第35話「約束だよ」

「で、戻った記憶の話……を聞かせてくれるのか?」


 「記憶が戻ってきた」と言ったきり、黙って夕日を眺めているキョーコに問いかけた。


 「戻ったって言っても、一部だけなんだけどね」苦笑いしながら、そう答える。


「一部?」

「うん。あたしさ、一番古い記憶が『世界を放浪しているとき』のものなんだよね。気がついたら、砂漠のど真ん中に立ってて……。それから『ヴェルニア共和国』『マルセール公国』『ハーフィールド王国』……3年かけて色んな所を回った」

「ほぉ……ちなみに聞くが、観光、というわけじゃないよな?」

「武者修行……だね」


 「だよね」と心の中でそっとうなずく。キョーコの強さは、確かに魔法に依存している部分が大きいが、それだけでは説明がつかないほどの身体能力の高さ、武術の習得は、その3年間で鍛えられた、ということか。


「それで、ここカールランド王国に来たのが、ここを尋ねた日の3日前。しばらく、王都をウロウロしていたんだけど『近くにダンジョンがある』って聞いて、それじゃいっちょ腕試しでもするかってことになって」

「なるほど……って、王都に着いてから3日で、もう『ダンジョンに行こう』ってなったの?」

「だって、退屈じゃん」

「うーん、そうかなぁ……」


 私だったら、魔導器ショップを回ったり、DIY資材屋を回ったりすると思うんだけどなぁ……。


「そういうわけで、ここに来てダンジョンを目の前にして……ぼんやりと何か頭の中に浮かんできて。ここにいれば何か思い出せる……そんな気がして、ここに置けって言ったんだ。それが、先日の国王との会談のときに、もっと鮮明に思い出せるようになった、って訳」


 香り、音、感触……。それらが忘れ去っていた記憶を呼び起こすトリガーになることは確かにある。子供のころに遊んでいたおもちゃを見て、その当時のことを思い出したり、辛いことがあった場所に行って、その記憶に再び苦しめられたり。そういうことはあるだろう。


 キョーコの場合は「彼女の名前。それも、由来も含めての名」というのが、それに当たったのだろう。それにしても、思い出した記憶とは……何だろう? もしそれが辛い記憶ならば……。無理に聞くのはよくないことだ。


 「言いたくなければ言わなくていいぞ」と声をかけようとして、ハッとする。


 キョーコは「ダンジョンを見て、ぼんやりと」と言っていた。となると、トリガーは名前だけではない? それに、それを承知でダンジョンへと足を踏み入れたということは、それが決してネガティブなものというわけではなく、何かを知りたくて、何かを思い出したくて、やってきた……?


 思考が混乱してくる。キョーコは、何か辛い過去を思い出したというわけではない……のか? そっとキョーコの顔を見る。


 彼女の表情は、悲しそうでもなければ、辛そうでもなかった。


 彼女は柵に寄り掛かるように手を置き、その上に顔を乗せ私を見ている。どこか幸せそうな……いつもとはちょっと違う笑顔で……。あれ? でも、これどこかで……。




「ダンジョン、再建しようね。りょーちゃん」




 雷撃の魔法を受けたかのような衝撃が身体を走った。


 忘れていた記憶が、何かをトリガーとして呼び起こされることは確かにある。


 そうだ。どうして、私は忘れてしまっていたんだろう……。あれはいくつのときだったか。確か、8歳か9歳のころ……だったはず。私は、ここである少女と会っていた。


 彼女は国を旅して歩くキャラバンのひとりだった。その団長は父と親交があり、このダンジョンを訪問した。そのとき、小さな私は小さな彼女と出会った。ダンジョン内を案内して、自慢のトラップを紹介して……そしてこの展望台にやってきた。


 自慢の長椅子に二人で座り、落ちていく夕日を眺めていた。幼心に、隣に座っている女の子に少しだけドキドキしていると、彼女は首を少しだけ傾けて私の方を向いた。


 彼女は聞いた。


『りょーちゃんは、おおきくなったら、だんじょんをやるの?』


 私は答えた。


『そうだよ。すっごいやつ作るんだ』


 『楽しそうだね』と言う彼女にこう言った。


『キョーコちゃんも、一緒にやろうよ』


 そうだ。私はキョーコとここで会っていたのだ。そして……。


「約束、したもんな」


 そう言って、キョーコがニコッと笑う。


『約束だよ』

『やくそくだねっ』


 そうだ。全て思い出した。




 ――きみとぼくは、ここで約束をしていたんだ。




「一緒に、ダンジョンやろうね」って。


 あまりのことに、思考が止まる。何も考えられない。頭がボーっとする。立っている感覚がなくなる。でも、そう不快ではない。浮いているような……ふわふわして気持ちいい。そんな気分だ。


「バルバトス、泣いてるのか……?」


 そう言われてハッと我に返った。頬に大量の涙が流れているのを感じた。あれ? 私、泣いている……。懐かしい記憶が呼び覚まされて感動している……から? いいや、違う。これは、そう……旧友に会ったような……いや、違う。


 忘れてしまっていた約束。


 それを思い出せた喜びだろう。「泣くことはないだろう」そう言いながら「ほら」と手渡してきたのは、例の「由緒正しい魔王のタオル」。それで涙を拭い、再びキョーコに返す。


「お前も泣いてるじゃないか」


 彼女の涙は、夕日に照らされて光っていた。


 涙というのは悲しいときに流すもの。そう思っていたが、案外美しい涙というのもあるものだと、このとき初めて知った。


 そして彼女の涙をそっと拭いてやり、手を差し出した。


 「ギュッと握るなよ」という言葉を添えて。

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