あちらとこちら

来条 恵夢

彼方と此方

 いいか、最後の五分だけは絶対に気を抜くなよ!

 

 耳元に、その声が甦ったような気がした。

 何度も聞いたそれを、初めて聞いたのはいつのことだっただろう。

 

 今は、舞台の上で正義の味方に切り捨てられる寸前。ここから、俺の最後の五分間が始まる。

 大ぶりの立ち回りに、客席からは正義の味方ばかりを応援する熱のこもった声援が飛ぶ。

 息がこもる被り物の正義の味方とは違ってこちらは、化粧やかつらや付けひげでごてごてと飾り付けられているしマントやら見た目だけの飾りやらで動きにくくはあるが、まだ息はしやすい。

 ただ、相手ばかりを応援する声もダイレクトに届いて、止まらない汗の何割かはそのせいじゃないかとさえ思ってしまう。

 激しく見えるように、その実、丁寧に、何度も打ち合う。

 

 終わり良ければ総て良し、じゃないけどな、最後の終わり方がやっぱ一番記憶に残るんだよ。

 だから全力を尽くせ。

 この五分で世界が終わっても後悔しないくらいに、燃え尽きてあとには何も残らないくらいに、燃やし尽くせ!

 

 うるさいなあ、と思う。

 頭の中で、こちらの息があがっているのにもかまわずがんがんとしゃべり続ける、過去のあいつに向かって。

 

 現実ではもちろんそんな声はしていなくて、子どもたちの声援を浴びる正義の味方に、じりじりと押されているような演技をする。

 本気で悔しそうに。

 誰に気付かれなくても、全力を振り絞って。

 

 最後の五分間で、それまでの何もかもを吹き飛ばすくらいに、魅せてやれ!

 

 とうとう刃に貫かれ、それでもこれで終わりじゃないと、どう考えても負け惜しみの言葉を口にしながら、舞台袖にはける。

 そして俺の抜けた舞台の上では、歓声に囲まれて正義の味方がポーズを決める。

 まだ数分、そうやって舞台は続くから決して声は出さないが、これで今日も最後の、全力の五分間が終わったと息を吐く。

 

 今日、こんなにもあいつの声を思い出した理由はわかっている。

 客席に、あいつがいたからだ。

 子どもを連れて、絵に描いたような休日のお父さんをしていた。一目で判ってしまったことに驚いたくらいには、何かが変わっていた。

  

 あれだけ熱弁をふるったあいつは舞台を去ったのに、なぜ俺はまだここにしがみついているのだろう。

 そして、こんなにもしつこく頭に鳴り渡る声を、あいつは聞いたりはしないのだろうか。

 

 ――俺の五分間は、ちゃんとあいつに届いただろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あちらとこちら 来条 恵夢 @raijyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ