スリー・シスターズ(5/7)
青空に浮かぶ三つの巨大な岩は、女性が変身したというより、アボリジニーの戦士が岩に生まれ変わったみたいだった。猛々しく、神々しい。
「ちょっとぉ、ゼロ子。あれ、本当?」
突然、わたしのダンガリーのシャツを引っぱりながら、興奮調で親母が言った。
彼女の目線の先にはトロッコ列車のレールがあった。わたしたちは山あいのいちばん低い場所にいるらしく、レールは天に昇るように峡谷の間へ消えていた。
信じられない傾斜だった。
スキーのジャンプ台の滑走路にレールを貼ったかんじで、わたしは唾を飲んだ。何かの冗談だろう。遊園地のジェットコースター以上だ。
と、そのとき、断末魔の叫びとともに、トロッコがうなりをあげて駆け降りてきた。とんでもないスピードで、地の果てまで転げ落ちていく勢い。
「あたしは、ぜったい、イヤだからね!」
親母が声を震わせる。
シーニック・レイルウェイという名のトロッコ列車は、二人掛けの座席が無造作に並んでいるだけで、窓もルーフもない。遊園地のアトラクションほどに整備されているわけではく、あちこちがひどく傷(いた)んでいるのが見てとれた。
わたしたちの横で不快なブレーキ音とともに停止し、青ざめた乗客を吐き出していく。髪を乱した女性、歯を食いしばった男性。
――実はぁ、このトロッコ列車はギネスブックに載っております。何の記録かはぁ、いまは教えません。乗りたくないと思ってらっしゃる方も、世界記録の体感はいい思い出になるはずです。
世界記録の体感? こんな大自然にまったく必要ないオプションだ。
空(から)になったトロッコが、プラットホームの客を待つ。
「さ、乗るわよ。ぜんぜん恐くないから」
膝の震えを隠して、わたしは親母と自分自身に向き合い、「どうにでもなれっ!」の気持ちで席に乗り込んだ。すぐに発車しそうだったので、ためらう時間はなかった。
「ほんとにこれ……ほんとにこれ、大丈夫なのぉ???」
頭(かぶり)を振る親母の手を必死に引く。もう、一緒に乗るしかない。
進行方向に背中を向けて座る格好で、手すりと足下のつっかえ棒だけが体を支える仕組みだった。
インターバルもほとんどなく、満席のトロッコが動き出す。
ジェットコースターの巻き戻しの要領で、わたしたち乗客は背中から一気に引っ張られた。
「ちょっと、ちょっとぉ、帽子はどうすんのよぉぉ」
頭を抑えながら親母が怒鳴った。完全なパニック状態。わたしは片手で彼女の帽子を奪い、それを自分の左手と手すりの間に挟んだが、そのせいで、腿の間のリュックがすべり落ちそうになる。
ゴーッ。ゴーッ。地響き音。ものすごい風圧。
垂直としか思えない傾斜を、トロッコは一気に駆け上がった。
「わ、ぎゃああああああ」
いままで聞いたことのない親母の声が他の悲鳴に重なる。天地がひっくり返り、重力に胸ぐらをつかまれ、わたしはあり得ないくらい強く目をつぶった。内臓が口から飛び出しそうだ。くいしばった歯の強さでこめかみが痛い。最低最悪の罰ゲーム。人生最大の苦痛。
「うっ、ぎゃああああ。ぎ、ぎ、ぎぎぁ、ぎゃー」
左側で、親母がこの世のモノとは思えない声を上げる。少しだけ目を開けると、前列の男が亀のように縮こまっていた。
間もなくして、トロッコ列車は勾配を駆け抜け、平坦な部分をいくらも走らずに停車した。
親母の手をまた引いて、わたしは停車駅を急いで去ろうとしたけど、思うように足が動かなかった。次に乗車する観光客たちが好奇の目で見ている。
「まさか、こんな乗り物だなんて……」
かたちばかりの改札を抜けたところで、わたしがようやくつぶやく。何も言わずに帽子をかぶり直した親母は、目尻を涙で濡らし、顔を歪めていた。
もう十分だけど、わたしたちにはあとひとつ乗り物があって、そのロープウェイの乗り場からは、スリー・シスターズが拳ほどの大きさで見えた。黙ったままの親母は、ハイテンションな団体客の横で微動だにしない。わたしはカメラを伝説の岩に向けた。
(6/7へ続く)
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