君との約束

一飛 由

君との約束

 グラスの中で氷がカランと涼しげな音を立てた。

 ダイニングの壁に掛けられた時計が示す時間は18時25分。

 待ち合わせの時間からはもう25分も過ぎている。

 普通であれば、諦めて出掛けていてもおかしくはない頃合いだ。

 それでも、こうして律儀に待ち続けてしまうのは、心のどこかで希望を捨てきれずにいるせいなのかもしれない。

 もう、あと5分もすれば、花火大会は始まってしまうというのに。


 ――いけたら、いくね。


 あの一言を真に受けてしまった結果がコレだ。

 いくら待ってもインターホンが鳴る気配はない。

 出発の準備はとうに済ませている。

 髪は何度も鏡で確認したし、服も気合いを入れてることを悟られないよう、学校指定のジャージ姿だ。

 さすがに暑いので、上半身は腕まくりをして半袖にしているけど。

 それにしても、イスに座って待っているだけなのに、やけに時間が長く思える。

 この辺りだけ空気の粘度が濃くなったかのような、そんな感じだ。

 クーラー代わりに回している換気扇の音。

 じっとりとまとわりつくような熱気。

 肌から噴き出る汗の感触。

 今まで意識していなかったものが、感覚として露出し始める。

 おかげで、落ち着かなくて仕方がない。

 身体の内側から溢れ出てくる焦燥感に耐えかねて、目の前のグラスに手を伸ばし、一気に煽った。

 ほとんど水の味しかしない、薄まったコーラが、乾いた喉の間を伝い落ちていく。

 深く息を吐き、テーブルの上に再びグラスを戻す。

 再び時計へ目を向けて見るが、分針はまだ5と6の文字盤の間で止まったままだ。

 終わらない待ち時間に、自然と頭は下がり、気分も落ち込んでいく。


 ――やっぱり、無理なのだろうか。


 その時、不意にスマートフォンの軽快な通知音が鳴った。

 まさかと思い、慌ててポケットからスマートフォンを取り出し、内容を確認する。

 通知の源はSNSのアプリケーション。

 はやる気持ちを抑えつつ、ディスプレイ上の文字列へと目をやる。

 しかし、そこにあったのは彼女からのメッセージなどではなく、先に出かけた家族からの他愛ない近況報告だった。

 これから花火大会が始まるとのことだった。

「なんだよ……」

 思わず声が漏れた。

 もしかしてと反応してしまった自分が嫌になる。

 これじゃあ、まるで子供みたいじゃないか。

 そこへ追い打ちをかけるように、小さくも鈍い爆発音が聞こえてくる。

 自然と視線が持ち上がり、再び時計を捉えた。

 分針は、ちょうど文字盤の真下を指し示していた。

 誰の目にも明らかな、時間切れだった。

「は、はは……」

 悲壮を帯びた笑い声が上がった。

 わかっていたことなのに、どうしてこうも惨めな気持ちになるのだろう。

 考えたところで、答えなどでるわけもない。

 ただ、今はとにかくこの場所を離れて一人宵闇に溶け込みたかった。

 スマートフォンを仕舞い、よろけながら席を立つ。

 テーブルの上に残されたグラスの周りは、垂れた水滴でひどく濡れていた。

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