スリー・シスターズ(7/7)
「何言ってるの! あんたは分かってないの!」
親母はわたしの発言をピシャリと平手打ちして帽子を脱ぎ、苛立ちが抑えられないように手櫛で髪をかき上げた。
「ブルーマウンテンズでは間違いなくあったんですね? お客様が寄った場所に連絡して確認します」
マイクごしのアナウンスとは違う、日本語の正しいイントネーションで、ガイドが紳士然と対応する。
「絶対見つけて! 絶対。だいたい、あんなトロッコなんかに乗ったから……わたしのすること、みんな調子悪いのよぉ」
八つ当たり的にトロッコ列車のことを切り出したので、静まっていた車内から失笑が漏れる。顔が火照り、わたしは親母を目で制した。いい恥さらしだ。
ーーそう、みなさん、最大傾斜五十二度を駆け上がるという、ギネス記録のトロッコはいかがでしたかぁ? 黙っててごめんなさいでしたぁ。楽しめない方もいらっしゃったでしょうねぇ。
自分の立ち位置に戻ると、ガイドは何事もなかったふうにマイクを通して朗々と語り、バスはノンストップで解散場所に向かった。
愛用のタバコケースを失くした親母は、結局、そのまま南半休を離れた。わたしの「ファイナルアンサー」を聞くことなく。
「あんたにはあんたの人生があるからね……仕事もいいけど、体には気をつけなさいよ」
ツアーに組み込まれているからと、空港までの見送りを親母は辞退して、シドニーのホテルとわたしの部屋を電話が繋いだ。
「みんなが離れていても家族には違いないわ……でも、あたしは、ゼロ子の赤ちゃんは期待しないでおくわよ」
笑いながらの、それが親母の最後のセリフ。ヘラヘラ顔が目に浮かぶ。
そうしてまた、わたしたちは離ればなれになった。きっと、いままでどおり距離を置いた方がお互いにとって幸せなのだろう。「近いうちに結婚する」くらいのリップサービスをしてもよかったけど。
日常の仕事に間断なく戻り、スリー・シスターズの面影を忘れかけた頃……覚えのない宅配便が届いた。
差出人はブルーマウンテンズ観光のツアー会社だった。
迷わずに接着テープを剥がしてみる。
便箋のメッセージとエアクッションにくるまれたタバコケース。
タバコケースは年季の入ったもので、長旅から戻ったかんじでくたびれていた。
「レストランにありました。手際が悪く、発送が遅れてしまい申し訳ありません。お母樣にお渡しください」
ホックを外して、わたしは中味を確認した。
メンソールのタバコは銀紙の部分がていねいに切られ、まだ開けられたばかりだった。
ケースを裏返してみると、ポケットがあって、何かが入っている。
それは、一枚の古びた写真だった。
ポケットのサイズに合わせて切ったのか……四隅がすり切れ、消しゴムでこすったみたいに少しだけぼやけている。
ガラスから差し込む光を斜めにあて、わたしは画像を念入りに見た。
家族写真だ。記念撮影のように皆が畏まり、赤ちゃんを抱いた母親の横で、幼い姉妹が立っている。若い母親は親母だった。年長の女の子はわたしの姉だとすぐに分かった。向かって右側にいるのは、二歳か三歳の次女だろう。二重まぶたのぱっちりした目は見覚えがある。誰かに似ている。
手がかりを見つけようと、写真を裏返した。色あせたブルーブラックの万年筆で、文字が小さく書かれている。
[私の三つの宝物 1985]
右肩上がりの癖のある字は親母のもので、4桁の数字はわたしの生まれた年だった。
三つの宝物……。
胸の内側が熱くなり、自ずと手が震えた。
子供ができずに病気がちだった叔母。親母は、そんな自分の姉を深く愛していた。だから、宝物のひとつを、幸せのひとつを姉に分けたのだ。
それが二つめの宝物の「祥子」だった。わたしのもうひとりの姉はバンクーバーにいた。
写真を胸にあて、もう一方の手で窓を開けると、南からの風が真新しい空気を運んできた。
深呼吸する。
オーストラリアの果てしない空は、カナダにも、日本にも繋がっているーーいまさらそんな当たり前のことに気づくと、なぜだか、無性に家族の温もりが恋しくなった。
風がほのかに頬を撫でていく。
目を閉じて、薄れた記憶の断片をいくつか拾い上げてから、わたしはタバコケースに写真を戻した。
おわり
⬛単作短篇「スリー・シスターズ」by
TohruKOTAKIBASHI
短篇小説「スリー・シスターズ」 トオルKOTAK @KOTAK
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