第50話「背負うものが多いと」

 ダンジョンを離れても……だと?


 ファンの言葉に一瞬言葉を失う。だが、彼らの言いたいことはすぐに理解できた。


 定期的な会合を待たず、臨時の招集をしたことからも、これが緊急度の高いものであることが分かる。また、ダンジョンマスターである私自らに「ダンジョンを離れても」と言っていることから、秘匿性の高いものであることも推測できるだろう。


 更に彼らの異常な態度からは、これが依頼などではなく半強制的なものであることも分かる。彼らは断られても良いようなことで、このような態度は取らない。


 一番気にかかるのが、わざわざ「離れても」という表現を使っていることだ。1日2日のことであれば、そういう言い方はしないだろう。恐らく半月……いや、もしかしたら数ヶ月程度のものなのかもしれない。


 一体、私に何をさせようとしているのか……?


 ファンの言葉を最後に、部屋に沈黙が訪れる。「風のダンジョンマスター」ミルサージ、「水のダンジョンマスター」ジ・ハン、「大地のダンジョンマスター」ソルテラジなど比較的若いマスターたちは、年上のマスターたちに気を使っているのか、一向に口を出してこない。


 そう言えば……。通常ダンジョン協会の会合では7人のマスターに加え、協会長が出席をするのだが……その姿が見えないことにようやく気づく。改めて辺りを見回して、それを尋ねようとしたときのことだった。


 部屋の奥にある一枚の扉。その奥には確か会合室の備品などが置かれた部屋がある。それのノブがゆっくりと回る。軋んだ音を立てながら扉がゆっくりと開いた。


 扉の奥からダンジョン協会会長であるレンドリクスが顔を覗かせる。一見年寄りに見えるし実際そうなのだが、彼の素性を詳しく知る者は多くない。と言うのも、彼の若い頃を知っている人間はとっくの昔に他界していている者ばかりで、ダンジョンマスターの最年長であるラトギウスでさえ「始めて会長を見たときには、既に老人だった」と言っているくらいだ。


 私自身も幼少期に何度か彼に会ったことがあるが、その頃から容姿が全くと言っていいほど変わっていないのだ。


 それでも私はレンドリクスに対して、深い畏敬の念を抱いている。父の代から何かとダンジョンのことを気にかけてくれたし、私自身も何度も彼の世話になっている。ついこの前の査察の際にも、彼が「お咎め無し」の判断をしてくれたことで、我がダンジョンは助けられたとも言える。


「バルバトス。マスターたちが言いにくいようであるから、ワシから言おう」


 レンドリクスはそう言いながら、ゆっくりとテーブルについた。


「簡潔に言うとな。お前に頼みたいことがある」

「ええ。それは何となく察しておりましたが……。ダンジョンを離れるとは?」

「とある地に出向き調査をする、ということじゃな」


 少し心がざわつく。どこかで聞いたような話だ。


「とある地とは……?」

「ホッホ。分かっているんじゃないのか?」


 レンドリクスは目を細める。そうか、やはり後回しにしたツケが回ってきたということか。


「ホウライ」


 言葉に出してみて、改めてあのときのことを思い出す。王都での武闘大会。国王の謁見、依頼、そして拒絶。あのときはマルタに助けられたが、恐らくいずれこうなるとは思っていた。ただ、予想よりも早かったのは確かだが。


「それで、依頼主はやはり――」

「バルバトス。分かっておるじゃろ? 我々には守秘義務がある。言えんことは聞くものじゃない」


 太い眉の下から除く穏やかな瞳が、一瞬だけギラリと光ったように感じられた。口調は穏やかだが、それ以上の追求を拒む姿勢が見てとれた。天を仰ぎ、膝の上に置いた両手をギュッと握りしめる。


 断ったらどうなるのだろうか……?


 そんな疑問が、一瞬脳裏を駆け巡る。恐らくどうもなるまい。私が拒絶すれば、きっと「そうか。分かった」とあっさりと会合は終わるだろう。しかし、その後のことは分からない。


 ダンジョン協会はダンジョンに対して、何ら強制力は持っていない――と言うのはあくまでも建前であり、実際にはその生殺与奪は彼ら、と言うよりは彼、会長レンドリクスの手の中にある。


 ホウライの襲来以降、大きな戦いは起こっていないが、それでも小さい小競り合いはいくつか生じている。その際、ダンジョンが戦力として駆り出されたことは何度もあった。それらは決してダンジョン協会からの強制ではなかったものの、断った者たちの末路は決まっていた。


 彼らはダンジョンを突然閉鎖したりなどしない。そんな権限はないからだ。しかしゆっくりと真綿で首を絞めるように、彼らの意向は貫かれる。「おすすめダンジョン」から外される。ダンジョンレビューが不利なものばかり掲示される。ちょっとしたことで規約違反だとされ、小さな処分が何度も繰り返される。


 そうしてダンジョンは彼らの思うように滅ぼされる。


 決して数は多くないが、そういうダンジョンが過去にいくつかあったと聞いたことがある。「聞いたことがある」というのは決して偶然ではないだろう。協会が敢えて、その情報を流していると考えるのが自然だ。「我々に逆らったものが、どうなるのか」それを知らしめるためだ。


 レンドリクスに対しては、何度も助けられたし感謝してもしきれないほどだ。しかし、彼はダンジョン協会の会長なのだ。自身に歯向かう者には決して容赦などしないだろう。


 答えはひとつしかない。


 それは分かっているが、私はまだ躊躇していた。この依頼を受けることが……ホウライと関わることが、間違っていることではないのだろうか? 恐らく依頼はホウライに出向き、何らかの情報を集めるか、何かを奪ってくるか、それとも破壊するのか、そういうことだろう。


 それ自体は、それほど困難なものとは思えない。私にできないような依頼はしないはずだ。しかし――漆黒の森でホウライの使者と出会ったことを思い出す。これ以上ホウライと関係を持つことが、私やダンジョンにとってどういう結果をもたらすのか。


 それを考えると、なかなか決断ができない。しかし、拒否すればダンジョンは……。


 目を閉じる。まぶたの裏に皆の顔が浮かんできた。アルエル、ボン、ロック、ランドルフさん、薄月さん、サキドエル、マルタ、レイナ……キョーコ。いや、それだけではない。ダークエルフたちや、そこにいる剣士4人組なども影響を受けるかもしれぬ。


 レンドリクスや他のマスターたちは決して急かさない。黙ったまま、私の返事を待っている。それが逆にプレッシャーを感じさせていた。私の判断で、多くの人を犠牲にするかもしれない。


 決断ができない。前の私はこうじゃなかったはずなのに。なぜ、こんなにも迷っているのか……。


「背負うものが多いと、難しいものだな。バルバトス」


 レンドリクスの言葉にハッとする。そうか。キョーコが来てから、ダンジョンは変わった。以前の私だったら、受けるにしても断るにしても即決していただろう。それは背負っているものが軽かったからだ。


 今は違う。クルーが増えたから、とかそういうものだけじゃない。私はいつの間にか、本当にダンジョンを背負うようになったのだ。真の意味でダンジョンマスターになっていたのだ。その重みが、私の判断を鈍らせている。


 気づかれないように深呼吸をする。少しだけ曇っていた頭が晴れてくるような気がした。考えろ、バルバトス。


 断れば……それは先程も考えたように、間違いなくダンジョンは終わる。それは議論の余地などない事実だ。ならば、答えは決まっている。ホウライと関わることで、問題が起こる可能性は否定できない。しかし、それは乗り越えていけばいいだけだ。我々ならきっとできるはず。


 ゆっくりと顔を上げ、レンドリクスを見る。


「決まったようじゃな」


 彼はそういうと、衣の袖から一通の巻物を取り出した。


「できるだけ早急に。それが条件じゃ」

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