第47話 人間だもの

僕はどうしても佐藤さんを追う気になれず、その場にへなりと座り込んだ。と言うより膝から力が抜けた。

これは自分自身に対しての失望だ。


魔界へ来てから僕は、何もかも順調で、順風で、難なく日々をこなしてきた。多少なりとも苦難することがあっても、それは"文化の違い"で済ませられるレベルの問題だったし、それが新鮮で楽しくもあった。


「先生……?」


座り込んで途方に暮れている僕の横にそっと腰を下ろしたレイミアさんが、心配そうに顔を覗き込む。僕は心底情けなくなって力無く笑った。


「嬉しいわね、先生。」


そんな僕に掛けられた言葉は、まるで斜め45度。レイミアさんらしくない、素っ頓狂な一言だった。


「……嬉しい?」


訳が分からず首を傾げる僕に、彼女は続ける


「だってほら…先生って、今初めて先生として自分と向き合ってるんでしょう?」


カラカラと優しく笑いながら、未だに言葉の意味が分からず黙り込む僕を見て楽しそうにしている。


「ここへ来てから先生ったら、いつも私達や子供達の事ばかりで…この世界に来たって事を、どこか考えないようにしてたじゃない。」


僕は、魔界に来てからの日々を思い返しながら、レイミアさんの話に耳を傾けた。


「全てが上手く行っていて、全てが思い通りに行っていて…まさか先生、世界が違うって事忘れてたのかしら?」


それは確かに忘れかけていた。


「先生のいた世界とはそれこそ全てが違うのよ?ここでは………一歩間違えればそれは死を意味するの。」

「あの泉の事ですね…」

「そうね…それもあるんだけれど…今のままだと先生はいつか、泉よりも痛い目に合うんじゃないかしらって…心配していたのよ?」


レイミアさんの言葉に少し耳が痛くなったけれど、その声色から本当に心配してくれているんだと分かった僕は、深々にそれを受け止めた。


「何でも"表裏一体"って言うでしょう?穏やかな魔王城から出れば殺し合いの戦争をしていたり、裕福な暮らしの隣では誰かが餓死していたり、優しく微笑む反面では裏切りを模索していたり、綺麗な森の中には毒の泉があったり───」


「それなのに先生はいつも、穏やかな魔王城や裕福な暮らし、優しい微笑みや綺麗な森ばかりを考えてる。」


「それはね、とても良い事なんだけれど…そればかりじゃ駄目なのよ、この世界は。いえ…どの世界でもそうなのかもしれないわ。裏切り、陰謀、逆心、反乱、悪虐、暴虐、心無さ……どこにだって沢山あるものよね。」


「そう言うのと少しだけ…少しだけ向き合っている先生を見ると嬉しいのよ。やっと向き合ってくれて、嬉しいの。」


「先生は今、魔界にいるのよ?」


「人間の命は限られてるから行動に対して意味があるんだと思うの。私達とは違って…極僅かで短い時間だからこそ、先生の成すことや教える事には意味があるの。」


「だから──たった一度の失敗でそんなに落ち込んだりしないで、ね?今、先生として向き合った自分に誇りを持って欲しいのよ。」


あぁ、僕はもうレイミアさんをお母さんと呼びたい。いや、先生と呼びたい。


「それに、私が先生ならきっと……"ごめんねっ!めっちゃ死ぬとこだった☆"で、終わらせてるわ。」

「軽くないですか!?」

「そんなものよ、魔物達なんて!」


本気なのか冗談なのか、笑いながらそう言うレイミアさんに、僕は少しだけ心が軽くなった。何度この言葉を使ったのか、最早分からないが──敵わない。


「それこそ相手が魔族なら、私は謝りもしないわね。」


だって死なないもの、と楽しそうに付け加えたレイミアさんが恐ろしくも頼もしく、本当に僕の同僚なんかでは勿体ない人だと確信した。


カラカラと笑うレイミアさんの言う通り、世の中には綺麗な事ばかりが存在している訳では無い。僕も多少なりとも分かっているし、自分の世界で完璧な人間ばかり見てきた訳では無い。


失敗もするし、挫折もする。傷付ける事だってあるし、間違いを犯す事もある。

自分ではどうにもならない大きなものに動かされ、押し潰され、捻られ、揉まれ、そうやって学びながら大きくなっていくものだ。


そんな初歩的な教育理念を、僕はこの世界に来ていつの間にか忘れていたようだ。


僕だってまだ保育士としては未熟で、子供。

この失敗をいつまでもうじうじと悩むべきでは無く、反省し次に生かすのが今の僕のするべき事なんだ。


そう、それにレイミアさんも言っていた


相手はただの子供では無く───魔界の魔物や魔族なのだ。多少の失敗は失敗では無く日常なのだ。



すっかり気持ちを切り替えた単純な僕は、さっきまでの疲れは何のその!と、"第一回ロアゾブルの森で発見!巨大生物大会"へ参加する為に立ち上がった。


「すっかり元気になったみたいね。」


レイミアさんはそんな僕を見て、優しく微笑んだ。そののんびりと纏っている空気を読むに、どうやら彼女はこの大会には参加しないみたいだ。


「レイミアさんのお陰で何とか。とりあえず今は目の前の出来ることに挑戦してみようと思います。」


僕は軽く手足を伸ばし、柔軟しながらそう言った。まぁ、魔王佐藤さんが乗っていたあの生き物には到底勝てないだろうけれど、この世界で生きていく限りは可能性を信じてみたい。


「先生のそういう前向きな所、好きよ。」


小さく笑いながら、レイミアさんはまた僕を困らせるような事をサラリと言う。僕もまぁ単純な男だ。それだけで意気揚々と巨大生物を探しに行けるのだから。

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僕は魔界に就職してみた。 遠藤 九 @end-IX

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