第45話「今日のことは内緒にしておいてよ」

 私に背中を向けたままぷりぷり怒っているキョーコに、私は慌てて弁明する。


「いやいや、そういう意味じゃない。ええっと……つまりだな……初めてのダンジョンで戦ったとき、そして武闘大会のときもそうだが……悪かった」


 キョーコは怪訝そうな顔で振り向くと「悪い?」と尋ねてきた。


「あぁ、痛かったんだろ? あんまりにもお前が強いから、つい顔を殴りにいったり『無敵の大砲バトルタンク』などの強大な魔法を使ってしまったのだが……」

「あぁ……」


 キョーコは相槌を打ったものの、少し困ったような顔をしていた。しかしすぐに「それはそれ、これはこれ。戦っているときはお互い真剣にやらないと、こっちもつまらないからね!」と、私の肩をバンバン叩きながら言う。


 痛い! 痛いってばっ!! それ強化魔法使ってないの!? え、使ってない? 使ってないのに、こんなに痛いってどうなのよ!?


 私が必死で抗議するが、キョーコは構わず私の肩や背中を叩き続ける。そして何故か少しだけ嬉しそうだった。


 まだまだ聞きたいことは山のようにあったが、キョーコの顔を見ていると「また今度にしよう」という気になってきた。元はと言えば、キョーコにアレコレ聞きに来たわけじゃなく、ただ単に彼女のことが心配になっただけなのだ。


 多少なりとも元気になってくれたのならば、目的は達したとみるべきだろう……と思っていたのだが。


「ところで、明日からはどうするの?」

「そりゃもちろん『憩いの我がダンジョン亭』の完成を急がねばなるまい。厨房の方はほぼ完成したからな。後は客席の方だけだ。聞いてくれよ、すっごい構想があってだな――」

「そうじゃなくて」

「うん? あぁルート7のことか。あれも色々考えてるぞ」

「そうでもなくて」


 むぅ。なかなか一筋縄ではいかないものだ。


「ホウライの方はしばらく放っておく。せいぜい協会に問い合わせるか、新しいクルーを引き取りに行くときにエルにその後のことを尋ねるくらいだな」


 私としてはこちらから下手に動けば、藪蛇になりかねないという懸念があった。だから情報収集だけは続けておくが、敢えてあれこれ動かない方がよいだろうと思った。


 しかしキョーコの考えは違っていたようだ。


「りょーちゃんがやらないのなら、あたしがやる」と言って立ち上がる。


「しばらくダンジョンを留守にするよ」

「どこへ行くつもりだ?」

「聞かなくても分かっているだろ?」


 そう言ったきり黙り込むキョーコの腕を掴む。


「ホウライには行かせない」

「いいや、行く。行かなきゃいけないんだ」

「この頑固者め。さっき言ったろ。誰もお前やクルーたちに手など出させない」

「これはあたしの問題だ。りょーちゃんは口を出さないで」


 自分の中で何かが切れる音がした。堪忍袋などではない。「指一本触れさせない」と言いながら、どこかでアルエルやクルーたちを巻き込むことを恐れていた。もちろんそのためにキョーコを放り出すことはできないが、心の隅で両天秤にかけていたことを悟った。


 それが壊れた音だ。


「あたしの問題? 口を出すな? 何を勘違いしている、キョーコよ。お前はこのダンジョンに来たとき、私に忠誠を誓っただろう」

「それは……そうしなきゃダンジョンに加えないって言うから」

「お前が何と言おうと、一度口にしたからにはお前はこのバルバトスの忠実な部下なのだ。言わば私の所有物と言ってもいい。私が戦えと言えば死ぬまで戦わねばならないし、行くなと言えば行ってはいけないのだ」


 ちょっと厳しい言い方だったかもしれない……。いやしかし。これは必要なことなのだ。キョーコもアルエルもクルーたちも、私が必ず守る。それを決意したからには、彼らが私の手の届かないところに行くことなど許してはならない。


 握ったままになっているキョーコの腕が少し震えている。うつむいた顔は前髪がかかり、表情が伺えない。流石に怒ったかな? やっぱり所有物っていうのは言いすぎだったかも。訂正したほうがいいのか……いや、ここは我慢だバルバトス。心を鬼にするのだ。


 腕の震えが段々大きくなり、身体も震え出した。肩が小刻みに上下に動いている。あれ……もしかして……泣いてる?


「ぷっ……あはは! ちょっ……りょーちゃん、勘弁してよ!」


 突然キョーコが声を上げて笑いだした。よほどおかしいのか、先程よりも大きな動作でゲラゲラ笑っている。一方私は困り果てていた。うーん、今の会話におもしろ要素があっただろうか……?


 キョーコは肩で息をしながら苦しそうに、しかし笑い転げていたが、ようやく少し落ち着いたように息を整えると、再びベンチに座り「もう大丈夫だから」と掴んでいる手をポンポンと優しく叩いた。


 手を離すとキョーコは私の方に向き直って、両手を私の肩に置いた。そして少し顔を近づけて「りょーちゃんの決意はよーく分かったよ」と小さく言った。


 それを聞いた私はホッとする。よかった。やはり必死の説得というものは、通じるものだな。心と心というものは、決してひとつにはなれない。繋がっていると思っても実際には繋がることはない。しかしそれでも、気持ちが通じることはある。思いの強さが心と心の間にある何かを通り越して、相手に伝わることはあるんだ。


 ……ん? でも、それならなぜキョーコはあんなに笑い転げていたのだろうか……? 


 そんな疑問が脳裏をよぎったとき、私の肩を掴んでいるキョーコの手がギュッと強くなるのを感じた。少しずつキョーコの顔が近づいてくる……。って、えっ、えええっ!? なに? なにこれ? キョーコの吐息が私の頬に感じられる。思わず目を瞑った。


 初めてなんです、優しくして……。


 目をぎゅっと固く閉じ別の意味で決意を固めていると、キョーコの息が私の耳に触れた。


「でもさ、クルーのみんなは誰もりょーちゃんの言うこと聞いてないでしょ」


 そう言ってまた「ぷっ」と吹き出す声が聞こえた。目を開けるとキョーコは私の耳の近くに顔を寄せ「ダメ魔王さまなのに、変なときだけカッコつけちゃって」とささやく。私はしばらく放心状態だったが、やがてその言葉の意味を理解して抗議する。


「ダメ魔王とは何だ。これでも一生懸命頑張ってるんだぞ」


 キョーコはいつの間にか私の顔に手を当てていた。頬に当たる彼女の手は、少しガツガツしていたが、ほっそりとした指に女性らしさを感じ少し体温が上がるのを感じた。それを否定するように更に私は続ける。


「そりゃさ、普段はそうかもしれない。言うことを聞かないクルーも多いかもしれない。でも最終的には皆私の言うことに従う。それがダンジョンというものであり、魔王の役割というものであってだな。その辺りを理解して――」


 自分でも何が言いたいのか分からなくなりながらも、必死で言い訳という名前の反論をしていたとき。突然キョーコの顔が一気に近づいてきて……彼女の唇が私のそれに触れる。同時に言葉も止まり、心臓まで止まりそうになった。いや、むしろ心臓は活動を早めドクドクという音が、耳に響いていた。


 十秒……二十秒……いや、どのくらいの時間が経ったのかすら分からない。唇に感じる彼女の感触に全神経が集中しているようで、それ以外の感覚が失われてしまったかのようだった。


 やがてキョーコはようやく顔を離した。「なんか、カレーの味がする」と言い、顔をプイッとそむける。


「さっき食べたばかりだから」と精一杯『なんともないよ感』を振り絞って答えた。キョーコは立ち上がり、私に背を向けている。私はこんなにも動揺しているのだが、彼女は何ともないのだろか……。


「あ、あたしだって……だったんだから……」

「えっ……」

「とっさにしちゃったけど、はっ、恥ずかしかったんだから!」


 そう言ってキョーコは走り出した。展望台の柵を掴み、夜空を見上げて「あーーーーー!!」と大きな叫び声を上げる。振り返った彼女の顔が赤かったのは、照らし付ける夕日のせいだろうか……。「あー、すっきりした!」と本当にスッキリした顔で言っている。


「今日のことは内緒にしておいてよ」


 私の方へゆっくり歩きながら「さ、そろそろ帰ろう。寒くなってきたし」と手を伸ばしてきた。


「いや、私は少ししてから帰る」

「ん、そう? じゃ、また明日。りょーちゃん」

「ああ、おやすみ」


 ドアを開けて展望台から出ていくキョーコを見送り、階段を降りていく音を確認してから私はブルっと震えた。火照っていた身体は少しずつ落ち着きを取り戻しつつあり、確かに寒さを感じるようになってきた。


 部屋に帰りたい。立ち上がって展望台を出て、熱いお風呂につかってぬくぬくのベッドで眠りたい……。そう思ってはいるのだが、如何せん先程から身体が言うことを聞かない。どうやら、あまりのことにすっかり腰を抜かしてしまったようだ。


「寒い……」

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