように、お料理を上手に作れるようになりたいんです」と言われると悪い気はしないのだが、いやでもそれ「バルバトスさまのように強くなりたいんです」とか言う所じゃない? 普通。


「おっ、美味いな」

「わー、本当ですか? もうバルバトスさまを超えちゃいましたか!?」

「いや、まだまだ魔王的料理センスには敵わないがな」

「えー」

「それでも初めて作ったときのことを思うと、相当の進歩だぞ」

「初めて……」

「うむ。あのときは大変だったからなぁ。突然『最後の晩餐食堂』が爆発して――」

「それは内緒なんですぅ!」


 まぁ、実際あのときは大変だったんだがな。「たまごやきをつくります〜」とキッチンに立ったアルエル。ちょっと目を離したすきにボンッと大きな音がして、黒い煙の中から髪の毛がチリチリになったアルエルが泣きながら現れたときは、本当に肝を冷やしたものだ。


 どうやったらたまごやきで、あんな爆発が起こるのか知りたいくらいなのだが……。


 朝ごはんを食べた後は、身支度を済ませる。荷物を魔導馬車に詰め込むと、再び帝都に向かった。1週間ほどは掛かるかと思っていた調査は、ハクの資料のお陰で2日目にして早くも完成にこぎ着けた。早く帰りたいと思っていた私にとっては好都合だ。ダンジョンも心配なのだが、こんな場所に私はともかくアルエルを長く置いておきたくないと思ったからだ。


「よし、後は帰りながらまとめればいいだろう。もう1泊だけして、明日の朝にここを立とう」

「思ってたより早くできてよかったですね」

「うむ、早くダンジョンのフカフカのベッドで寝たいも――」


 帝都の路地を歩いていた。夕日が赤く景色を染めていた。少ないながらに僅かに行き交う人たち。その中の一人とすれ違ったとき、何か違和感を感じて私は言葉を詰まらせる。慌てて振り返ったが、既にその人物はいなくなっていた。


「どうかしたんですか?」


 アルエルが不思議そうに訊くが、私は答えられない。どこかで見たことがあるヤツだった気がするのだが……。誰だったかな? 思い出せない。それほど重要な人物ではなかったのかも? それもそもそもここはホウライだ。この地に知り合いなどいるはずがない。


「勘違いだったのかもな。何でもないぞ、アルエル」

「はぁ……」


 それよりも今は、日が暮れるまでに野営地に戻らないといけない。1泊するにしても、暗い中では準備もままならないからな。早足で街を出て、魔導馬車の置いてあった場所へ急ぐ。


 郊外に着くと、魔導馬車を置いてあった小高い丘に、いくつかの人影が見えた。近づいていくと、その一人が口を開く。


「姉御! 来やしたぜ、あいつだ!」


 よく見ると、それは先日私たちを襲った宿屋のヤツラだった。あのときは3人だけだったが、今は10人ほどに増えている。


「気をつけな。あいつは魔法を使うからね」


 姉御と呼ばれた女がそう言うと、男たちは私たちを囲むように広がった。


「一斉にかかりな」

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