第2話「あんたが、ここの魔王か?」

「新しい冒険者!? このダンジョンに、こんなに短期間で?」


 アルエルの失礼な言葉にややムッとする。アルエルとの付き合いは、そこそこ長い。彼女が所属していた一族から放逐され、さまよい、我がダンジョンの前で行き倒れていたのが、約10年前のことだ。


 種族的にはダークエルフ。本来、知的で邪悪。この魔王の直近の部下としては、これ以上ない……はずだった。しかし、実際のアルエルは頻繁に私の命令を間違えて部下に伝えるし、飲み物を持ってこいと命じれば、けつまずいて私の顔面にぶっかける。それも2分の1の確率でだ!


 致命的なのが「情にもろい」というところ。ダークエルフのくせに。つい先日など、私の自慢のトラップを前に足止めをくっていた冒険者が「くそっ! 病気の妻のために、金が必要なのに!!」と、泣く泣く引き返していると、その先にこっそりと宝箱を置いていたりした。


 冒険者は「あれ? さっきはなかったはず」と戸惑いながらもそれを開き、中に入っていた大金に大喜びでダンジョンを去っていった。彼の背後から、うんうんとうなずいていたアルエルを見て、私もちょっとだけウルッときたのは確かだ。しかし、後でその金が私の貯金箱から捻出されたことを知り、約2年の苦労が泡と消えたことに、愕然とすることになる。


 まぁ、それでも彼女は信頼に足る部下とは言える。概ね忠誠は尽くしてくれているし、先程のように、率直な意見をすることも多い(ムッとはするが)。


 それよりも今は、新しい冒険者だ。呪文を唱え、新しいスクリーンを表示。


 セクション1、ダンジョンの入り口に人影が見えた。が、ひとりだった。魔導器を操作して、左右を確認するが、他には誰もいない。スクリーンを指で操作し拡大してみる。はっきりとは見えないが、相当若そうな――恐らく10代前半といったところか――少女だった。


 身につけているのは強固な鎧でもなければ、魔導士などのローブでもない。まるで「近所を散歩してたら迷っちゃいました」という服装だ。いや、これは本当にそうなのかもしれない。と言うか、間違いなくそうだろう。


 いくら古ぼけたダンジョンとはいえ、単独で、しかも少女ひとりで攻略しにくることなどありえない。


 少女は立ったまま左右を念入りに見回している。そこであることに気が付き、私は「あっ」と思わず声を上げてしまった。


 セクション2に設置したスケルトンは、そのままにしてあった。もし少女がそのまま足を踏み入れれば、やつらは「侵入者だ」と勘違いし攻撃するだろう。それはマズイ。『ダンジョンでの負傷は自己責任です』それは入り口にも掲示してある。


 しかし、それは相手が冒険者、という場合に限る。間違って入ってきた一般市民にはそれが当てはまらない。場合によっては、ダンジョン責任者(つまり私)の責任が問われることになるし、ダンジョン自体の評判にまで傷がつく恐れがある。


 最近のダンジョンはEoWなどを含め、その対策のためにダンジョン前にゲートを設置し、入場を制限しているものもあったりする。ただ、そういうのは、雰囲気を悪くするだけだ、と私は思うので、このダンジョンには置いていない。まぁ、ゲートを設置する予算がない、というのもあるのだが。


 それにしても困った。頼むから帰ってくれ。スクリーンを見つめながら、そう願う。アルエルを送り、追い払おうかと思ったが、事態がより複雑になりそうな予感がして躊躇してしまう。


 しかし、そうも言っていられまい。私が、目の前でひざまずいているアルエルに命じようとしたときだった。ふとスクリーンに映っている少女が妙な行動をしているのに気づく。彼女がいるのはダンジョン入り口、セクション1だ。少し大きな広間になっており、右手にはルート5への道が見えているはずだ。


 少女は引き返すでもなく、かと言って奥へ進むでもなく、広間の正面奥の壁をマジマジと見ていた。手で擦ったり、コンコンと叩いたりしている。少しずつ位置をずらしながら、何かを確認するように丹念に調べていた。おい、ちょっと待て。まさか……。


 少女はある一箇所で立ち止まると、コクンとうなずいて、少し後ずさった。姿勢を低くし、力を溜めるような体勢を取る。そして一気に、壁へと突進していく。


「ちょっ……。そこは……!」


 少女は躊躇なく壁へキックを繰り出した。ダンジョン内に轟音が鳴り響き、この部屋の天井からもパラパラと割れた破片などが落ちてきた。別のスクリーンでは、スケルトンたちが「何事!?」とカシャカシャと慌てふためいているのが見える。


 私は思わず席を立つ。少女が破壊した箇所には……ダンジョンの秘密通路が隠されている。いわば「従業員用通路」というやつだ。通路の扉は、魔法で壁と同化しているので、冒険者が気づくことなどは絶対にない、はず。なのに、どうして……。


 い、いや! 今はそれどころではない。スクリーンを操作し、通路の映像を表示させる。セクション1、セクション2、セクション3……。いない。これはマズイ。なぜなら、その通路の先は……。


 その瞬間、この部屋――『最後の審判』と命名している。お気に入りだ――の壁が、轟音を上げて吹っ飛んだ。アルエルの背後、1メートルほどをかすめ、そのまま反対側の壁にぶつかり、再び轟音。


 吹き飛んだ壁の向こうには通路の輪郭が見える。が、土煙が立ち上っていて、その奥の様子は確認できない。その煙の中に、うっすらと人のシルエットが浮かび上がった。スカートの台形の影が、ふわふわと揺れているのも見える。一歩一歩、こちらへ近づいてきているようだ。


 私は、突然のことに動けないでいた。まさか、隠し扉を見つけるヤツがいて、しかもそれを蹴りでぶっ飛ばすなどとは、想像もできなかった。アルエルなどはガクガクと震えながら、頭を抱えてしゃがみ込んでしまっている。


 見かけはただの少女……なのに、とんでもないヤツが来てしまった。しかし、ここは魔王としての威厳を損なうわけにはいかない。ここで引けば、取り返しのつかないことになる。私が魔王として君臨できなくなるだけではない。下手をすれば、ダンジョンごと失ってしまうことにもなりかねない。


 それは絶対にできない!!


 私は意を決して、立ち上がった。既に土煙は収まりつつあり、少女の姿ははっきりと確認できるようになっていた。薄手のワンピースにくるぶしを覆うほどのショートブーツ。長く艶めかしく輝いている黒髪が、通路から入ってくる風に波打つように舞っていた。


 本当に見た目だけは「街の少女」と言っていいほどだ。しかし、彼女のやったことを思えば、それは間違いだと分かる。普通、街の少女は扉を蹴破ったりはしない。


「あんたが、ここの魔王か?」


 少女が立ち止まり、私に問いかける。しかし私はそれに答える代わりに、呪文を詠唱し始めた。このような場合「そうだ。我こそは『鮮血のダンジョン』の統治者マスター、バルバトス。よくここまで来たな、冒険者諸君。しかし、それもここまでだ。我を倒すことは、決して叶わぬ」なんて言うのだろう。ちょっとフラグっぽいけど、そういう演出も必要なのだ。


 だが、今回は違う。本能が「これはいけない」と言っている。彼女の見た目に惑わされてはいけない。躊躇をしてもならない。やられる前にやらなければ。詠唱を続ける。


 私が答えない、つまり呪文の詠唱に気づいた彼女は、不敵にニヤリと笑った。背筋に悪寒が走る。早くっ、早く呪文の詠唱を完了しなくては。


 次の瞬間、彼女の姿が消えた。「おや?」と思う間もなく、激痛が走る。そして彼女が目の前に現れた。息が止まる、呼吸ができぬ。見ると、彼女の膝が、私のみぞおちにめり込んでいた。そのまま椅子と共に、背後の壁までふっ飛ばされる。


「バルバトスさまっ!!」


 アルエルの叫ぶ声が遠くで聞こえた。

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