第46話「あのさ」
「もうちょっと左……そう、あと2ミリほど……OK!」
位置をきっちり合わせたカウンターテーブルに釘を打ち付けていく。四隅を先に固定し中央部分にも数箇所ほど。
「ヤット、カンセイダネー」
「あぁ、お疲れだったな」
私はスケルトンのボンと固い握手を交わした。『漆黒の森』から帰ってきて約1週間。ようやく『憩いの我がダンジョン亭』が完成したのだ。
カウンターに8席、テーブル席が8組で総客席数40席を誇るお食事処が1階。2階には6部屋の宿泊施設も併設しており、時間を気にせず冒険を堪能することができる。ゆくゆくは露天風呂なども設置して疲れた身体を癒やすことができるように……したいとは思っているが、それはまた今度だ。
『End of the World』のような外資系大型ダンジョンに比べればまだまだ貧弱な施設ではあるが、それでも今までのことを思うと「鮮血のダンジョン史上最高の大改装」と言っていいだろう。
曽祖父が始めた『鮮血のダンジョン』は祖父の代にルート別に分けられ、それが父の代には10のルートにまで発展した。ちょうど父がダンジョンを運営していた頃までは今のようにエンターテイメント施設などではなく、正統派のダンジョンというのが世の常識であった。
つまりは「ダンジョンとは生死を賭けた冒険の地」であった。それが私の代になった頃から「楽しい娯楽施設」へと変わっていき、私はその波に抗い続けた。結果として良く言えば「古き良きダンジョンを守る」はっきり言えば「何もしない足踏み状態」の時が流れた。
それが変わったのは最近の出来事だ。
「おっ! 完成したんだ。なかなかいい感じじゃない?」
そう、彼女――キョーコが我がダンジョンを訪れてから色々なことが変わり始めた。ルート再開のための資金調達。ルート6の開通に加えてルート7の再開も目処が付きつつある。マルタとレイナという裏方スタッフも加わり、この『憩いの我がダンジョン亭』の建設に踏み切ることもできた。
まだ散らかっている客席を歩きながら、キョーコはうんうんと感心している。テーブルの天板を撫でながら「これ、良い板使ってるんだね。結構高いやつ?」と聞いてきたり、カウンターの中を覗き込みながら「調理道具も買わなくちゃな」とかつぶやいている。
あの1週間前、展望台でのことを思い出す。突然キョーコに……キッ……駄目だ。思い出すだけで顔が熱くなってくる。いい歳して恥ずかしい限りだが、そういう経験に疎かった私はあの後しばらく腰を抜かしたまま動けなかった。お風呂上がりの湯冷ましに来たリッチのランドルフさんに発見されなかったら、一体どうなっていたのだろうかと思う。
私にとってはそれくらい衝撃的な出来事であったわけで、ろくに寝られないまま朝食のために『最後の晩餐』(食堂の名前)に行ったとき、キョーコがいつもと変わらない様子で「遅いぞバルバトス」とニタニタ笑っているのを見て、余計に混乱してしまったのは仕方のないことだろう。
虚勢を張っているのか、と横目でチラチラ確認したものの、普段通り「美味い! レイナ、これ美味しい!」と朝食を平らげてるキョーコに更に困惑する。
「食べないの? 駄目だぞ、朝ごはんはちゃんと食べないと」
「あ、あぁ……?」
「バルバトスさまー、要らないんなら私がいただきますー!」
「……うん、アルエル食べる?」
「えっ……じょ、冗談ですよ? バルバトスさま、キョーコちゃんが言うようにちゃんと食べないと駄目です」
「そう……だな」
キョーコは怪訝そうな顔をしながらも「ほら、ちゃちゃっと食べて。憩いの我がダンジョン亭を今週中に完成させるんでしょ?」と私の背中をバンバンと叩いていた。
それからもキョーコの様子は以前と何も変わらないようで、今も私の目の前で床に転がっている建材などを拾い集めている。
うーん?
てっきりアルエルのときのようにしばらくギクシャクしてしまうのではないかと危惧していたのだが、思い悩んでいるのは私だけ、ということだろうか……? 恥ずかしながら告白すると、あのような行為は私にとって初めてのことだった。それが私の心をモヤモヤさせていることに間違いない。
ということは。キョーコにとっては初めてのことではなかった? あぁ、そうか。これはあれだ。文化の違いというヤツだろう。我が国でも挨拶としてハグをしたりすることはあるが、他の国では頬や手に口づけをする文化があると聞いたことがある。
ならば、それが口同士である文化もあるに違いない。そうだ、そうそうきっとそう。キョーコは各国を放浪していた時期があるのだから、そういう文化に触れていたこともあったのだろう。だからあれは彼女にとっては特別なことなどではなく、ごく普通のことなのだ。
私だから、というわけではなく親しい間柄ならば誰とでも行われるもの……。そう考えると合点がいく反面、何故だが少しだけイライラしてくるのが分かる。一体なんなんだ……。
「りょーちゃん、あのさ」
突然キョーコが口を開き、私は飛び上がるほどびっくりした。部屋の隅で角材を抱え、背中を向けて座っているキョーコ。どうしたものかと思いながらも、黙ったまま言葉を待つ。しばらく沈黙が流れた。
それをかき消すように『憩いの我がダンジョン亭』の外から話し声が聞こえてきた。扉が開き二人の人影が見えた。
「ふん、まずまずの出来だね」
「うわぁ、とっても素敵ですね、バルバトスさま」
マルタとレイナは店内を見て回りながら感心しているようだ。それを見た私はふたつの意味でホッとしていた。ひとつは今後ここを運営していく彼女たちが気に入ってくれたようだということ。もうひとつは当然、やや気まずい雰囲気になりつつあったのが解消されたことだ。
キョーコが何を言おうとしていたのかは分からないが「気になる」と「先送り」を天秤にかけると「先送り」に傾く。そのキョーコ自身は既にレイナと共にキッチンに立ち「鍋とかフライパンの買い出しに行かなきゃ」「とりあえずは幻想亭から持って来たのがあるから」「あ、そう言えばすごい荷物持ってきてたもんね」とキャッキャとはしゃいでいる。
「バルバトスサマー、カタヅケオワッタヨー」
道具をしまいに行っていたボンが帰ってきて、それに続くように同僚のロック、アルエルにランドルフさんや雪女の薄月さんなどクルーたちもぞろぞろと集まってきた。
「すごいですねっ! さすがはバルバトスさまですー!」
「イイカンジ」
「うむ、悪くないのう」
「あら~、結構広いのね」
皆口々に感想を述べていた。一気に騒がしくなった『憩いの我がダンジョン亭』の店内を見て、私も思わず嬉しくなってしまう。
「折角だから今日の晩ごはんはここで作ってみるかね」
「あ、それいいね、おばあちゃん。じゃ私、道具取ってきますね」
「ボクモ、テツダウヨー」
「食材も持ってくるんだよ」
「私も行きますー」
その日の夕食は久々に楽しいものとなった。クルーたちで埋め尽くされた店内は、今後多くの客たちで賑わっている光景のように見えた。苦労したけど作った甲斐があったなぁ、としみじみ感じる。
アルエルが「お醤油取って下さい、バルバトスさま」と言ってきても「よしよし、私がかけてやろう」と思えるほど寛大にもなろうというものだ。
「あ、ソースもこっちちょうだい」
「お茶を回してくれ、バルバトス」
「はい、野菜炒め出来たよ! バルバトス、並べて」
う、うむ……。
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