スリー・シスターズ(6/7)
「ここは箱根なんかと変わらないわね。乗り物に乗るのが忙(せわ)しくて、全然ゆっくりできないわ」
親母の口から、やっといつもの愚痴がこぼれ出た。わたしは反論せず、苦笑いで、なんとかブルーマウンテンズ観光の思い出作りに努める。高いツアー代を払ったのにこのままではもったいない。
やがて、カウボーイハットの現地スタッフに促されるまま、ベルトコンベア式に「スカイウェイ」に乗せられた。満員の空間で、親母とわたしは窓際のスペースを確保して、間近にスリー・シスターズを眺望することができた。
関西弁でしゃべり続ける中高年のそばで、親母はガラスにぴったりくっついている。わたしはさり気なくカメラを向けた。
「せっかくなら、岩をバックに撮ってよ」
リクエストどおりに、親母とスリー・シスターズを一枚の写真に収める。ロープウェイは止まることなく動き続けているので、ベストショットは難しかったけど、ほとんどの観光客が狭い空間でそれぞれの記念写真を撮っていた。
レンズ越しの親母の横顔がわたしに似ている気がして、言いようのない不思議な想いが込み上げてきた。「不思議な想い」の正体はとても穏やかで、こんな遠い場所まで来て、憎まれ口をたたく肉親を不憫に思った。そうして、記憶の引き出しが整理され、忘れていた事実を不意に思い出したのだった。
「ほんとは、うちもスリー・シスターズだったのよね?」
「スリー・シスターズ?」
親母が帽子のつばに手をかけてリピートする。
「三姉妹よ……三人姉妹だったんでしょ? 姉さんとわたしの間に一人いれば。前に言ったじゃない。『ゼロ子は三女』だって」
声のトーンを下げて続けると、親母はバツが悪そうにうつむいた。
少しの間だけロープウェイが止まり、Uターンして進み始める。スリー・シスターズがみるみる遠ざかっていく。
安易に口をついて出た言葉は、もうわたしのものではなくなっていた。親母は外の景色に視線を斜めに預けている。
地平線まで拡がる青紫の山々が霧に霞み、乳白色の空に同化していた。
わたしのもうひとりの姉は、一秒もこの世の光を見なかった。死産だった。
中学生だったわたしに、親母は昔話ふうにそのことを告げた。ありきたりの会話の中で。哀しみも悔いもない表情で。
親母はわたしを一瞥すると、口をへの字に結んで、ロープウェイの鉄製の手すりを掴んだ。
どこかからすきま風が流れ込んでいるのか、ブラウスの襟元が微かに揺れている。
「……二人よ」
低く涸れた声で、親母が発した。わたしを見ないまま。
「二人姉妹なのよ。いずれにしても……あの子が生きてたら、あんたを産んでなかったわ。だから、ゼロ子は敗者復活」
言い終えて、親母はヘラヘラ顔になった。そのおきまりの表情が、わたしの中でほんの0コンマ何秒のうちにじんで消えた。
それから、ブルーマウンテンズを出発し、わたしたちはバスでカトゥーンバという街に移動した。映画のセットに似たこじんまりした街には季節外れの桜並木があって、レストランや雑貨店の集う通りを八重桜が包み込んでいた。綿菓子みたいな桜の花は数百メートル先まで続き、絵画めいたその美しさがわたしの心に刺さった。
まるで、花びらの一枚一枚が、「寺崎令子」の人生にクエスチョン・マークを投げかけているようだった。
ロープウェイを降りてから、親母は「らしくない」行動を続けた。妙にやさしい仕草を見せ、使い捨てカメラでわたしを撮ったり、落ちている花びらを服につけようとしたり……。
けれども、帰りのバスが動き出したとたん、彼女は豹変したのだった。
自分の服のあちこちをまさぐり、ハンドバッグをひっくり返す。
「タバコケースがないのよぉ! わたしのタバコケース! ちょっと、ちょっとぉ、バス、停めてぇー!!」
わたしがフォローするより早く、乗客の叫び声に爬虫類顔のガイドが飛んできた。
親母はタバコケースが見当たらないことを早口でまくしたてた。ブルーマウンテンズを出て、レストランで昼食をとり、お土産ショップに寄って……そのどこかでタバコケースを置き忘れたらしい。誰のせいでもない、自分の不注意だった。
運転手がお構いなしにアクセルを踏む。
「どうすんのよぉ、あれ。タバコは買えばいいけど、ケースはひとつしかないのよぉ!」
ツアー客全員に訴えるように叫ぶ。通路側のガイドは、腰を低くして寄り添い、話をしっかり聞き取る誠意を見せた。
バックスキンのケースで、銀色のホックがあり、裏側にはコーヒーのシミが付いている……思いつく限りの形状を親母は説明し続けた。
「ガイドさん、いいんですよ。たかがケースなんだから」
タイミングを見計らって、わたしが弁解する。
(7/7へ続く)
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