第69話別れですか?
約束の日は瞬く間に来てしまった。
シェリーと共に過ごしてから四週間。つまり、今日はシェリーの門出の日である。
正確に言うならば、この後しばらくは別の冒険者の元で、パーティーとしての動きなどを学ぶ期間になるのだが、ひとまずはハルトたちから卒業の日なのである。
最終的に、ハルトたちの協力も経てだが、Cランクの魔物を討伐するところまでたどり着いた。本来であれば、冒険者が三年間地道に実力を付けていき、ようやくたどり着くことのできるCランクレベルまでわずか一か月ほどで到達したことになる。
普通に考えれば、あり得ない早さだ。
では、何がシェリーをそこまで強くしたのか。要因は様々であるが、やはり大きな原因とすれば死地を乗り越えたことだろう。
純粋な戦闘的な面で見るとするならば、異世界渡りによる特殊能力である魔力吸収が大きい。実際、シェリーが魔力吸収を発動した瞬間、村の一つや二つを簡単に壊滅させるだけの危険を誇るCランクの魔物が即座に地にひれ伏す結果となった。
試してはいないが、おそらくCランク以上の魔物にも魔力吸収は有効な攻撃手段となりうるだろう。
実際、対人戦を想定しての一騎打ちを何度かした際、ハルトは彼女の手がほんの少しだけ腕にかすっただけで、魔力吸収により一瞬ではあるが、膝を折る結果になった。それも、パーティーバフの効いた状態で。
正直、理不尽なスキルだ。しかし、もちろん目に見える欠点として触れられなければ効果が発動しないわけだが、その弱点を補うためのパーティーだ。そこらへんは他の理不尽能力持ちの勇者たちと相談しながらカバーしていくしかない。
ハルトの想像していた以上に勇者という存在は、現地人である冒険者をはるかに凌駕した存在だった。地力は変わらないものの、やはり圧倒的な能力により、普通に相対せば絶対に敵わない。
「それでは、皆さん一か月間お世話になりました!」
ギルドの正門。赤毛の少女は礼儀正しく頭を下げた。出会ったころの挙動不審はもう面影もない。
それにしても、意外に淡泊である。もう少し別れを惜しむ的な感じになると想像していたが、それも彼女が考えて押し殺したのだろう。
そんな大人びた小さな少女とは打って変わって、指導者的立場のマナツやモミジはずいぶんと別れを惜しんでいるように見える。
「シェリーちゃん、辛いことがあったら何でも言ってね。私がすぐに駆け付けるから」
「そうだよ……。近くに来たら顔、出してね」
マナツとモミジは瞳を潤ませながらシェリーの手を取って強く握りしめている。その様子を見て、シェリーの瞳も少しだけ潤むが、彼女はずいぶんと意志が強いようだ。唇をきつくかみしめて、意地でも涙は流さないようにしている。
「僕たち、あんまり役に立てなかったけど、シェリーの部屋はそのままにしておくからね」
ユキオも随分としょげた顔だ。普段の柔和な顔が、さらに砕けている。
「皆さん……本当にありがとうございます! 正直、不安でたまらないですが、生きるために頑張ります!」
生きるため。独特な言い回しではあるが、彼女なりにこの四週間で導き出した今後の軸となる指標なのだろう。様々な経験を経たシェリーだからこそ言える言葉である。
マナツとモミジに抱きしめられ、うれしそうに苦しい仕草を取るシェリーの視線がハルトに向けられた。その純粋な目が、「何も言ってくれないんですか?」と意地悪そうに伝えてくる。
正直、言葉の用意はしていない。その時になれば自然と出てくるものだと思ったが、どうやらハルトも別れを受け止め切れていないようだ。ぽっかりと空いた胸の空虚な部分から、たくさんのものが外へ出てしまっているような感覚。
案外、シェリーがこの中で一番大人なのかもしれない。
「あー、そうだな……頑張れ! シェリー!」
絞りだした言葉は単調なものであった。しかし、素直に今の感情を表すのには最適な言葉であり、シェリーにもしっかりと届いたようだ。
シェリーが嫣然とした笑みをつくる。
思わず、泣きそうになった。
理由はよくわからない。それでも、ぶわっとあふれ出した涙を隠すように下を向いた。
気が付けば、ずいぶんと辛気臭い雰囲気が漂っている。マナツやモミジはそれはもう、シェリーよりも子供に見えるくらいには号泣している。
「まぁ、まぁ、皆さん。もう会えないってわけじゃないんですから、いつかは絶対に帰ってきますよ。私のこの世界での故郷はここなんですからね」
「それもそうだ。もう、家族みたいなもんだしな」
「そうだね。いつでも帰っておいで」
マナツとモミジは声にならないようで、首を縦にぶんぶんと振っている。
「それでは、行ってきま――」
殺気に次いで、恐怖・畏怖・憎悪といった様々な感情が一帯を支配する。
「な、なに!?」
マナツは既に鞘から剣を取り出して周囲に目を配っている。もちろん、シェリーを含めた他四人も剣を引き抜いてとっさに臨戦態勢に入った。
視界に映る冒険者の何人かが、糸の切れた人形のように意識を失い、地面に倒れこんだ。いや、冒険者だけではない、ギルドの外を往来していた大勢の人が地面に伏している。むしろ、気を失っていない人の方が少なそうだ。
「何だ!? これ!」
「きゃぁああああああっ!」
「何が起きてるんだよ! おい!」
瞬く間に一帯はパニックと化した。ハルトたちも思わずその場で案山子のように立ち尽くし、茫然とその様子を眺めることしかできなかった。
刹那、全身を包み込んでいた殺気がより一層濃くなった。
本能がガンガンと警鐘を打ち鳴らす。口は乾き、瞬きすら恐怖で出来ない。目を閉じた瞬間、見えない何かに一瞬で串刺しにされてしまいそうだ。
そして、不気味すぎるほどの静寂が訪れる。先ほどまでの喧噪が嘘のように物音一つしない。街に吹き抜けていたそよ風すらも、いつの間にか消え去っている。
どうやら、この理不尽で抗いようのない世界は、どこまでもふざけているらしい。
空が灰鼠色の雲に支配される。
凍てつくような冷気が漂い、ハルトは白い息を吐いたのであった。
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