第25話「うわぁぁぁぁ!」
薄暗い通路を、私は必死で走っていた。背後には片手にランタン、片手に刃物を持って、何者かが迫ってきている。助けてくれっ! 誰か、誰かいないのか!? アルエル、どこだ? どこにいる? そうだっ、キョーコ! キョーコはどうした? こういうときはいつも颯爽と現れて、助けてくれるじゃないか……。振り向くと、鈍く光る刃物が振り上げられて――。
「うわぁぁぁぁ!」
「きゃぁぁぁぁ!」
気がつくと、ベッドの上に跳ね上がっていた。カーテンの開いた窓から入ってくる光りが眩しくて、思わず目を細める。あ、あれ……? 夢? 私……どうしたんだっけな……。確か、不気味な宿に泊まって……寝ようと思って……あぁ、そうだ。お腹が空いて寝られなくって。アルエルたちの所に戻ろうとして……あっ!
そこでようやく全て思い出した。そうだ、廊下を進んでて、目の前に刃物を持った……あれは夢じゃなかった。と言うことは、気を……失ってしまったということか? 怖くて? 魔王なのに?
「あの~」
突然、背後から声をかけられて、再び飛び上がる。「ヒェッ」って変な声も出ちゃう。
「大丈夫ですか?」
恐る恐る振り向くと、そこには心配そうな顔で見つめる女性。年の頃は十代後半くらいであろうか。色白の透き通るような肌に、青い瞳が美しい。もう一度「大丈夫ですか?」と、首を傾げる。ポニーテールにしている金色の髪の毛がフワッと揺れた。あぁ、天使さまかな?
「こ、ここは危険です! 一緒に逃げましょう!」
一刻も早く逃げなくては。しかし、こんな危険な地に、天使さまを置いてはいけない!
「ちょ、ちょっと? どうしました? 危険なんてないですよ?」
天使さまは状況を把握しておられないらしい。いいですか? ここには恐ろしい魔物が住んでいて、夜な夜な宿泊客を襲っているんですよ。ええ、皺だらけの、それはもう恐ろしいゾンビみたいなのが――。
「誰がゾンビだって?」
声の方へ振り返ると、そこに老婆が立っていた。でっ、出たな! しかし! 天使さまに手出しはさせぬ。ゾンビと言えば、日光に弱いはず。って、あれ? 結構、陽の光当たってるけど、大丈夫……なの?
「おばあちゃん。このお客さんが、取り乱しているみたいで」
「ふん。人をゾンビ呼ばわりするようなヤツは、客とは言えないよ」
「混乱してるみたいなんだから、許してあげて」
「今更、容姿について、褒めてもらおうとも思ってないけどね。無礼なヤツは大っ嫌いだよ」
うーん、どういうこと? おばあちゃん?
数分後。私は宿屋の食堂にいた。椅子に腰掛け、テーブルに肘をつき、両手で顔を覆っている。色々と恥ずかしすぎて、対面に座っているふたりの顔をまともに見ることができない。
ゾンビ、もとい老婆の名前は、マルタ・ストロエフという。孫娘の方はレイナ・ストロエフ。とても血が繋がっているとは信じられないが、レイナはマルタの孫娘……らしい。容姿の話だけをしているわけではない。
レイナは性格までも天使のようで、カンカンに怒っていたマルタを「旅でお疲れだったんだから、しょうがないじゃない」と説得してくれ、私には「大丈夫ですよ。おばあちゃんも、悪い人ではありませんから」と優しく接してくれた。
「もう分かったから、さっさとお食べ」
マルタは、フンと鼻を鳴らすと、テーブルの上に置かれた皿を指さした。皿にはたっぷりの白いシチュー。ごろっと入った野菜と、薄切りのお肉の香りが食欲をそそる。スプーンを手に取り一口食べてみる。
うん、これは美味い! シチュー自体は食べことあるけど、こんなに美味しいのは始めてだ。優しい味ながら、鼻孔をくすぐるような香辛料の香り……。これは何が入っているんだろう……?
ちなみに、昨晩私が廊下で対面したのはレイナの方。久しぶりのお客さんをもてなそうと、一生懸命このシチューを作っていたところ、廊下に気配を感じて出てきたところだったらしい。「朝まで出るな」というのも、サプライズ的に美味しい朝食を出したかったから、だそうだ。
夢中でシチューを頬張り「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」と言うと、マルタは再び鼻を鳴らし「おかわりは?」とぶっきらぼうに聞いてくる。なるほど、確かにレイナの言う通り、悪い人じゃなさそうだ。
遠慮なく、おわかりを頂き、更に3杯目を勧められたが、流石にそれは無理。もうお腹いっぱい。歩けなくなっちゃう。ようやくお腹が落ち着いた辺りで、改めてふたりに詫びる。特にマルタには念入りに。まぁ、ゾンビ呼ばわりされちゃ、怒るわな。
「いえいえ。別に大丈夫ですよ」レイナがニコッと笑う。あぁ、天使さま。ありがとうございます。
「まぁ、済んだことだからね。もう気にしていないよ」マルタも不機嫌そうながら、そう言ってくれた。
「なにか、お礼に私にできることはないでしょうか?」
償い、というわけでもなく、どちらかというと、美味しい朝食の礼がしたかった。
「おばあちゃん、アレ。聞いてみたら?」
「旅の者に言っても仕方がないだろ?」
「で、でもぉ。このままじゃ……」
「ふん! まぁ言うだけならタダだからね。レイナ、言っておやり」
レイナは「心当たりがあれば、という程度で聞いて下さいね」と前置きしてから、話し始めた。
ここ『幻想亭』は、昔はそこそこ繁盛していた宿屋だったらしい。しかし近年、王都の中心部に新しい宿屋が乱立し、徐々に客足も遠のいている。特にここ数年はとても厳しく、できるだけキレイにはしているのだが、それでも古ぼけた外観から、旅行者は寄り付かなくなってきている。このままじゃ、宿を維持していくどころか、食べていくことすらできなくなってしまう。
うーむ、どこかで聞いたような話だな……。レイナの説明を聞きながら、私は深く共感していた。レイナによると、宿の老朽化はどうにもならないらしく、かと言って建て替える予算もない。そこで、どこかで働く場所はないだろうか? ということだった。
王都には色々な仕事はあるが、マルタとレイナのできることと言えば、宿屋の管理と食事をつくることくらい。色々当たってみたのだが、なかなか条件が合うところがなかったらしい。
「私とおばあちゃんが、慎ましく暮らしていければ、それで十分なんです」
うーん、そうは言ってもなぁ。宿屋や食堂などの知り合いはいないし……。今から仕事を変えようにも、レイナはともかくマルタは難しいだろう。……うん? 待てよ。食堂?
「お任せ下さい。おふたりにピッタリの職場、ありますよ」
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