ヴィクトール王国物語~士官学校編序章~

柚木現寿

キース・ワイゼンという青年

 好奇な視線、もしくは明らかな悪意のこもった視線が絡んでは離れていく。その後でザワザワとした話し声が聞こえるのはいつもの事だ。純粋なヴィクトール人とは明らかに違う黒い髪と黒い瞳はどうしてもそういう対象になってしまう。

 ここ、王立セントバール士官学校はヴィクトール王国の中で最も格式高い全寮制の士官学校である。公には知力、体力、体術が基準を上回る者は身分を問わず入学することが可能となっているが、実際には在校生、卒業生共に貴族の子息、それも家を継ぐことのない次男以下が多くを占めている。

 だが貴族であっても必ずしも育ちがいいわけではない。いや、貴族であるからこそ向けられる視線に鋭いものが混ざるのかもしれない。そんなことを考えながら足を進めるキースもまた、貴族の末端に名を連ねるワイゼン家の次男である。だがそんな立場はここでは何の意味も持たない。親が爵位を持っていることなど当たり前。そんな学校で誰もが羨望の眼差しを向けるのはヴィクトール王国五大貴族の中で最も身分の高いシュタイン家の次男くらいか。そこまで考えていや、と自身の思考を否定する。同級生の中には学校中の羨望どころか、文字通り全国民の注目を集め、かしずかせることさえ可能な青年がいたのだ。

「やあ、キース」

 人当たりのいい笑みを浮かべながら手を振り、ゆったりとした足取りで歩み寄って来る青年こそその人物、リシャール・ヴィンセント・ヴィクトールであった。

 肩につきそうな程長く伸ばされた金髪は光を集めたように輝き、その青い瞳は夏の海を映したように澄んでいる。鼻筋はスッと通り、手足はスラリと伸びて制服さえも高級服のように見えてしまうほどのスタイルの良さを併せ持つ。まるで神話の中から飛び出してきたような完璧な容姿を持つ彼はこの国の第二王子であった。それ故か、まだ学生の身でありながらすでに他者を圧倒するオーラを放ち、彼が歩けば自然と人混みが割れて道ができた。そんな光景にも慣れているのか、リシャールは気にした様子もなくキースの前で足を止めると、わずかに首を傾げる。

「どこに行っていたんだい?君はいつも自習の時間いないよね。まさか遊んでいるとは思わないけど、たまには自習室で勉強したらどうかな」

「自習の時間はリシャールの周りに人が多いから勉強に集中できないんだよ」

 放課後に設けられた自習時間は各寮で行うことになっており、基本的には上級生が下級生の面倒を見てやらなければならない。その為ここぞとばかりに下級生はリシャールに質問しに来るし、上級生は困っていることはないかと構う。王族とお近づきになりたい下心が丸見えな生徒ひとりひとりに丁寧に対応するその姿勢は尊敬するが、とっかえひっかえ人が訪れるのでとても隣では勉強できない。自習時間が始まるとこっそり寮を抜け出し、人気のない東屋でひとり勉強するのがキースの決まりごとになっていた。そうして自習時間が終わるころにまたこっそりと戻ってくるのだが、今日は少しのんびりしていたせいで自習室に戻る前に見つかってしまった。

「君が集中できないのは僕のせいなの?でも君には慣れてもらわないと困るんだけどなぁ。言っている意味、わかるよね?」

「……わかってるよ」

「そう?ならいいんだ。徐々に、ね?」

 それより食堂に行こうと横を通り抜けて歩き始めるリシャールに歩幅を合わせてキースも続く。キースとリシャールの関係を知らない一部の下級生は平然とリシャールにタメ口をきくキースに驚いたように目を見開いていた。

 キースは自身の父がリシャールの父、つまり国王の第一親衛隊、その中でも常に側にいて王の身を守る最も名誉ある騎士、所謂ファーストナイトを務めており、また国王と父の仲が極めて親密であったことからまだ物心つく前からリシャールとは共に過ごす時間が多かった。もしかすると兄弟よりも多くの時間を共有しているかもしれない。それ故に幼いころは二人でヤンチャをして揃ってそれぞれの父に雷を落とされた事もあるし、お互いの母に子守唄を歌ってもらった事もある。家族同然に楽しい事も辛い事も共に乗り越えてきた二人の間には身分の差など存在しないも同然だ。だがさすがに公の場では言葉を使い分ける分別はついている。だから入学式当日にも学校では敬語のほうがいいかと尋ねたのだが、リシャールにわざとらしく泣き真似をされてそれはそれは面倒な事になった。それに未成年とは言え見てくれは立派な青年に「寂しい寂しい」と泣かれるのはさすがにきついものがある。悲しいことに幼馴染みのキースには泣き落としもその美貌もあまり意味をなさないのだ。




 翌日もキースはリシャールの言葉を無視してひとり人気のない東屋に来ていた。ここはキース達が所属する西の寮の丁度裏にあたる。背の高い木々に囲まれていて、人の視線から逃れるには最適な場所だ。それにこの辺りは生徒もあまり通らないので静かなのもいい。本当はリシャールもここで勉強したほうがいいのだろうが、その存在自体が目立つせいでここに避難することも難しい。

「……俺とは違う意味で大変だな」

 キースは苦笑しながらそっと右腕の袖をめくった。

 丁度手首のあたりがわずかに赤みをもって腫れている。このままでは明日はもっと目立つ青色に変化してしまうだろう。そうなれば隠し通すのは難しい。早めに処置をしなければと勉強道具を入れている鞄からポーチを取り出し、さらにその中から目立たないように肌色で匂いの少ないタイプのシップを取り出した。

 それを手首にはり付けながら先程は失敗したなとため息をつく。

 ここへ移動する途中、異国の血をよく思わない連中に出くわした。いや、待ち伏せされていたのだろう。キースの姿をとらえると突然、狙いすましたように野球の硬球を投げつけてきたのだ。それも4つ同時に。

(あのスピードのボールを4つも同時に避けられるかっての)

 それでも3つは避けたのだ。最後の1つは運悪く手首に直撃してしまったが。

「……本当にくだらないよな」

 もう一度ため息をついてノートを開いたその時、慌ただしい足音と共にひとりの少年が姿を現した。

「――あ」

 癖のあるミルクティー色の髪。翡翠色の大きな目はどこか憂いを帯びている。教会の天井に描かれた天使のような容姿をした彼はキースの姿を認めると今にも泣きそうな顔を背けてまた走り出そうとした。

「待て――っ」

キースが反射的に呼び止めると、大きく震えた少年が魔法にかけられたようにピタリと足を止める。

 怯えさせてしまったことを後悔しながら、キースは努めて優しい声で続けた。

「その、ここに休みに来たんだろう?俺は勉強しているだけだから、気にしないなら座るといい」

「……はい」

 ギギギと音がしそうなほど固い動きで振り返った少年が、ぎこちない動きのまま机を挟んでキースの正面に腰を下ろす。

(……重心が右に偏っているな)

 不自然な身体の傾きに彼が左足を痛めていることはすぐに分かった。それに制服は薄汚れ、頬にはかすり傷もある。自分と同じような目に合ったことは一目瞭然だった。

「……足首は捻挫か?」

「――えっ、あ、はい。たぶん」

 別に危害を加えようとしているわけではないのに一々肩を震わされては無駄に罪悪感が募る。

(そう怯えられるとやりづらいな……。そんなに凶悪な顔してないと思うんだけど)

「ここに来たってことは医務室には行きたくないんだろう?酷くなる前にせめてシップをはってやるから足を出せ」

「え!」

「ほら、早くしろ。自習時間が終わる」

 そう言って立ち上がったキースは少年の横に立つと、そのまま自然と片膝をついてしゃがんだ。

 その動作に少年の目がこぼれそうなほど見開かれる。

「こっちの足で間違いないな?」

 なかなか足を出さないので痺れをきらしたキースは半ば無理やり左足を掴むと靴と靴下を脱がせた。その間も少年は驚きの表情を浮かべたまま固まっている。限られた自習時間を無駄にしないためにもキースは構わずわずかに赤みを持った足首にシップをはってやった。さすがに靴下をもう一度はかせてやることはしないで、元々座っていた席に着く。そこでようやく少年が言葉を吐きだした。

「――先輩には、プライドがないんですか?」

 心なしか怒りに震えているようなその声に、先程の行為が地雷だったのかと苦笑する。

 士官学校は騎士道に基づいた精神を植え付けられる。それが間違っているとは言わないが「騎士たるもの忠誠を誓いし主君以外に膝をつくべからず」はいかがなものかと思う。そもそもそれは膝をつくという行為自体を禁じているというより精神的な意味合いがあると思うのだが、教師を含めほとんどの生徒は頑なに膝をつく行為を嫌う。プライドの高い貴族らしいと思うが、それを押し付けられるのは気分がよくない。

 キースは堪え切れないため息とともに言葉を吐き出した。

「俺のプライドは別の場所にある、それだけだ」

「別の場所……?」

「そうだ」

(いつだって俺の心は彼らと共にあり、志はあいつと同じところにある)

 目を閉じれば浮かんでくる無邪気な笑顔。笑い声。もう手の届かない所に行ってしまった彼らの為にもキースには成し遂げなければいけない事があるのだ。その為だったら敵の前であろうと膝をつける。

「それに、怪我人に膝をつかないでどうやって治療するんだ」

 ははっと声に出して笑うキースに少年は困ったように眉を下げる。

「……ワイゼンは、よくわからない人ですね」

「――俺の名前、知ってたのか」

「あ――。その、ワイゼンは有名、ですから」

「……まあ、そうだな」

 派手な髪色が多いヴィクトール人の中にあってキースの漆黒の髪は目立つ。しかもそれがかつて奴隷としてこの国に連れて来られていたアジール人の特徴とあればなおさらだ。己の身に流れるその血を恥じたことはないが、ヴィクトール人の中には未だにその血を蔑んでいる者も多い。貴族の多いこの学校ではことさらキース対する風当たりは強かった。

「なんてことのないように言うんですね。……その強さが、羨ましい」

「……羨ましい、か。こういうことする奴ってのは思い通りにならなくて、でも流れに逆らうことはできなくて、どうしようもない憤りをどこかにぶつけたいだけなんだと思う。そこから逃れるには相手に打ち勝つか、それとも相手の手が届かないところまで飛び出すかの二択しかない」

「……二択」

 何やら考え込んでしまった少年を一瞥してキースは勉強を再開する。

 結局その後自習時間が終わるまで少年は静かにそこに座っていた。

 鐘が鳴り、片づけを始めたキースに「あの」と小さな声がかかる。

「僕はマルクス・ルイスといいます。ワイゼン、またここに来てもいい、ですか?」

「ああ。今度は言い訳しやすいように勉強道具持って来いよ?」

「――はい」

 頷くマルクスの笑顔は今にも光に消えそうなほど儚く見えた。




 翌日、校舎入り口にある掲示板の前に人が溢れていた。それを見たリシャールが何だろうねと隣で首を捻っている。

「さあな。――っておい」

 何が掲示されていようと興味はないと教室へ歩き出そうとしたキースだが、リシャールが人ごみに突っ込んで行ってしまったので仕方なく後を追った。

 群がっていた生徒たちはリシャールの姿を見つけると口を噤んで示し合わせたように左右に分かれて道を開ける。相変わらずそんな生徒たちを気にした様子もなくリシャールはどんどん進み、あっという間に掲示板の前にたどり着いた。

「……ふーん?」

「なんだ?」

 興味深そうに掲示されている新聞を覗いているリシャールの後ろからキースも記事を覗き込む。

「よほど君のことが好きな子がいるんだね。ストーキングされているじゃないか」

「……はあ」

 記事を見た途端ため息がこぼれた。

校内新聞に大きくつけられた『キース・ワイゼン騎士道に背く』というタイトル。ご丁寧に昨日治療のためルイスに跪いた瞬間の写真が添えられている。一瞬ルイスもグルだったのではないかと疑ってしまったが、あの怪我は確かに本物だった。

(だとすればルイスを怪我させた奴が撮ったのか?)

「うーんと?ヴィンセントに忠誠を誓っているはずのワイゼンの忠誠心は別のところにあったようだ。そうでなければ容易く膝をつくのは騎士としてあるまじき行為である、だって」

「くだらない記事をわざわざ読み上げるな」

「ふふっ、ごめんごめん。面白くてつい。それにしてもいつから新聞部はゴシップ部になり下がったのかな」

 その言葉にニヤニヤと下品な笑みを浮かべていた何人かがその笑みを消して悔しそうに奥歯を噛み締めた。

「そもそも怪我人に膝を折れないなんて騎士以前に人としてどうかと思うな。キースは正しいことをしたと思うよ。ね?」

「リシャール……」

 さあ教室へ行こうと歩き出すリシャールの後を追いながらキースはかなり怒っているなと密かにため息をつく。あの場でわざわざ挑発するような発言をしたのもそれが原因だろう。

「にしてもなんでお前が怒るんだ……」

「ふふっ、怒ってなんていないよ。ただ、牽制かな?君をよく思わない者たちの行動がいよいよ表面化してきたと思ってね」

「大したことじゃない」

「でもこれからはわからない。彼、ルイスには相当悪い虫がまとわりついているみたいだしね」

「まあ、そうだろうな」

「おや?わかっていて彼を近づけたのかい?」

「怪我してたらほうっておけないだろう」

 どこか気まずそうに視線を逸らしたキースを横目に見るリシャールの瞳には冷たい色が宿っている。

「君がどうしようと勝手だけれど忠告はしたからね?」

 その言葉にとても嫌な予感がした。




 放課後の自習時間にいつもの東屋に行くとすでにルイスが席に着いていた。しかしノートも教科書も開かずにどこか思いつめたような顔をしている。

「どうかしたのか?」

 問いかけながら正面に座ると、ルイスの顔に怪我が増えているのが見えた。額のあたりを殴られたのか、わずかに青くなっている。

「……別に、なんでもありません」

「――そうか」

 何でもないはずはないだろうが言いたがらないのなら無理に聞き出すこともないだろうとキースもノートを開いた。

(さすがにあそこにシップは目立つからな……)

 今日も一通り治療道具は持っているが、目立つ部分だけに憚られる。そう考えながらペンを走らせるキースだが、相変わらずルイスはノートを開こうともしない。

(どうしたものか)

 やはり何か声をかけてやるべきなのだろうかと考えを改めだしたところでルイスが小さな声で「あの」と言葉を発した。

「昨日治療していただいてありがとうございました。……でも、今朝あんなことになってごめんなさい」

「――ああ。そんなことか。別に気にしてない。言っただろ?俺のプライドは別の場所にある」

「で、でも……僕のせいであんな記事を書かれてしまって。あの、だからこれ、お詫びにお茶いれてきました。僕の地方の名物、金千茶です」

「ルイスは東部の出身だったんだな」

「はい。水筒で申し訳ないですけど、どうぞ」

 そう言ってルイスが水筒の蓋にお茶を注いでくれる。差し出されたそれには金千茶の特徴である金粉が浮いていた。淹れたてなのか立ち上る香りも濃く、長く鼻に残ることから良質な茶葉を使っていることがわかった。好意を断る理由はないので「ありがたくいただくよ」とお茶を受け取る。

 その時なぜかルイスの身体は緊張でこわばっていた。

 理由がわからず首を傾げながらもお茶に口をつけようとしたその時――。

「――っ駄目です‼」

「は――?」

「そのお茶を飲んではいけません!」

「はあ?」

 自分で勧めておいてその発言はなんだ。まさか二重人格だったのかと思わずキースの手が止まる。

「……なんなんだ?」

 そう問いかけるキースの前でルイスはボロボロと大粒の涙を流し始めた。そのせいでキースの混乱がさらに大きくなっていく。

「――ご、ごめんなさ……っ、ぼ、僕、殴られて、嫌だけど断り切れなくて……!そのお茶をワイゼンに飲ますようにってあいつらが……っ。ぜ、絶対よくないものが入ってますっ、だ、だから――!」

「――ああ、なるほど。大体飲み込めた」

 つまりルイスは捨て駒にされていたわけだ。

(それも、俺のせい、なのか……)

 わずかな悲しみとルイスに対する同情で心が痛む。

 だがかすかに聞こえた複数の舌打ちに敵を討つチャンスはありそうだと笑う。

 涙が止まらないルイスの頭をひと撫でして東屋を出ると「計画は失敗したみたいだぞ」とやや声を張り上げて木々の向こうへ声を投げた。

「あとはお前たちが直接手を下すしかないんじゃないか?かかって来いよ。――殺し合いなら、負けない」

「――くそっ!アジール人が調子に乗るな!」

 わずかに幼さの残るその声を合図に5人の男たちが一斉に飛び出して来る。彼らが皆短刀を構えているのを見て、自身も隠し持っていた短刀を取り出して応戦した。

 右から打ち込まれた短刀をいなしてその持ち主の腹に肘を打ち込み、左から来た少年には遠慮なく腹に蹴りを入れて後方へ飛ばす。その隙をついて正面から突っ込んできた少年は躱した後背後からけり倒した。

(あと2人――)

 だが倒れていない少年はひとりしかいない。

(どこへ行った?)

 キースが距離を保ったまま仕掛けるタイミングを窺っている少年に意識を向けたままあたりを探ると不意にルイスの悲鳴が聞こえた。

「しまった――!」

(そっちも始末する気だったのか!)

 慌てて駆け出すと背後からも追跡の気配があったが、今はルイスが優先だ。

「ルイス!」

 ルイスは武器を所持しているようには見えなかった。短刀相手に素手ではさすがにきつい。

 絶望的な未来を予想して駆けつけたキースが見たのはしかし、血に濡れたルイスではなかった。

 茶髪少年の短刀を派手な装飾が施された短刀で受け止めているのはその装飾に負けないくらい派手な金髪を持つ青年、リシャールだった。

 彼は勢いよく相手の短刀を弾き飛ばすと遠慮なくその柄頭を相手の鳩尾に打ち込む。あっけなく地に沈んだ少年を少し哀れに思いながらもキースは背後から突き出された短刀を避けて身を翻すと相手の懐に入り込み、その鳩尾にこぶしを叩き込んだ。

 全員を無力化したところで背後を振り返るとリシャールがニコニコと笑っている。

「……俺は今激しく自分の存在意義を疑ったよ」

 本当はどうしてここにいるんだと問い詰めたかったのだが、守られる存在であるべきリシャールが圧倒的な力差でルイスを守った事実に打ちのめされて思わず違う言葉が口から出てしまった。

 肩を落とすキースにリシャールはいつものように「ふふっ」と上品に笑う。

「君ってまっすぐ過ぎて周りが見えない時があるよね?気配は広く意識しておかないと」

「さようですか……」

「まったくー。君がそんなことでは困るんだけどなぁ。僕の隣にある席はひとつだけ。君をこの剣で貫かせるようなことはさせないでくれたまえよ?」

 微笑を刻んだまま短刀をしまったリシャールが右手の親指に刻まれた傷を見せながら訴える。

キースは彼と同じ位置に傷が刻まれた親指を隠すように握りしめながら「わかってる」と声を絞り出した。

 数か月前、キースと同じアジールの血を持つ人々が集まる教会が炎に包まれた。ろうそくの火が燃え移ったのだという者もいたが、のちにアジール人を良く思わないヴィクトール人の犯行と判明した。

 アジール人は自分たちよりも劣っているのだからかつてのように奴隷であるべきだと主張する彼の言葉に多くのヴィクトール人は同意した。彼の犯行で亡くなったのは未来に希望を抱き、周りのいじめにもめげず懸命に生きていた子供たちだったというのに、彼らのために泣いているのは同じ血を持つ者たちだけだった。

 理不尽な理由で命を奪われた彼らだって半分はヴィクトールの血が流れていたというのに、何故見た目が違うと言うだけで殺されなければならなかったのか。

あの日人生で初めて声を上げて泣き、すべてに絶望していたキースはそれ以来日に日に弱っていった。リシャールはそんなキースに生きる希望を与える為に自らの親指を切りつけて誓ったのだ。

「僕は必ず平等な国にすると誓う。だから君も僕の一番近くで僕を支えると誓え」

 それは決して破ることの許されない血の誓い。破れば死をもって相手に応えなければならないという最も重い誓いの儀。

「彼らの地位を上げるには先陣を切る者が必要なんだ。そしてそれは君にしかできない」

強い意志を行動で示したリシャールに本気を感じ取ったキースは自らも親指を切り裂き、その指を彼の指に重ねて応えた。

「――誓う。俺はお前のファーストナイトになる。もうくだらない理由で誰かを死なせないために」

「――これで我らは同志となった。汝が志を果たせぬ時はこの剣が汝を切り裂く。汝の誓いが果たされぬ時は死をもって応えよ――」

(……あの時交わした誓いは必ず果たす。あいつらのためにも)

「――いつまで物思いにふけっているんだい?」

「ああ、ごめん――ってリシャール……」

 リシャールの声にいつの間にか閉じていた目を開けると気を失っていた少年たちが集められ、木の蔦で縛り上げられていた。おそらく縛るものがないのでそこら辺から垂れ下がっている蔦を使ったのだろう。

「お前ってホント野性味あふれる王子様だよな……」

「ふふっ、父に怒られながらしたヤンチャが役立つこともあるってことだよ。さて、こいつらは教師に突き出すとして、君はどうしようね、ルイス?」

 名を呼ばれたルイスがリシャールの横で大きく肩を震わせた。止まっていた涙が再びあふれ出す。

「おい、ルイスは逆らえずに仕方なく――」

「それでも罪は罪」

 冷たい声色で断言するリシャールはキースでさえ口をはさむことを許さなかった。

「――わ、わかっています。罪は、償います」

「ルイス……」

 暴力を振るわれて、恐怖に逆らえずやってしまった事なのに。未遂で済んだとはいえ、毒物の入った茶を差し出した事は罪に問われなければいけないのだろうか。

 自分は気にしないからどうか許してやってほしい。そうキースが懇願するより先にリシャールが「いい心掛けだ」と僅かに表情をやわらげた。

「では君に処分を言い渡す。彼らを教員に突き出しておくように」

「え?」

 まさかの一言にルイスとキースの声が重なる。

「情状酌量の余地はあるからね。さすがにそこまで鬼じゃないよ。でもしっかり反省するんだよ?」

「――はい……っ」

「ふふっ。さあキース、夕食の時間だよ。今日は野菜スープじゃないといいなぁ」

「――いい加減ニンジン嫌いを直せ」

 呆れたように声をかけながら食堂へ歩き出したリシャールの後を追う。

 2人はそのまま雑談を始め、何事もなかったように日常へ戻っていった。

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