婚約者は夏ドラゴン
ロッカー・斎藤
婚約者は夏ドラゴン
「そういえば私、この夏に結婚するんだ」
がじがじと、アイスキャンディを齧りながら私は友達のサキに告げる。
そろそろ言っておかなきゃなぁと思っていたが、説明が面倒でずっと引き延ばしにして来た案件をようやく言えたので、私の気持ちは若干すっきりとしていた。
まぁ、反対にサキが豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔でこっちを見ているけど。
「……え? ごめん、えっと、え? 果歩って恋人いたっけ?」
鈴木 果歩(すずき かほ)。
それが私の名前である。純正の日本人であり、黒髪黒目で、最近、胸よりも背の方が成長しているのが悩みの女子高生だ。ちなみに料理部所属で、女子力は高い方だと自負しています。
「居ないよ? でも、婚約者は居たのさ、実は」
「居たのさ、じゃなくて。え? なんで、今? 学校の昼休みに、だらだらとアイスを食べながら言うこと?」
「メールで済ませるよりはいいかなって? SNSで伝えるのもあれだし」
「そういうことじゃなくて! もう! その、学校はどうするの? 結婚したら、学校はどうするの?」
「普通に通うよ。相手方は私が学校を卒業してから、嫁入りして欲しいってさ」
「……そ、そうなんだ」
サキは安心したようにほっと胸を撫で下ろした。
恐らく、唐突に『結婚する』などとほざき出した私の心配をしてくれたのだろう。私も、私の友達が唐突に結婚するとか言い出したら、正直、その頭の中に脳みそがあるのかを疑いたくなるからな。
「それで、相手は? どんな人なの? ちゃんとした職業に就いている? 年収は? どういう馴れ初めなの?」
「おいおい、がっつりくるなぁ、サキ。お前のふくよかな胸が、がっつり肩にくっついて暑いぞ。ちゃんと話すから、離れろ」
「あーい」
大人しく離れるサキ。
サキは恋愛話が大好きな、小柄で胸のおっきい可愛い系の女子だ。正直、外見からして色々モテるのだが、恋愛に絶対的なロマンを求めている面倒くさい系の女子であり、そのため、未だに誰とも付き合ったことが無いというちょっとアレな子なのだ。
もっとも、幼い頃から婚約者が居るなんて、現代日本に於いて古風な背景を持つ私が言えた義理ではないけれど。
「んー、婚約者がどんな奴、か」
「そうそう。画像データとかあったら見せてよ! ねぇ、いいでしょ?」
「別に構わないけど、そうねぇ。どうせなら、実物を見た方が分かり易いか」
「え、実物?」
首を傾げるサキをよそに、私は手早くアイスキャンディ―をがりがりと食べ尽す。残った木の棒には『ハズレ』と書かれていた。残念。子供の頃から棒アイスを買っているけど、一回も当たった時ないんだよね、不思議。
「ほら、あれ」
「……あれって、まさか?」
私はアイスの棒で、窓の外を指し示した。
窓の外には、目が眩みそうなほどのスカイブルー。
ふわふわと綿あめのように浮かぶ、真っ白な雲。
そして――――その中を悠々と泳ぐように飛ぶ、翼の生えた真っ白なクジラが一匹。
「夏ドラゴン? え、マジで?」
「うん、マジマジ」
空飛ぶ、翼の生えた白鯨――――水智町第六代目、夏ドラゴン。
それが、私の婚約者である。
●●●
水智と書いて、ミズチと読みます。
由来は、五百年前にも遡るらしいのですが、ある日、ひどい干ばつで苦しんでいた当時の村人たちの前に、真っ青な色をした大蛇が現れたのだとか。
その大蛇は村人たちに告げました。
「可愛い女の子を嫁にくれたら、雨を降らせてあげてもいいよ!」
村人たちは、戸惑いながら応えます。
「もう一声!」
「えー、んじゃあ、しばらくの間、ずっとこの村の空を守ってあげるわ」
「あれ? 飛べるの、君? 竜?」
「ドラゴン」
「どうらごぉん?」
「ドラゴン」
村人たちと大蛇――もとい、ドラゴンとの交渉は大よそ現代で言う所の十分程度で終わったという。思いのほか、スムーズに進んだらしいですね。
ドラゴンの嫁になった娘は、可愛いけれど気が触れていると村の中でちょっと引かれていた娘でしたが、大蛇相手にまったく恐れない肝っ玉の太さに、ドラゴンは惚れこみました。
その惚れっぷりたるや、ついつい、自分の故郷である異世界の里帰りした際、
「いやあ、俺の嫁さんが可愛くて仕方ないわぁ! やっぱり、時代は人間だわー! 人間の娘さん最高だわー! 八百年間、生きててよかったー!」
などと独身のドラゴンを素のテンションで煽るほど。
煽られた独身のドラゴンたちは、当然、怒り狂って「はぁああああああ! 俺たちだって、嫁さんを見つけられますしぃ!」と叫びながら、次々と村にやってくる始末です。
当然、村の人たちは大迷惑。
そもそも、そんなに嫁候補居ないから、何とかしてくれとリア充ドラゴンに頼み込みました。
「よし。んじゃあ、お前ら、順番決めるぞ」
「順番?」
「そうだ。幸いなことに、この土地には四季という物があるらしい。この四季に応じて、村を守護する者をローテーションしよう」
「なるほど、自分の順番の内に、一発決めておけと?」
「そういうこと。ああ、無理やりは駄目なんで、ちゃんと口説いてください」
「人間に変化するのはあり?」
「ありだ、認めよう」
これが、水智町にドラゴンがやってくる最初のきっかけになった出来事でした。少なくとも、文献では大体こんな感じのやり取りが書き残されているらしいですね。
そんなわけで、我らが水智町は、『世界で唯一』ドラゴンが婚活する里として栄えました。
それは、現代に至るまで変わりません。
この町は、日本でありながら、日本ではない特別な町。
ドラゴンが空を守ってくれる、世界で一番、平和な町なのです。
●●●
「ただいまー」
「おっかえりー! 可愛い我の嫁ぇー!」
「うおっ」
部活動を終えて家に帰ると、玄関のドアを開けた瞬間に、小さな人影が私の胸の中に飛び込んできた。
ふわりと、羽毛のように軽いその体を受け止めてから、私はため息を一つ。
「はぁ。歓迎は嬉しいけど、着替えるまで待ってよ。お前はご主人の帰りが恋しくて仕方ない飼い犬ですか?」
「うむ? 果歩がわんわんプレイを望むのなら、我は喜んで首輪を付けるぞ?」
「もうちょっとプライドを持て、この変態ドラゴン」
私が胸の中で抱きとめているのは、婚約者である夏ドラゴンだ。
正確には、その人間形態である。
小学校高学年ぐらいの身長に、華奢な肉体。腰まで伸びた銀色の髪に、全てを見通すような金色の瞳。頭から足の指先まで、何一つ欠点が見つからないような美しい容姿。そんな容姿なら、Tシャツと短パンという超ラフな格好も神々しく見えるから不思議だ。
「ふふふ、我は果歩がしてくれることなら、どんなことでも嬉しいのだぞ?」
「…………むぅ」
そう、この夏ドラゴンの容姿はとても美形であり、なおかつ、こちらの庇護欲をくすぐる可愛らしさを持っている。こうして、抱きしめていると胸の中が幸福感で満たされるほどに。
けれど、問題が一つ。
「えっちなことでもいいのだぞ?」
「いや、あのね、夏ドラゴン」
「なんだ、我が嫁?」
「…………えっちなことをするもなにも、アンタは女の子でしょ? 少なくとも、その肉体は」
私の婚約者である夏ドラゴン。
ムイナ・ヘギンギョロン・白銀の人間形態は、超絶美形な女の子である。
それはもう、同性である私でさえ、どきどきとしてしまうほどの。
「その、仮に、こう、ね? 子供を作るようなことをするんだったら、ね? その、ちゃんとできるようにしないといけないじゃない? あ、私はその姿好きよ? その姿のままでも、愛せます。でも、さすがに子供を作る時は男の子に変身した方がいいんじゃない?」
「ふ、ふふふ、心配するな、果歩! 子作りをする時は、きっちりとあれを生やしてえっちするからな! この姿でもまるで問題ない!」
「初体験が、銀髪ロリのふたなり相手になるのか……業が深いな、私」
「むふふ! でも、子作りはお主がちゃんと卒業してからだ! ちゃんと我慢できるぞ! 偉い? 偉い?」
「はいはい、偉い偉い。さすが、私のフィアンセ様ですよー」
「むふふふー♪」
蕩けた表情で、私の胸に頬ずりするムイナ。
私はそんなムイナの頭を撫でながら、部屋に向かう。この濃厚なスキンシップも、既に幼い頃からの定番になっているので、私は今更照れたりしないのだ。
まー、照れたりはしないですけどね? こうも自分を慕ってくれる存在が隣にいると、確かに嬉しい。銀髪ロリなんて、人間相手だったら犯罪チックだけど、うん、大丈夫、合法。そもそも、ムイナは私よりも遥に年上だし。世界創造から存在しているらしいし。
「今日は何食べたい?」
「カレーライス!」
「いいけど、また? 三日前も、カレーライスだったよ?」
「うむ! 果歩の作るカレーライスは世界一美味いからな! 何度でも食べたい!」
「市販のルーを使った甘口カレーだけどねー」
制服から部屋着に着替えて、エプロンに袖を通す。
晩御飯の時間はまだ先だけれど、カレーライスを作るのならできるだけ早く準備をしておいた方が良い。と言っても、作る手順なんて普通の物と変わらないのだけれどね。
「ムイナ、野菜を刻んで」
「了解だ! ちょちょいとな」
「お肉解凍してー、常温でお願い」
「ふふふ、魔法を統べるドラゴンである我にとってその程度、晩飯前よ!」
「ムイナ、やっぱり晩御飯はシチューでもいい?」
「カレーのルーが無かったのだな!? 市販のルーを買い忘れていたのだな!? 待っているがいい、我が瞬間移動で即座に買ってくる!」
ああ、でも、夏ドラゴンに料理の下準備を手伝わせる女子高生なんて、世界広しと言えど、私ぐらいだけなのかもしれない。
一応、どれだけ外見がロリでも、私相手に全然威厳が無くても、この町においてドラゴンは絶対なる存在だ。何せ、神様みたいな力を持っている。でかくて、空を飛べるだけの存在じゃない。
そもそも、ドラゴンという存在は『単独で世界を渡るほどの能力を持つ存在』が名乗ることが許される称号みたいな物であり、フィクションファンタジーの中に出てくるような蜥蜴みたいな奴だったり、如何にも龍! という感じの奴だけでは無いのだ。
ムイナのようにクジラみたいな姿のドラゴンも居れば、完全に人間と同じ姿のドラゴンも居るし、人型ロボットみたいなドラゴンも居る。
姿形は千差万別。
まぁ、フィクションファンタジーみたいなあからさまな姿の奴も居るけれど。むしろ、そういう奴の方が少数派だったりする。
「ただいまー。果歩よ、いつものメーカーの奴でよかったのだろう?」
「うん、それそれ。いやあ、それじゃないといつもの味が出ないんだよね。毎回、肉も野菜も全部目分量で適当にやっているのに」
「果歩の料理は基本的に大雑把だからのう。もっとも、それが良いのだがな」
「ドラゴンの味覚はよくわからんなー」
友達や家族に料理を作って食べさせると大抵、『美味いけど、その、雑』という釈然としない表情になるのに。
「この姿の時は人と同じ味覚だぞ?」
「んじゃ、ちょっと好みがおかしいのかもね」
「ふむ? だが、果歩はちゃんと自分が美味しいと思う料理を毎回作ってくれるのだろう? 自分なりに精一杯に」
「ん、まーね」
じゅうじゅう、と野菜と肉を炒めながら私は答える。
予めカレーを作る用の鍋にぶち込んで炒めると、洗い物が増えなくて楽ちんだ。
「量をきっちり量るのは苦手だけど、ちゃんと美味しく作っているつもりだよ。だって、態々料理を作るんだから、ちゃんと美味しい物を食べさせたいじゃん」
「なら、我はそれで良い。果歩と同じ物を美味しいと思えることは、幸せだぞ?」
「…………料理中に口説かないでください」
危うく手元が狂うところだったじゃないか。
そういう言葉は出来れば、料理を作り終わってから囁きかけて欲しいものだ。
「んー? 口説いてないぞ、別に。ただの本音だ」
「この、天然ドラゴン」
「確かに我は、空と海が交わる場所で発生した天然物ではあるが」
むー? と首を傾げるムイナの挙動が可愛い。
可愛いが、今は料理に集中! 気合いを入れて煩悩を退けると、私は「えいや!」という掛け声と共に、一気にカレーを作っていく。
野菜と肉を炒めたら、鍋に水を入れて、がっつり煮込む。
ぐつぐつ、ぐつぐつ、煮込む。
大体、中火で中編小説を読み終えるぐらいの時間を煮込む。
「むいいー」
「はいはい、もうちょっと待ってね」
暇になった夏ドラゴンが、変な鳴き声と共に絡んでくると、そろそろオッケー。手早くカレールーを鍋にぶち込んで、後は弱火で放置。
「やーわーらーかーいー」
「ふももももー?」
銀髪ロリのほっぺをむにむにと堪能するぐらいの時間が経ったら、大体終了。その日の気分で、ウスターソースとか、擦り下ろした林檎とかを適当に入れて、ちょっとだけ煮込む。
これで大体、美味しいカレーが出来るので是非参考にしてください。
なお、夏ドラゴンは非売品なので、悪しからず。
「出来たか? 食べるぞ?」
「まぁまぁ、待ちなさいな、ムイナさん」
「待つのですか、果歩さん」
「晩御飯は夕方の七時から。それまでは、ゆっくりとしていようよ。時間をかけた方がカレーは美味しくなるし。それに」
「それに?」
私は小首を傾げるムイナに、そっぽを向きながら小さく呟いた。
「口説かれたから、いちゃいちゃしたい」
基本的にドラゴンに感覚は人間のそれを遥かに凌ぐ。
なので、どれだけ私が声を小さくしようが、恥ずかしがってもにょもにょ言おうが、言葉に出したなら伝わらない理由が無い。
だから、私のような素直になれない系の女子でも、きちんと察してくれる。
「あー、我の嫁可愛い! 超可愛い! 全世界に自慢したい!」
「やめて、超やめて」
「うむ、もちろん冗談だ! 果歩の美貌は我が独占する!」
「美貌って、ムイナに比べたら――」
「果歩可愛い! 世界一可愛い!」
「……うっさい、ばか」
察し過ぎて大体、愛が溢れてうるさいけれど。
でも、うん。
毎日、手料理を作ってあげたくなる程度には、私は、この夏ドラゴンを割と愛しているようだ。
●●●
ムイナと初めて会ったのは、私が五歳の時でした。
じりじりと、肌を焼く様な日差しが降り注いでいるのに、妙に吹き通る風が涼やかな晴天の日。私は、その日にちょっとばかし命の危機に陥っていました。
この水智町で一番高い建物は、町の中央にそびえ立つ百貨店のビルです。百貨店でありながら、地元の商店街をないがしろにせず、むしろ協力体系を取って、共存している珍しい百貨店。その屋上には、子供たちを遊ばせる用の簡単な遊具や乗り物がありました。
いわゆる、屋上遊園地という奴です。
地元の子供たちの間では大人気で、当時、五歳児だった私も良く、両親に強請って買い物帰りに連れて行ってもらいました。ただ、子供とは好奇心の塊。その上、愚かで無知です。時として、用意されている遊具よりも、身近なスリルを求めることがあります。
「えへへへー、すごいだろぉ?」
思えば、その男の子は幼馴染の女の子に良い所を見せたかったのでしょう。
周囲の子供たちが恐れる中、その男の子は蛮勇にも仕切られたフェンスをよじ登って、その向こう側へと行ってしまったのです。当時はまだ、子供がよじ登れるようなフェンスの造りになっており、不幸なことに、やんちゃな子供でも乗り越えられてしまえたのですね。
ただ、どれだけ蛮勇に満ちていても、所詮は五歳児。コンクリートて出来た、僅かな足場に降りた瞬間、やっと恐怖を自覚したのか、その場で動けなくなってしまいました。
そうなってしまえば、子供たちにできることなんて、たかが知れています。
皆、慌てて自分の親を呼びに行って、そして、誰もが目を離した瞬間、風が吹きました。涼しい風だったと思います。けれど、強い風でした。
「……あっ」
子供一人が、煽られて体勢を崩してしまう程度には。
「――――あぶないっ!」
当時小さかった私の背中を押して、男の子の手を掴ませる程度には。
そう、当時の私は結構なやんちゃで、悪い子でした。親の目を盗み、こういう日常のスリルを体験しては、『度胸のある私、かっけー!』と蛮勇に浸っていた物です。ひょっとしたら、あの男の子がフェンスの向こう側へ言ったのも、当時の私の真似をしたかったのかもしれません。
ガキ大将系の男の子でしたから。
きっと、女の子に負けたくなかったのかもしれません。
もっとも、その結末が女の子に命を救われる、ということになってしまったのだから、運命と言うのは皮肉ですね。
「ぬおっ! おー、あう?」
さて、男の子の手を掴んだ私でしたが、当時の私はとにかく必死で、おもいっきり男の子の手を引っ張りました。その反動で、自分が宙に放り出されるとも知らずに。そう、簡単な物理法則ですね。
「おおー」
私は素直に驚きながら、百貨店の屋上から落下していきます。
まだ幼く、死という言葉の意味すら理解していない私は、呆然と、短い走馬燈を堪能しました。時間にして、多分、一秒も満たなかったと思いますね。
ただ、なんとなくやばいなぁとは思いつつも、不思議と恐怖はありませんでした。
理由は、よく思い出せません。
多分、幼さ故の根拠の無い楽観か、それとも、
「勇気ある幼子よ! 蛮勇にて窮地に陥り、されど、真なる勇気を持って友を救った幼子よ! お主に、叱咤と賞賛を与えよう!」
「…………ふぇ?」
町の逸話通り、ドラゴンが助けてくれると信じていたのでしょうか?
今となっては、私の記憶には御座いません。
何故ならば、私の記憶は既に、彼女との、夏ドラゴンとの出会いを鮮烈に刻むために使い果たしてしまったのですから。
「よくやった! けれど、もうするなよ? 夏ドラゴンとのお約束だ!」
「…………うん」
涼やかな風に靡く銀髪は、陽光を弾いて。
じぃと、見つめる金色の瞳は、世界中の何よりも美しい色をしていました。
そして、私を優しく抱きかかえる夏ドラゴンの体温は、ほんのりと冷たくて、涼しい。
思えば、この時の体験こそが、私にとっての一番の弱みになったのかもしれません。
その後、中学二年生まで続く、夏ドラゴンの求婚に応じてしまった時の、弱みに。
●●●
いちゃいちゃしていたら、いつの間にか晩御飯の時間だった。
でも、あれだ。いちゃいちゃと言っても健全ないちゃいちゃだった。R指定は無かった。エロはあったとしても、微エロである。問題ない、何も問題ない。むしろ、日曜朝九時から流しても大丈夫ないちゃいちゃだったと思う。
うん、というか、その、言い訳させてもらうと、ムイナの体温は実に涼しいのだ。涼しいと言うか、常に適温に保たれている。その適温が、私にとってのちょうどいい温度なので、ついつい抱きかかえたくなってしまうのだ。お肌もすべすべだし、柑橘系のサイダーみたいな良い匂いがするし……抱き心地最高なムイナが悪い。
ちっぽけな人間では、ドラゴンの誘惑には耐えられないのである。
「んぐんぐんぐ……んまーい! やっぱり、果歩のカレーは世界一ぃ!」
「はいはい、お粗末様。それで、おかわりは?」
「もちろん食べるぞ! たっくさん!」
「本体はおっきいもんねぇ、アンタ」
もっとも、そのドラゴンはちっぽけな人間の作ったカレーライスに夢中みたいだけれど。
ムイナは喜色満面といった様子でスプーンを動かし、瞬く間にがつがつとカレーライスを平らげていく。この勢いは、この晩御飯だけで鍋のカレーを全部食べ尽そうとしているな?
「こらこら、ムイナ。一晩置いたカレーも美味しいんだから、全部食べようとしないの」
「むいいー」
「鳴いても駄目。というか、求愛の鳴き声をするな!」
「む、むむむ、仕方あるまい。嫁である果歩の提案だ……大人しく受け入れよう」
「よしよし、良い子、良い子」
「むいいー」
私が頭を撫でると、ムイナは気持ちよさげに鳴く。
幼い頃は、立場が逆だったけれど、いつの間にか私が撫でる方になってたな、そういえば。
いつからだっただろうか? 身長がムイナを追い越した時? それとも、中学校に入ってから? うーん、婚約した時にはもう既にムイナを撫でていた記憶があるんだけどなぁ。
「む、むいい、むいいー」
「って、なんで泣いているのよ、アンタ?」
思い出に耽りながら頭を撫でている間に、いつの間にかムイナが泣いていた。
ぽろぽろと、その金色の瞳からどんどん透明な雫が零れていく。私はちょっとだけ冷たいそれを拭うと、ぺろりと舐めた。しょっぱいような、甘いような、不思議な味だ。
…………じゃなくて! 変な性癖を発揮する所じゃなくて!
「どーしたの? ほら、何か悲しいことがあった?」
「ううむ、違う、違うのだ、果歩よ……こう、感極まってしまってな。ついに、果歩と我が結婚すると思うと、こう、幸せ過ぎて……」
「そんなに? 故郷の世界では世界創造と共に生まれたムイナが、ガチ泣きするほど?」
「世界創造からずっと独身だった我が、ようやく嫁を見つけたのだぞ! 泣くわ!」
「そ、そっかー」
見た目はロリなのに、独身歴がすげぇ長いぞ、この夏ドラゴン。
「でも、不思議ね。ムイナの人間形態は凄く綺麗だし、本来も大きくて凄く素敵なのに。なんだかんだ、私も口説き落とされたし」
「や、我は故郷では凄すぎてそういう対象として見られていないから。加えて言えば、故郷では果歩のように我の魂を射止める者は居なかったからな、世界創造からずっと」
「そんな低確率をすり抜けて私に惚れたんだ、アンタ」
「うむ。正直、もうすぐ夏ドラゴンとしての任期が終わるからびくびくしていたわ。もう、我は死ぬまで独身かもしれないと怯えていた時に、舞い降りた運命が果歩なのだ。そりゃ、ガチに口説くわ。ドラゴンの叡智を結集して口説いたわ」
「あはは、大げさなー」
「任期が切れるまでに口説こうと必死だったぞ」
水智町にドラゴンが守護者として任じられる期間は、おおよそ百年間と決まっている。その間に、好みの相手を見つけて口説き落とせればオッケー。口説き落とせば、ドラゴンの任期はどれだけ短くとも終えて、結ばれた者と一緒に世界を渡ることになる。
だから、私が卒業すると同時に、ムイナも夏ドラゴンとしての任期は終わりとなる。
そして、私はムイナと一緒に、ムイナの故郷の世界へ嫁入りするのだ。
異世界転移ならぬ、異世界嫁入りである。
当然、そのための準備も色々必要だ。言語を覚えたり、魔法を覚えたり、そもそも、異世界の環境に耐えられるように肉体改造もしなければならない。
「三年……三年、我はマジで頑張った……」
「今思えば、本当にがっつり考えてアピールしてたよね、ムイナ。でも、ぶっちゃけ、その美少女モードじゃなくて、イケメンの姿で来れば簡単だったのに」
「いいや、違うぞ! 絶対、違うぞ! 己の姿を偽ると、後々幻滅するタイプだぞ、お主は! 三年粘られたのも、きっちり我と結婚するメリットとデメリットを考え抜いた末の決断だっただろうしな!」
「そりゃあ、ドラゴンとの結婚だしね。イケメン問題に関しては、うーん、どうだろ? 今のムイナの姿が一番好きなのは確実なんだけど」
「さらっとデレる我の嫁可愛い! なお、この生殺しが一年ぐらい続いたぞ!」
「ああ、うん。好きになったのは口説かれて二年目だったわね、そういえば」
むしろ、好きになったからこそ色々考えたんだよな、異種婚姻問題とか。
そもそも、ドラゴンと人間の寿命が違い過ぎるわけだし。ぶっちゃけ、ムイナは不老不死みたいな物なので、寄り添うには自分も人間を辞めなければいけないわけで。人間を辞める覚悟を決めるために、一年間を使ったような物だったね。
「それについてはごめんね、ムイナ。でも、さすがに人知を超えた術を使って、高次元の存在へワープ進化するのを許諾するのには、勇気だけじゃなくて、覚悟と妥協が必要なの」
「我としては、人のままでも良いのだが」
「でも、私が老いて死んだら、絶対に後を追うでしょ?」
「うむ!」
満面の笑みで断言するムイナ。
わあ、私ってば愛されているなぁ。
「んでもって、ムイナの故郷でムイナが死ぬと、ぶっちゃけ、やばいでしょ?」
「世界のパワーバランスが崩れて、下手すると終焉を迎えるまで戦乱が絶えないことになるかもな! だが、お主が死んだら絶対に後を追うぞ、我は」
「はいはい。だから死ねないのよね、まったく」
「あははは、我の嫁だぞ? 絶対に死なせん……生きることに飽いた場合は、絶対に一人では死なせんからな」
「愛が重過ぎる」
基本的にドラゴンの愛は重い。
何故ならば、この水智町に赴任してくるドラゴンたちは総じて、独身だ。人間よりも遥に長い時を生きている癖に、色々拗らせて独身を続けてしまっているドラゴンたちだ。そのくせ、結婚願望はあるので、一目惚れというか、運命の出会いを求め続ける。そう、ムイナのように任期ギリギリまで粘る。その結果、無事に運命の出会いを果たしたとなれば、愛が重過ぎて地盤沈下してしまうのも仕方ないだろう。
「しかし、我の愛はきちんと果歩が受け止めている!」
「そりゃあ、アンタの嫁ですもの」
「自分でもちょっと引くほどスキンシップを求めても、うざがられない!」
「アンタの体温が涼しいだけよ」
「デレだけじゃなくて、ツンツンもしてくれるから新鮮味が薄れない! 素敵!」
「アンタのテンションの高さに疲れる時はあるけどね」
「そこはごめん」
人間同士の結婚でも色々あるのだから、人間とドラゴンの結婚は難しい。
こうやって、私の家でムイナと二人っきりなのも、結婚の予行練習の為である。まずは住み慣れた自宅で共同生活を送り、互いに理解を深め合うのだ。
なお、一歩踏み外すとエロスに塗れた自堕落の生活になるので自制心が大切。とても、大切。大丈夫、大丈夫、私は強い子。時々むらむらするけど、大丈夫。
私は努めて平静に、ムイナへ言葉を返す。
「謝らないでよ、ムイナ。これからきっと、たくさんお互いの気に入らない所とか、駄目な所をたくさん見つけると思うけど、それはお互い様」
「我は果歩の駄目な所も大好きだが?」
「それも、お互い様ってことで」
私とムイナはタイミングを合わせたように、一緒に笑った。
思えば、私も随分惚れこんだものだ……口説かれ始めた最初の一年目は、ずっと、どうやって断るかばかり考えていたはずなのに。
●●●
「果歩、お主が好きだ! 我と結婚してくれ!」
「えぇ……」
私が初めて、ムイナの告白を受けたのは小学校高学年の頃でした。
ムイナと私は、五歳児の時、私の命を救ってもらった時以来、夏になれば交流するような仲になっていましたが、まさかいきなりプロポーズされるとは夢にも思っていません。
何せ、当時の私にとって、ムイナは理想のお姉さんです。
外見よりも大人びていて、何より、学校の友達よりも遥に物知りで色々なことを教えてくれる美形のお姉さん。これで、好きにならないわけがありません。ただ、その隙は友達としての親愛を示す物だったので、告白は普通に断りました。
「む、むいい……な、何故、駄目なのだ? 教えてくれ、努力して変える」
「え、ええとね、まず、その、私たち、女の子同士だし」
「お前が望めば、イケメンになるぞ、我は」
「…………種族が違うし」
「ドラゴンは嫌いか?」
「嫌いじゃないけど、その…………ごめんなさい! 小学生には難しいです!」
「確かに」
そもそも、当時の私は小学生です。
とてもじゃありませんが、結婚の事なんて考えられなかったのです。
「ちなみに、ムイナ様」
「ムイナでよろしい」
「ムイナ。どーして、その、わ、私の事が好きになったの?」
「お主が、振舞ってくれたカレーライスが美味しかったからだ」
「え?」
「カレーライスが美味しかったからだ」
「えぇ……」
後、告白して来た理由がちょっとアレだったので、拗ねていたのだと思いますね。
ちなみに、その理由はムイナにとって冗談でも照れ隠しでもなく、本気です。ムイナはドラゴンとして、生涯で数えきれないほどの美食を味わった経験があります。ですが、当時の、幼い私が作り上げたカレーの方がその美食に勝っていたようなのです。
それこそ、ドラゴンの魂を射止めてしまうほどに。
ふふふ、カレーライスで繋がれた運命なんて、珍妙なことこの上ないでしょうが、案外、私たちにはこういうのが似合っているのかもしれません。
さて、当時の私は正直、ムイナがふざけているようにしか思っていなかったので相手にしていませんでしたが、その年の夏が終わり、さらに次の夏でも同じように求婚を受けたことから、やっと相手が本気だと知ります。
「果歩」
「……なぁに?」
「好きだ」
「――――げぉほっ!?」
「うむ、それだけ伝えたかった。では、また明日」
「…………んんんっ! あの、馬鹿ドラゴンっ!!」
そう、ムイナはガチでした。
本気と書いてガチと読む感じです。ドラゴンとして培った叡智を使って、私を惚れさせてきました。何せ、相手は世界創造から生きている神の如きドラゴンです。経験値が違います。
「…………わかった。じゃあ、結婚しようか、ムイナ」
何だかんだ言いつつ、私はきっちりムイナに惚れてしまい、中学二年生の夏についに陥落しました。いえ、随分前から陥落はしていたのですが、ちゃんと結婚する覚悟を決めるまでに大分時間を使ってしまったのです。
ただ、私が陥落しているはずなのに全然結婚をオッケーしていない期間、ムイナはかつてないほど焦っていたのでしょう。怯えていたのでしょう。苦しかったのでしょう。
「む、むいい……」
「え、なんで泣くの?」
「むいいいいいい」
「しかも、号泣」
私が結婚をオッケーした瞬間、ムイナは膝から崩れ落ちて号泣しました。
人目を憚らず……いえ、私の知らない内に人払いの結果を張っていたので、人目を憚りながら号泣していました。
そりゃあもう、ドラゴンとしての権威なんて全部投げ捨てて、外見通りの幼子のように。
「……ムイナ」
私は号泣するムイナを優しく抱きしめて、その頬に舌を這わせました。
零れ落ちる涙を舐めると、しょっぱいような、甘いような、不思議な味がしました。あまじょっぱい感じでは無いのですが、言語化不可能な不思議な味の体験でした。
思えば、この時から私の性癖が拗れていたのでしょうね。
●●●
ドラゴンと結婚する際、当然ながら、結婚式を挙げる。
ただ、いわゆる一般的な結婚式とは違い、ドラゴンは水智町にとって守り神に等しい存在なので、町の一大イベントとなる。
ぶっちゃけ、突発的な祭りが開始されるのだ。
しかも、ドラゴンが無事に相手を見つけて結婚するということはこの町にとってかなりめでたいことなので、物凄い金を使う。普段は異世界との貿易権という特需を独占している癖に、福祉や生活保障以外には金をかけないケチな町が、この時ばかりは大盤振る舞いする。
祭りで振舞う料理ぃ? よぉし、世界中から最高品質の食材とセットで一流の料理人も呼んじゃうぞ!
祭りに使う衣装? 世界トップクラスのデザイナーと服飾関係の職人を呼ぼう!
祭りの演出? ひゃあ! どんどん演出家を呼べ! この世界だけじゃなくて、他の世界からも! 演出家の個性が食い合う!? よろしい、もっとやれ!
…………と、このように普段の節制を吹き飛ばすような派手な祭りをやらかす。私が幼い頃にドラゴンが結婚した時は、世界的歌手に祝福の歌を歌わせていた記憶があるぐらいだ。
「サキにはそんな祭りで、私の友人代表としてスピーチをお願いしたいと思っています」
「え、ええと、嫌だよ?」
「そこをなんとか、マイフレンド」
「絶対に嫌だ! 荷が重過ぎる!」
しかし、祭り兼結婚式というか、結婚式があくまで本分なので、私の友達代表としてスピーチする人を頼み込まないといけないわけだ。
なので、私はこうしてサキに頼み込んでいる。サキは当然の如く拒否するが、どうしても、サキでなくては駄目なのだ。何故なら、サキは私の友達の中で一番押しが弱い。というか、他の友達の個性が強すぎて、サキしかまともにスピーチしてくれないのである。
「用意するから! ゴーストライターにスピーチの文章を書かせて、サキが本番で緊張しないように特別な霊薬をぶち込むからぁ!」
「それもう、私じゃなくてもいいじゃん!」
「そこを何とか!」
「やだぁ!」
「サキの大好きな歌手を呼ぶから」
「え?」
「サキ限定の握手会に加えて、少しの間ならマンツーマンでお話しできる特権もあげよう」
「…………友情!」
「いえーい、友情!」
私とサキは多少の下心と友情を込めて、握手する。
これで結婚式最大の懸念はクリアされた! 何せ、当日は雨が降ろうが、台風が来ようが、ムイナがドラゴンの力を使って絶好の祭り日和にするからな! 伊達に世界創造から生きていない。ムイナにとって、町一つの環境を操ることなど容易いのだ。
「あ、友情ついでに果歩」
「なーに、サキ?」
サキは、とても素晴らしい悪戯を思いついた子供のように笑みで私に言う。
「私が結婚する時は、必ず呼ぶから友人代表のスピーチやってね」
「…………ふふ、そうね。異世界からでも、ちゃんと参加してあげるわ。だから、ちゃんと連絡寄越しなさいよ」
「それはもちろん! あー、でも異世界便は高いんだよなぁ」
「大丈夫、私が嫁入りする世界までインターネットが繋がっているから」
「マジで? インターネットすげぇ」
「企業努力だよね」
私たちは他愛ない会話に花を咲かせながら、きっと、卒業まで変わらず過ごす。
私がドラゴンに嫁入りすることになっても。
サキが社会人になったとしても、何だかんだで、友情は続いていくのだろう。
いや、多分、そうであれるように友情を続けるのが、友達って奴なのだ。
「じゃあ、あっちに行ったらアドレス送るから」
「オッケー。異世界由来の物凄いお中元とか期待している」
「あははは、検問通ればねー」
少なくとも、私にとってサキとはそういう感じなのさ。
●●●
さて、ドラゴンの人間の恋はロマンチックです。
互いに種族こそ違いますが、その種族の違いこそが恋の炎を熱く、強く燃やして、互いの愛をより一層燃え上がらせるのでしょう。
ですが、一度結ばれてしまえば、途端にその想いが枯れてしまうこともしばしば。
幸いなことに水智町の初代ドラゴンと、エキセントリック嫁は今でも仲良く不老不死でよろしくやっているようですが、必ずしも水智町で結ばれた者たちが幸せになるとは限りません。
ドラゴンと共に長い時を生きるために不老化しても、長すぎる時に精神が壊れてしまい、息ながらにして死んでしまう者。
そして、愛する者の壊れた残骸を抱えたまま、狂ってしまったドラゴン。
あるいは、異世界の環境に馴染めず、愛すらも枯れてしまった悲しい人間とドラゴンの末路もあります。
愛があれば何でもできる。
愛があれば、どんな困難も克服できる。
よく耳にするフレーズですが、それもケースバイケース。全てに当てはまるわけではありません。愛は免罪符でもなければ、万能の願望器でもありません。
無理な物は無理ですし、駄目なことは駄目なのでしょう。
永遠の愛なんて存在しません。
愛し合って結ばれれば、無条件に与えられるハッピーエンドも御座いません。
けれど、それを分かっていたとしてもなお、ドラゴンと人は愛し合うのでしょう。
だって、私とムイナもそうだったのですから。
●●●
「なぁ、果歩。我と結婚することを、その、後悔していないか?」
「ああん?」
結婚式前日。
正直、夏休みに入ってからは目が回るほどの忙しさで色々な準備をこなして、何とかここまで来られたというのに、ムイナはいきなり何を言っているのだろうか?
「んんー? それは今更、ここまで準備しておいて、結婚したくないというアピールかなー? そんなことを言う悪い夏ドラゴンの口はどれかなー?」
「むいいい……ら、らってぇ」
「あによ、言ってみなさい」
ムイナは目を潤ませながら私に説明する。
なんでも、愛が溢れて口説いている内は無我夢中だったのだけれど、よくよく考えれば、ドラゴンと結婚するよりも、私が普通に人間と結婚する方が幸せになれるという可能性に気付いたらしい。
それでまぁ? 結婚式の準備を終えて、その前日に家で私と昼下がりをだらだら過ごしている時に物凄く不安になって、ついつい尋ねてしまったと。
マリッジブルーか!? この夏ドラゴンめ!!
「わ、我だけの幸福を願うのであれば、そりゃあもう、果歩と結婚できるのは幸せだ。とても、幸せだ。紛れも無く我は世界一幸せな夏ドラゴンになるだろう。け、けれど、正直、果歩に色々な負担を強いると思う……だって、我の故郷ってば、サイバーパンク寄りのファンタジー世界なのだもの! ぶっちゃけ、治安があまりよろしくない!」
「知っているわよ、んなこと」
この夏ドラゴンの故郷は、魔法と科学が融合して、よくわからない感じに文明が急速発展した近未来っぽいファンタジー世界だ。凄いぞ、オークがスーツ姿で真面目に電子機器をセースルするような世界だからな。エルフが森の中でサバゲーしているからな、あっち。
しかも、こっちの世界よりも個人の能力の幅がとても大きくて、国家規模の軍隊が時として一人の突然変異に負けることもあるらしいし。
やー、正直、嫁入りするには割ときっつい世界よね。
「無論、我の存在に賭けて果歩は守り抜く。傷つけようとした奴は魂ごと焼却した後、種族単位で絶滅させる用意もしてある!」
「やめなさい、そんな用意は」
「はっ、いっそのこと世界を一度リセットすれば!」
「それをやったら婚約破棄するわ」
「むいいい……」
婚約破棄という言葉に、ムイナが打ちひしがれている。
まったく、世界創造の時からずっと生きているドラゴンの癖に、なーんで、結婚式の前日にここまで狼狽えているんだか。
…………ほーんと、しょーがないわね、こいつは。
「ムイナ」
「むいい……はい」
「今から、空を飛ぶわよ。準備しなさい。というか、私を背中に乗せて飛びなさい」
「え? でも――」
「いいから、さっさとやる!」
「わ、分かったぞ!」
私はムイナの背中に乗って、水智町の空を飛ぶ。
高度が低い間は、人間形態のムイナにしがみ付いて。
高度に余裕が出来れば、今度は本体の翼ある白鯨の背中に乗って。
「んんー、相変わらず、アンタの背中は居心地最高ね」
『あらゆる魔法を駆使して、果歩を守護しているからな。例え、どれだけの災厄が襲って来ようとも我が傷一つ付けさせぬ』
「うんうん。頼もしい、頼もしい…………頼もしいついでに、この調子で嫁入りした世界でも私を守ってね? できるでしょ? ムイナなら」
私はムイナの背中に仰向けに寝転がって、空を見上げる。
ふわふわと綿あめのように雲が浮いて、嘘みたいに綺麗なスカイブルーがどこまでも広がっていくこの空を。
「今までずっと、この空を、私たちを守ってくれた、ムイナなら」
私の言葉に対する答えは、言葉よりも先に震えが来た。
ぶるぶると、ムイナの巨体が震えた後、絞り出したような声が空に響く。
『――っ! うむ! うむ!! もちろん、もちろんだとも!』
「でしょ? だから、何も問題ないわ、ムイナ」
『その通りだ! ふははは、先ほどまでのヘタレな我は死んだ! 今の我は、果歩との愛で再誕したニュードラゴンである!』
「うん。でも、ご近所迷惑になるから、声は控えてね?」
『むいいー』
きっと、ムイナは何があっても私を守ってくれるだろう。
どんな軍隊や、突然変異の化物が相手でも、ムイナは負けない。というか、そもそもムイナ自体が世界と同化している説もあるらしいので、勝てる勝てないの話じゃないと思うのだけれど……でも実際、ムイナの心配は意外と当たっている。
私は、ムイナと違って、ただの人間だ。
特別な力も、才能も、何もない。
そんな私が果たして、ムイナと共に寄り添って、ずっと幸せなままで居られるかと問われると、正直、軽々しくは頷けないと思う。
駄目かもしれない。
無理なこともあるかもしれない。
ムイナが守ってくれても、長い時を経て、私が勝手に壊れて不幸せになるかもしれない。
でも、でもね? それでいいと思うんだ、私は。
「さぁ、帰ったらとっておきの夏野菜カレーを作るわよ! ムイナも手伝ってね!」
『むいいー! 我に任せるがいい!』
例え、未来にあるのが不幸な結末だったとしても。
それでも、私は貴方を愛すると決めたから。
だから、私は迷わない。
どんなことがあったとしても、貴方と添い遂げることを、この夏空に誓おう。
貴方がずっと、守ってくれた、この夏空に。
●●●
こうして、私はムイナと結婚しました。
未来に何が待っていようとも、全てを受け止めて添い遂げると誓って。
さてさて、その誓いは果たして守られるのでしょうか?
どこまで人とドラゴンの愛は続くのでしょうか?
意外と、あっさりと終わるかもしれません。
もしくは、周りが呆れ果てるほど長く続くのかもしれません。
ただ、そうですね。『今』の私が言えることがあるとすれば、それは一つだけ。
「ムイナ。サキの結婚式でスピーチをするのですが、一緒に来ますか?」
「むい? 我も行っていいのか? 邪魔じゃない?」
「人間形態で行けば、問題ないでしょう。それに、サキが是非とも私との結婚生活について色々尋ねたいことがあると」
「むいいい!? 嫁の友達からのチェックだとう!? ゆ、油断していた! 大丈夫だよね? いきなり怒られないよね、我?」
「あははは、多分、大丈夫じゃないですか?」
「だったら、敬語キャラは止めてぇ! 約束を破って、果歩が作ってくれたカレーを一人で食べ尽したことは謝るから!」
「別に怒っていませんよ。ただ、ドラゴンの嫁として相応しい言葉遣いにしているだけです」
「怒ってる! 絶対、まだ怒っている奴だ、これぇ!」
どうやら、私が不幸せになるにはまだまだ時間がかかるようです。
今の調子だと、多分、世界が終わるまでは――――なんてね。
婚約者は夏ドラゴン ロッカー・斎藤 @kusomushi
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