第68話この想いはどこにぶつければ?

 剣を振り抜くのに戸惑いはなかった。

 朱色に輝く剣が軌跡を残して一閃。もはや、肉を断つ感覚も感じないほどの速度だ。振り抜いた自分ですら、軌道を把握するので精いっぱい。


 目の前で力を失った人形のように倒れる襲撃者に一瞥をくれることなく、ハルトは足を動かした。先ほどのスキルでハルトの位置は他の襲撃者にバレている。数秒でも立ち止まっていようものなら、ハチの巣にしてくださいと言っているようなものだ。


 初めて人を殺した。だというのに、思ったよりも何も感じなかった。罪悪感や嫌悪感など、普通は多少なりとも感じてもよいはずだが、どうやらそれよりも積もりに積もった不満と怒りの方が強いようだ。

 本当にどいつもこいつも、まだ成人すらしていない少女の命を狙う神経が知れない。


「ハルト君、右!」


 後ろを走るモミジの声よりも早く、右手を真横に突き出し、無詠唱で魔法を発動する。瞬時に魔方陣が展開し、十数本にも及ぶ光の矢が高速で射出された。

 鏡のように展開された相手方の魔方陣から、炎を纏った岩石が生み出される。岩石はまるで操られているように矢を無尽にかいくぐってハルトに迫った。しかし、ハルトの鼻先で燃え盛る炎ごと氷に包まれ、勢いなく地面に鈍い音を立てて沈む。


 足を止め、避けることもできたが、あえて走り続けた。無論、モミジが防いでくれると信じていたからだ。


「ぎゃあぁっ!」


 ドスッ、ドスッという弓矢が肉質的な物体に突き刺さる音と共に、見知らぬ男性の断末魔が耳を這った。


 広いとも言えない庭を周り、家の裏手へと身を滑り込ませる。その瞬間、待ち伏せをしていたように無数の魔方陣が一定の距離を開けて展開された。

 雷や風、水、剣、氷、様々な種類の魔法が視界を染め、一気に死を意識させる。


「モミジ! 右半分!」


「――はい!」


 胸の奥から湧き出るようにふつふつと感じる魔力を惜しむことなくひねり出した。モミジもほぼ同時に魔方陣を展開し、魔法を放つ。


 無数の光球と氷塊が迫りくる色とりどりの魔法と次々接触し、相殺する。真っ暗闇の街に小さな花火が咲き誇った。

 これが殺し合いでなく、エンターテイメントであれば素直に綺麗だ、と口にしていただろう。


 一帯がつかの間の明かりに照らされる。暗闇に浮かび上がる複数の敵影を確認した。


「モミジ! 何人だ!?」


「九人……いや、十人!」


「オーケー。俺も十人は確認した! それ以上いるつもりで行くよ!」


 モミジの返事を待たずに駆け出す。

 ふいに家の中から爆発音と悲鳴が聞こえてきた。どうやらハルトたちが裏手に回った隙に正面から襲撃者の一部が侵入したようだ。

 しかし、助けに行く必要もないであろう。家の中であれば十分に明るく、不意打ちをくらう恐れもない。それにマナツとユキオの二人が付いているのだ。心配するような事態ではない。


「おい……。我々の目的は勇者の少女だけだ。抵抗するな」


 暗闇の中から、交渉ともとれる言葉が聞こえてくる。ハルトとモミジはその場で立ち止まり、例のごとく背中を軽く合わせるようにして死角をつぶす。


「我々の依頼主から、こんな提案が出ている。……勇者の少女を引き渡せば、貴様らが請け負っている依頼の二倍の報酬を出そう、だそうだ」


 あぁ、本当に虫唾が走る。まさか報酬のために躍起になってシェリーを護っていると思われていたのだろうか。だとすれば、この憎悪はさらに膨らんでしまう。


「貴様らにとっても、良い条件だろう。たかが一人の命で一生暮らせるほどの大金が手に入るんだ。わかったら、今すぐ上空に火球を打ち上げろ。それが合図だ」


 たかが一人の命?


「一分、時間をくれてやる。その間に決めろ」




 もう、限界だ。




 未だかつて、こんなにも感情のコントロールが効かなくなったことがあっただろうか。視界が軽く揺れ、心なしか赤く染まる。吐き気と激しい頭痛に、今にも意識が飛んでしまいそうだ。

 胸の底が溶けるように熱を増していく。


「――五十」


 おもむろに口が小刻みに動き出し、魔法が詠唱されていく。動き出した口は、もう止まることは無かった。


「――四十」


 モミジの背が軽く離れた。もう、周囲の警戒など全くと言っていいほどしていなかった。たとえ、今この場で奇襲されようがたぶんモミジが防いでくれるだろう。


 目の前に小さな魔方陣が展開される。小さすぎる魔方陣だ。襲撃者から見れば、交渉に頷くための火球を上げる魔方陣に見えるのだろう。


「――二十」


 全身に流れる魔力が、右手に凝縮されていく。今にも解き放たれてしまいそうだ。しかし、まだ駄目だ。もう少し……いや、だ。


「――十」


 限界まで捻りだす。

 本当にこのパーティーバフというものは不思議だ。とっくにハルト本来の魔力量は使い切っているはずなのに、際限なく魔力があふれ出してくる。


「ハルト君……」


 モミジは止めない。彼女なりに多少の葛藤はあるだろう。理性を飛ばしかけた自分でもわかる。この魔法は使ってはいけないものだ。

 それでも、モミジは止めることなくじっとハルトを見つめる。


「さあ、時間だ。――選べ」


 はち切れんばかりの右手を怒り任せに魔方陣へと叩きつけた。ふっと意識が遠のくが、踏ん張って堪える。

 鋭い輝きを放った魔方陣の光が徐々に収まり、刹那の静寂が訪れた。

 そして、魔方陣から拳ほどの小さな火球がふわっと浮かび上がり、上空にまるで風船のようにゆらゆらと昇りゆく。


 煌々と暗闇の空を照らす小さな火球はハルトの遥か上でピタッと止まった。


「よし、交渉せいり――」


「つなわけねーだろッッ!」


 火球が目にもとまらぬ速さで回転しだす。徐々に炎を纏い燃え広がる。

 辺りの空気を取り込み続け、肥大し続ける火球はついにドラゴンへと姿を変えた。

 

 ドラゴンは唸り声を上げ、灼熱の炎を吐きだす。

 あまりの熱気に灰が焦げてしまいそうだ。炎で出来たドラゴンが炎を吐くなんて、馬鹿げた話。


 シェリーの姿が二階の窓際に映りこんだ。


「くっそぉぉッ!」


 炎に身を焦がした襲撃者の一人が、二階の窓まで一瞬で移動した。シェリーが身を硬直させる。

 襲撃者の刃が窓越しのシェリーの首元に伸びる。


 そして、窓硝子を刃が断ち割ろうとした刹那、襲撃者の姿がドラゴンの一噛みによって消滅した。

 ひとりでに動き出したドラゴンは襲撃者の一人を食い散らかしただけでは事足りず、次々と暗闇に隠れる襲撃者に炎を浴びせ、噛みつき、灰塵すら残さずに飲み込んだ。


 こうして、一連の襲撃事件はハルトの魔法一つで終幕したのである。


「……くそっ!」


 やりきれない思いと焦燥感がふいに訪れた静寂に溶け込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る