第56話「それは嘘」
「あ~、いいお湯でしたぁ。……バルバトスさま、何してるんですか?」
突然ドアが開いて、飛び上がるほど驚く。もぉ、ノックしてって何回言ったら分かるの、この子は。
宿屋に着き、部屋に入った私の目に飛び込んできたのは、キレイに整えられた2つのベッド。しかもなぜかくっついて置かれていて『ベッド・ベッド・デスク』の順で並べられている。いや、普通こういうのってさ『ベッド・デスク・ベッド』みたいな感じで置くものじゃないの!?
そう言えば宿屋の女主人が「ごゆっくり~」とニヤニヤ笑っていたな。気を使ったつもりかもしれないが、余計なお世話だと思った。
アルエルがお風呂に行っている間にベッドを移動させようとしたのだが、思っていた以上に重くて動かない。やむを得ず肉体強化の魔法を唱える。キョーコほどではないが、通常比1.5倍ほどの力は出せるようになるはずだ。
ふんむ、とベッドに手をかける。おぉ、動くぞ! 少しずらした所で、アルエルが部屋に入ってきたというわけだ。ベッドを引きずっている私と、頭から湯気を上げているアルエル。しばらく沈黙したまま、気まずい雰囲気が部屋を支配する。
「えっと、あの……。バルバトスさまは、私の隣で寝るのはお嫌なんですね?」
「いやいやいや、そうじゃない。そうじゃないけど……ほら、我って寝相悪いし、いびきだってうるさいかもしれないし」
「……バルバトスさま、それは嘘ですね」
「えっ」
「バルバトス様が、自分のことを「我」って言うときは、クルーの前で虚勢を張っているときか、嘘をおつきになられているときなんですよ」
そうなんだ……。
「いえ、別にお嫌なのが気に入らないって言ってるわけじゃないんです」
ちょっとだけ悲しそうな顔をしながら笑うアルエルを見て、なんだか悪いことをしてしまったような気がする。ズズッとベッドを押して、元の場所に戻す。
「言っとくが、いびきがうるさくて寝れなくても知らないからな」
「大丈夫ですよ」
「寝相が悪くて蹴っても文句言うなよ」
「大丈夫ですっ!」
まぁそこまで言うのなら。ローブを脱いでキレイに畳んでテーブルの上に置く。こら、アルエル。脱ぎ散らかしたままにしないの。貸してみなさい。こう、こう、こうやって畳むんだぞ。
「風呂に行ってくる」
部屋を出て廊下を歩く。お風呂は共同で1階にあるそうだ。確か受付の隣に入り口があるとか言ってたな……。時間が遅いだけに受付にはもう人気はない。その奥にある部屋の明かりが点いていて中から人の話し声が聞こえた。
チェックインしたときは女主人ひとりだったようだが、他にも従業員はいたのだろう。遅くまでご苦労なことだ。左右を見回すと、お風呂への扉があった。
さほど大きな浴場ではなかったが、久々のお湯を堪能した。そう言えば最近は川の水で身体を拭くくらいしかできなかったからなぁ……。ん、やっぱりダンジョンにも大浴場を設置した方がいいんじゃないだろうか? 冒険でドロドロになった身体を、キレイサッパリにできれば冒険者の皆さんにも喜んでもらえるのではないだろうか……。
久々のダンジョン増築案にテンションを上げながら部屋に戻る。鍵を開け部屋に入ると、アルエルは既にベッドに潜り込んでいた。何やらむにゃむにゃ言っている。顔を近づけてみると「バルバトスさまぁ……」という寝言。
こんな私でも頼りにされているような気がして、ちょっとだけ嬉しい。大陸を横断するような旅は楽しくもあるだろうが、不安も多いのだろう。大丈夫だ、アルエル。私がついているぞ。
「バルバトスさまぁ……ふりかけ取って下さい……」
あぁ、いいとも……って、おい! 「バルバトスさまぁ」の後に続く言葉がそれかよ!!
ちょっとカチンときて、耳元で「そんなに食べると太るぞ」と呪文のように唱えてみる。眉間にシワを寄せながら「おデブにはなりたくないですぅ」と苦しそうな顔になっていた。
スッキリしたところで私もベッドに横になる。相手がアルエルとは言え、女の子の隣で寝るのは緊張して眠れない……と思っていたのだが、想像以上に疲れていたらしく、すぐにウトウトとしてしまった。
夢を見ていた。
ダンジョンの皆で新しいトラップを設置している。『憩いの我が家亭』が完成し、それを祝ってたくさんの料理を食べた。王都で武闘大会に出た。アルエルとキョーコとお弁当を食べた。剣士4人組やマルタ、レイナが新しくやってきた。キョーコが冒険者をふっ飛ばしている。止めに入った私の目の前に拳が近づいてきて……。
「ッテ!」
目を覚ます。あぁ、夢だったかとホッとするが、本当に頬に拳がめり込んでいるのを見て混乱した。振り向くとアルエルが大の字になっており、その腕が私にヒットしていた。
「お前の方が寝相悪いじゃないか……」
ムクリと起き上がり、毛布をかけ直してやる。日中はまだましだが、夜は寒いんだから風邪引くぞ。この寝相の悪さだと、また蹴飛ばしかねないな。毛布をアルエルに巻きつけて、簀巻きにする。これで大丈夫だろう。
もう一度寝るか、と横になりかけたときのことだった。ドアの向こうでギシッという木の軋む音がした。何か嫌な予感がして、アルエルを揺すって起こす。
「う〜ん……バルバトスさまぁ、もう食べられません〜」
「おい、声を立てるな。起きろ、アルエル」
「……どうかしたんですかぁ……?」
「何かおかしい」
音はゆっくりと、しかし確実に大きくなってきていた。誰かが廊下を歩いている音のように聞こえる。他の宿泊客だろうか? しかし、こんな夜中にうろつくだろうか? それにどうも足音を忍ばせているような歩き方が気になる。
小声でアルエルに服を着るように言い、私もローブを羽織る。ドアの鍵が静かにカチャリと開く音がして、ノブがゆっくりと回る。咄嗟に呪文を唱える。それが聞こえたのか、ドアが勢いよく音を立てて開いた。同時に2人の男が部屋になだれ込んでくる。
「おい、やっぱり起きてやがるぜ」
「どうする? 姉御」
男の背後に1人の人影が浮かぶ。「構わない、やっちまいな」月の光に浮かんだその顔を見て驚く。宿屋の女主人だ。
「この宿は、面白いサービスをしてるんだな」
「そうかい? この辺じゃ当たり前のサービスだよ」
「宿屋を装って、宿泊客の身ぐるみを剥ぐっていうところか」
「大人しく寝てれば、放り出すだけで命は助けてやるんだけどね」
「悪いが命も金も渡すつもりはない」
リブの言っていた言葉を思い出す。『コウガイハ、トテモキケン』ここまで順調に来たのですっかり忘れていたが、なるほどな。荒廃しているという噂のホウライで、まともな宿屋があるわけないというわけか。
彼らの様子から、この手のことには手慣れているように思われた。だが、私の敵ではないだろう。このまま魔法をぶっ放せば、それで終わりだ。だが、一応警告をしておくか。
「この私を鮮血のダンジョンの者と知っての狼藉だろうな?」
その言葉に男の1人が反応する。
「せ、鮮血のダンジョン……だと?」
「そう、今更命乞いしても遅いがな。まぁ、降伏するのなら命だけは助けてやらんでもないぞ」
「じゃあ、もしかしてお前は……」
「そう、我こそは鮮血のダンジョ――」
「神絵師のアルエルさんですか!?」
またそれかっ!!
どいつもこいつも、神絵師神絵師って!! って言うか、アルエル。どれほど名声を轟かせているんだよ!! すっかり大陸全土で有名人になっちゃってるじゃないの!?
隣で「いやぁ、えへへ」と頭をかいているアルエルを見て、ちょっとだけ嫉妬心が芽生えるのを感じる。本当は『
呪文を唱え直す。
『
「悪く思うなよ」
魔法が発動し、宿屋が大きく傾く。轟音と共に彼らの足元が崩れ、宿半分が消失した。立ち込める土埃が収まったころ、そっと下を覗くと瓦礫の中でうごめいている彼らを見ることができた。まぁ、魔法の中心点は外してやったので、命までは奪えていないはず。
荷物とアルエルを抱えて窓から飛翔魔法『
「大丈夫でしょうか?」
「動いてたからな。それに万が一のことがあっても、蘇生用のスクロールだって持ってるだろうし」
自分が襲われたのにも関わらず、相手の心配をしているアルエルを見て、私は不安を覚えた。彼女の優しさは長所でもあるが、いつかそれが彼女を傷つけてしまうことがあるのかもしれない……。
私が側にいる限り、そんなことはさせないが。
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