#1/Money opens all doors
『「天国と地獄の対立」――という話を知っているか、背の君よ』
いつものカフェで、朝食を取っていた時のことだ。
エッグサンドを平らげたアネットが、こちらの皿を見つめながら、これとなしに尋ねた。
「天国と地獄が対立しない、なんてことがあるのか?」
『ふむ、知らないか。与太話の一つなのだが、なかなか興味深い話でな、知らんなら話してやろうと思ったのだ。まあ所詮は与太話なのだがな』
「前置きはいいから早く話せって」
『存外せっかちよな、背の君』
「仕方ないだろ。お前の話をまともに聞いていたら遅刻する」
首を横に振ってみせると、アネットは呆れた様子で短く息を吐き、それから口火を切った。
『天国にいる天使と、地獄にいる悪魔が、激しい言い争いをしていた。
天使は怒りを露わにしながら、こう言った。
“おまえら地獄の悪魔は最低の連中だ! こうなったら司法に訴えて、裁判で決着をつけてやる!!”
地獄の悪魔は、それを聞いてニヤリと笑った。
“天国が、裁判で地獄に勝てると思っているのか? 腕利きの弁護士は、みんなこっちにいるんだぜ”』
そこまで話すとアネットは閉口し、そして口角を吊り上げて得意げな顔を見せた。
思いのほか短い話だったが、なんというか、ものすごく聞き覚えがある。
「……どこで聞いた話だ?」
『昔の
アネットは続けて「与太話」を語る。
『天国の神と地獄の魔王が、野球で対決することになった。
神が、ふんぞり返って言った。
“私が負けるものか。有名選手は全員天国にいるのだからな”
すると、魔王は神を笑い飛ばした。
“俺が負けるわけねえ。審判は全員地獄にいるんだ”』
語り終えると、アネットはまた口角を吊り上げ、得意げな顔を見せる。なんなんだその顔は。
話に関してはツッコミどころ満載なのだが、やはり、どこかで聞いた事がある。
これは与太話というか――。
「ジョークか?」
『その通りだ。解説をすると「弁護士や審判は金で是非を覆す、
「HAHAHA」
思わず、口から乾いた笑いが溢れた。どうりで聞いたことがあると思ったわけだ。
誠実な弁護士や審判には悪いが、一方的な観点から見た場合の彼等のイメージとしては、的を得ていると言えるかもしれない。
アネットの意図を深読みしすぎただけで、本来は聞いた時点で笑えるジョークのはずだったのだ。
――と思ったのだが、アネットはなぜか首を傾げている。
『笑いどころはそこではなかろう、背の君よ』
「は? どういうことだ?」
『この与太話の笑いどころは「天国の連中と地獄の連中が、なぜか言い争いをするほど仲が良い」というところだ』
「……つまり?」
『分からないか? いや、とても分かりやすいだろう。なにせ実際の連中は「目と目が合った次の瞬間、殺し合いを始める程度には険悪な仲」なのだからな!』
アネットはとても愉快そうに笑った。
……いや、その笑いどころはよく分からない。
というか自分でジョークの解説をしておきながら、その笑いどころを全否定とはいったいどういうことだ。
そもそも天国と地獄の連中の実態を知っている人間なぞ、本当に極一部しかいないだろうが。伝わるかそんなもの。
ただ、そういった事に対していちいちツッコミを入れていると体力がもたないので、決して言葉にはしない。
泉の様に湧き出るそれらを心の奥に押し留めつつ、開きかけた口は、珈琲で満たされたカップの縁につけた。
ああ、心が安らぐ。
『だが背の君よ。吾が興味深いと思ったのは、そこではないぞ』
話はあれで終わりかと思ったのだが、どうやらまだ語りたいことがあるらしい。
「他のなにが面白いんだ。神と魔王が野球で勝負しようとしているところか?」
『それは笑いどころであって、ただ笑えるだけだ。吾が気になったことではない』
「なら、いったいなにがお前の興味を惹いたんだ」
『地獄に落ちた弁護士と審判だ』
首を傾げると、アネットが続けて言った。
『現実の弁護士と審判のことは置いておき、この話におけるあれらは、金さえ貰えば白を黒と言う連中だということだ』
「まあ、ざっくり言ってしまえばそういうことだな」
『なぜだと思う』
「なぜ……?」
『連中は金銭を得て、その対価として己の道徳心を歪める行いをする。そこまでして金が欲しいのか。たとえ地獄へ落ちることになるとしても』
「……そういうことなんだろう。俺には理解出来ない考えだけどな。もちろん金は生きていくうえで大事だが、人として大事なものを失うくらいなら、いくら大金を積まれようと俺はそれを受け取らない」
『人として大事なもの、か。だが背の君よ、今の世の中、金でなんでも買えるぞ。物はもちろん、地位や名声、人心や幸福、そして命ですら買えるぞ。人の願望や欲望は全て金で叶えられる。おそらく背の君の言う「人として大事なもの」も、全て金で解決出来るだろう』
「それは……いや、それは極論だ。少なくとも俺の願いは金じゃ買えないし、変えられない」
人々を守る――その願いだけは、たとえどんなことがあっても違えることは無い。売り払うこともない。
頑としてそう答えると、アネットはくつくつと嗤った。
『そうだな。それだけは変わらんだろうよ。まあ別に、吾は背の君が金の亡者であっても構わんのだ。どうせ吾と背の君は、地獄行きだろうからな』
「えっ」
『当然だろう。その身に悪魔を宿し魔人となった背の君とその隣人が、天国へ入ることを許されると思うか? 少なくとも天使共は許さんだろうよ。門前払いだ』
「死んだら元の人間に戻ったりは……」
『なにを寝ぼけたことを。背の君は不死身だろうが』
「いや、そういうことじゃなくてだな――」
LAの人々を守るため、街から消えた天使の代わりに日夜世界の破滅を防いでいるというのに、その結果が地獄行きなんて理不尽にも程があるだろう。
あの世に行っても亡者や悪魔だらけの場所で過ごし続けるなど、耐えられるわけがない。絶対に精神が摩耗する。
もちろん、LAの人々を守る為に魔人となったのは自分の意思であり、そのことに対価を求めたことはない。
だが、もしも神が世界の悲惨な現状を憂いているのなら、文字通りの身を粉にした働きに対して、少しぐらいは報いてくれても良いのではないか。
それぐらいの甲斐性は見せてほしいものだ。
今後の仕事に対するモチベーションの為にも。
『くっくっく』
思考に耽っていると、また愉快そうな笑いが聞こえてきた。
「なにがおかしいんだよ」
『いやぁ、目に見えて動揺している背の君の姿が実に痛快でな。吾のジョークもなかなか良い切れ味だろう?』
「待て。ジョークだって? まさか、地獄行き云々全部が?」
『うむ。なにせ吾は冥界や地獄に行ったことはあれど、天国には行ったことがないからな。実際に門前払いされるかどうかなど知らん』
悩んで損した。
いや、別に心の底から安心したわけではない。なぜなら門前払いされる可能性は、無きにしも非ずなのだから。
だがアネットがいい加減な事を言わなければ、これほど死後の行先について頭を悩ませずに済んだはずだ。
相変わらず、我が隣人は意地が悪い。
『ただまあ、その時の為にも金は貯めておいた方がいいかもしれんぞ』
「どうしてだ?」
『東方には「地獄の沙汰も金次第」という言葉があるらしい。つまり金があればどんな門でも開かれるということだな。ということは、やはり背の君は金の亡者になるべきかもしれん。いや、亡者と言わずとも、まずは毎朝一番安いエッグサンドを頼む様なさもしい生活を抜け出せるぐらいには、稼ぎを増やすことを考えるべきだろう。というわけで背の君よ、金銭感覚の改革を行う為にも、まずはローストチキンサンドの追加注文を――』
「お前は結局
そう反論し、こちらの皿に忍び寄るアネットの手を叩き落とす。
『むぅ……けちんぼ』
恨めしい目で見られても知ったことか。
天国の門や地獄の沙汰の前に、まずは自分の食事代を払え。
デモニック・ジョン -JUMBLE!- 天野維人 @herbert_a3
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