第30話「ダメですっ! キョーコちゃん!!」

 圧縮された空気の塊は、キョーコごと地面へと突き進む。そして再び轟音。私の眼下では、激しく土煙を上げる闘技場と、逃げ惑う観客たちの姿が見て取れた。ふむ、やっぱりちょっとやりすぎたか。


 『位相空間』を調整し、少しずつ高度を下げる。闘技場内に立ち込めていた土煙は徐々におさまりつつあり、視界がうっすらと開けてきた。どれ、キョーコはどこにいる? 無事では済まないはずだが、あのキョーコのことだ。死んではいまい。


 ところが、粉々に砕かれた闘技場の床がくっきりと見えるほどに降下しても、キョーコの姿が確認できない。んー……。かわした、とは思えないんだけどなぁ。閃光が走った後、確かに落下していくキョーコの姿が確認できた。となると……。


 埋まっちゃっているのかな? 砕けてバラバラになっている瓦礫をひとつ持ち上げてみる。いないよなぁ……。しかし『無敵の大砲』により打ち出された空気の塊から逃れることは、流石のキョーコでも不可能だ。


 ってことは、地面に打ち付けられた後、移動し収まりつつある土煙の中に、まだ身を潜めている……と、周囲を見回したところだった。煙の一部にボヤッとした人の影。ついでそれが乱れ、中から手が伸びてきた。私の首を掴みにかかる。


 とっさに後ろへ下がる。感覚的には「完全に取られた」というものだったが、意外にもその動きは遅く、容易にかわすことができた。そして、煙の中からボロボロになったキョーコの姿が現れる。「バルバトスぅ……」と、低く唸るように言っているが、既に戦いを継続できる状態ではなさそうだ。


 片足を引きずり、腕もダランと垂れ下がっている。額からは血が流れ、頬も少し腫れているように見える。「もう終わりだ」しかしキョーコの目から光は消えていない。肩で息をしながら、ヨロヨロと近づいて来る姿に、一瞬恐怖を覚える。


 こいつは、ただ単に諦めが悪いとか、そういうものじゃない。かと言って、本能がそうさせている、というものでもない。そもそも本能に従えば、この状況下でまだ戦う意思を持つことは不可能だ。つまり何が言いたいかというと……怖いっ! 怖すぎる、この人。


 お願いだからもう止めて。それ以上こっちにこないで。私、もうできないよ? ねぇ、もう止めにしようよ……。それでもキョーコの歩みは止まらない。一歩一歩、確実に私の方へと向かってくる。


 震えながら片手を伸ばし、私の頬に拳が触れた瞬間――突然、銅鑼の音が何度も鳴り響いた。一体これはどうしたことだ……?


「しっ、試合中止っ!!」


 審判員の声が闘技場内に響き渡った。中止……? 助かった? 助かったの、私? 圧倒的に自分の方が勝っているはずなのに、思わずホッとする。それと同時に「中止」の意味が分からず困惑もしていた。確か、この武闘大会は何でもアリだったはず。試合が途中で中止になることなど、滅多にないはずなのだが……。


「会場を……壊しすぎです!」


 審判員にそう言われて、改めて周囲を見渡す。ふむ、確かに闘技場はひどい有様になっている。床は『無敵の大砲』の直撃を受けて、全体的にひび割れ、床自体が捲り上がって箇所もある。


 被害は闘技場だけに収まらず、観客席と闘技場を隔てている壁の一部も崩れかけている。ただ、観客席自体に被害は及んでいなかったらしく、混乱して逃げ惑った際に、多少怪我を負った観客がいた、という程度のようだった。


 確かにちょっとやりすぎたかなぁ……とは思う。通常、この手の閉鎖空間での試合では、いくら魔法OKと言えども「会場を壊さない程度」という暗黙の了解がある。そりゃ、魔法の中には、この闘技場ごと吹っ飛ばせるものすら存在するからな。やりすぎはいかん、というわけだ。


 そうは言っても、今回の場合、そこまでやってやっとこれだ。しかも、キョーコは戦闘不能になりつつも、まだ立って私に向かってこられるほどの力は残っている。やりすぎ、と言ってもこれは不可抗力だとも思う。


 やりすぎはいけない。しかしやらないとやられる。でも、やるとやりすぎになる。なんとも言えないジレンマだ。よし、これを『バルバトスのジレンマ』と名付けよう。


 キョーコに頭をぽこぽこ殴られながらも、そんな事を考えていた。うむ、キョーコよ。早くもちょっとだけ回復してきているのか、段々痛くなってきているぞ。もうその辺で止めておこうね。


「キョーコちゃん!」


 観客席から飛び出してきたアルエルが、私たちの方へと走ってきている。手には白い布袋。あれは安心の国産薬草だな。よし、ナイスだアルエル。ただ、回復する際には気をつけろ。こいつ、まだ動いているからな。


 アルエルとふたりでキョーコを闘技場の隅に連れていき、薬草を丹念に擦り込む。改めて見ると、服などは流石にボロボロになってはいるし、外傷もそれなりにあるのだが、致命的なダメージは受けていないようだ。これなら、すぐに動けるようになるはず。


 でも『無敵の大砲』って、そんな魔法じゃないんだけどなぁ……。普通の人間だったら、圧死してもおかしくない。特に今回のように空中でそれを受け、魔法ごと地面に叩きつけられた場合なんて、その威力を想像するだけでも恐ろしい。


 いくら、特殊な強化魔法だと言え、ここまでのものなのだろうか……? 思えば、初めてキョーコと戦ってそのことを聞かされた際、その魔法のこと自体に気を取られ、そこまで考慮することができなかった。


 実際、この魔法を使う者に出会ったのは初めてなのだが、父から聞かされていた話、本で読んだ話などを総合しても「通常の強化魔法よりは強くなる」程度に思っていた。元々、この魔法の力がそれほどのものなのか、それともキョーコの場合が特殊なのか……、それは分からない。


 いずれその辺りも、もっと調べるか、キョーコに確認してみる必要があるだろう……。


 そんなことを考えていると、突然ガバっとキョーコが起き上がる。そして、私を見るなり「バルバトスっ!!」と叫び、腕を振り上げる。突然のことに思わず腰を抜かしそうになって、倒れ込んだ。鉄拳が目の前に迫ってくる……。あぁ、勝ったと思っていたのに……。試合に勝って勝負に負けた、とはこういうことを言うのだろうか……。


「ダメですっ! キョーコちゃん!!」


 アルエルが叫び、キョーコの腕に抱きつく。キョーコの拳が、私の目の前でピタリと止まった。助かった……のか? 


「キョーコちゃん、試合はもう終わったんですよ」


 アルエルが必死でキョーコを説得する。それを聞いたキョーコは、一瞬呆気にとられていたが、ようやく落ち着きを取り戻したかのように、腕を下ろした。私はホッと胸をなで下ろした。


 しかしよくやったアルエル。今回は、試合前の提案といい、試合後の行動といい、珍しく冴えていたぞ。段々、お前も成長してきている……ということかな。うんうん、部下の成長は嬉しいものだ。上司魔王としての喜びっていうのかな。そういう嬉しさを感じるよね。


 そう言って褒めてやろうと思ったのだが、アルエルはキョーコを落ち着かせると、私の方へ向き直って、ちょっと怒ったような表情を見せる。


「でも、バルバトスさまも酷いんですよ」


 うん? え、私……が酷い?


「キョーコちゃんは女の子なんですから、こんなになるまでやることなかったんじゃないですか?」


 あー、まぁ……そう……かな? いや、でもさ。やらなきゃ、やられる。そういう感じだったんだよ? それに一応、試合と言えば試合だったんだし。


「女の子に手を上げるなんて、駄目ですよ」


 う、うん。まぁ、言っていることは至極ごもっとも。反論できない。できないけどさぁ……。


「もういいよ、アルエル。ありがと」キョーコは腕を下ろしながらニコッと笑った。どことなく清々しい笑顔に見える。「それに、バルバトスも言ってるように、あれは試合だったんだから、あれでよかったんだよ」


 私の方へ向き「負けたよ。やっぱ、何だかんだ言っても魔王を名乗っているだけはあるな」と手を差し伸べてきた。握手? 痛くないやつ? 本当に本当? 念入りに確認してその手を取った。


「まぁ、次は負けないけどな」


 清々しさは消え、不穏な笑顔に戻る。いや、次は……ないでしょう? もうやらないよ。

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