望郷
@jihie
望郷
熱い、熱い、熱い。ああ俺はなぜこんなに太陽が照り付ける砂漠を歩いているのだろう。もしかすると俺は罪人で、何か大きなことをやらかして国から追放されちまったのだろうか。いやいやそんなはずはない。俺はそんな人間ではないはずだ。なぜそう断言できるのだろう。わからない、わからないがそう思えるならそういうことにしておくべきだ。なぜなら俺は何一つ覚えていないのだから。
ああ。俺はいったい何者だったか。それすらも覚えていないのだ。だが、こうしてだだっ広い砂漠を一人で歩いているということは何か目的があるに違いない。思い出せ、おもいだせ・・・・・・。
だめだ。まったくもって思い出せない。思い出そうとすると頭の奥がじんじんと熱を帯びてくる。ただでさえ熱いこの状況でさらに熱くなるなんてことはごめんだ。駄目だ駄目だ。考えるのはやめだ・・・・・・。
ぐるりとあたりを見回してみる。ここはどう見たって砂漠だ。それも礫砂漠や岩石砂漠ではない砂ばかりの砂漠。砂砂漠だ。ラセット色の砂と、まっくろな影だけの何にもない砂漠だ。いや待てよ?なぜ俺は自分の名前すら思い出せないのに砂漠の種類なんて知っているのだろう。もしかするとそこに俺の失った記憶が潜んでいるかもしれない。声を出せないがれきの中の救助者のように。引っ張られることを待っているのかもしれない。もしかすると俺は地学者だったのか?もしくは旅行好きなアマチュア砂漠探検家かもしれない。もしくはただの砂漠マニアかもしれない。ああ、だめだ。また頭の奥がじんじんと熱を帯びてきちまった。考えるのはやめだ、やめだ
・・・・・・。
ああ。のどが渇く。とてつもなくのどが渇いている。体が水分をとれと危険信号を出しているんだ。気管が張り付いてしまったかのように感じる。きっと砂漠でののどの渇きは、砂漠を遭難したことのないやつにはわからんだろう。とてつもなく渇くんだ。まるでそこだけ砂漠の砂と同化してしまったかのように。ああ。どこかに水場はないだろうか。そうだ。オアシスだ。砂漠ならオアシスがあるのが当然ではないだろうか。砂漠とオアシスはセットのようなものじゃないか。少なくとも俺の人生ではそうだったような気がする。気がするだけだが・・・・・・。
どれだけ歩いたのだろう。まるで記憶から時系列というものが失われてしまったかのように。記憶につながりを見出すことができない。さっきまで何を考えていたっけ・・・・・。そうだオアシスだ。オアシスはどこだ?もう一度あたりをぐるりと見まわしてみる。ラセット色の砂と真っ黒い影・・・・・・。だめだ。どこにもオアシスらしきものはない。空を見上げても見えるのはあの忌々しい太陽だけだ。もしかすると命をつなげてくれそうな鈍色の雲がないかと探したがそんなものはなかった。水、水が飲みたい・・・・・・。 ふと鼻をくすぐるにおいに気づく。水だ!水のにおいだ!普段なら決して感じることのない水のにおい。だが俺にはまざまざと感じ取れる。水のにおいがする。人間は極限状態になるとどこまでも感覚が研ぎ澄まされるのだ。水のにおいは幸いなことに進んでいる方向からする。まさに幸運としか言いようがない。もし俺が目的をもってこの方向に進んでいるなら、それが俺を見つける唯一の手掛かりだ。そして、それはいったん見失うと、いともたやすく失われてしまう。まるで人ごみの中にものを落とした時のように。人は流れには逆らえない。そういう風に神様がつくったのだろう。
二つの砂丘を超え、太陽が少し沈み夜と月を少しだけ引っ張ってきたころ、俺はオアシスを見つけた。やったぞ!これでひとまずは死なずにすんだ。
幸いにこのオアシスは豊富な水脈源をもっているらしい。いくら飲んでも水が尽きるということはなく、俺はたらふく水を飲むことができた。胃と肌にたっぷりとしみこませた水はきっと太陽から俺を守ってくれるだろう。
ああ眠くなってきた。ふわあ、とあくびもでてきやがった。さっきと比べると考えられないのんきさだ。太陽もぎらぎらを収めてきたことだし、少しくらい寝たってかまわないだろう。なに、砂漠に虎やライオンがいるわけじゃないし。少しだけなら大丈夫だろう、すこしだけなら・・・・・。
夢を見た。俺はアスファルトの上を歩いている。不安定な砂の上とは違って歩きやすい道だ。俺は住宅街を抜けて、商店街を抜けて、駅にたどり着く。どこからともなく現れた人々が一つの車両に押し込められる。俺はその流れから逃げようとするが、逆らうことはできない。ひとはそういう風に作られているからだ。車掌が二人がかりで乗客を押し込んでいる。まるで詰め放題のじゃがいものように。ぱんぱんになった袋ははちきれそうになるが、あいにく電車は冷たい鋼鉄でできている。袋ははちきれないが、中身はその分押しつぶされる。
乗客はみな下を向いて、うつむいている。だれも外の風景を見ている奴なんかいない。だが俺は違う。俺は奴らじゃない。無理やり人を押し分けて窓際に行こうとする。だが人は流れには逆らえないため、俺は動くことができない。ならば、と俺は首を回して窓を見る。窓の外を見る。流れに逆らえなくても、首を回すことぐらいはできるはずだ。窓の外には灰色の高層ビルと、エアコンの室外機が乗った屋上しか見えないが、たまにその隙間から群青色の青空が顔を出す。ああ。これだ。俺が求めているのかはこれなのだ。俺は灰色の景色を見るために作られたのではないはずだ。出してくれ!俺をこの箱から出してくれ!
すると、周りの乗客が一瞬にしていなくった。俺は突然の出来事に体勢を崩して顔から鋼鉄製の冷たい床におちた。ああ。なんて冷たい床なんだろう。冷気がほそいほそい針に姿を変えて俺の毛穴から侵入してくるようだ。痛い、なんという痛みなのだ。俺は起き上がろうとする。だが起きることはできない。すでに肌は冷たい床にくっついてしまっっている。これではどうすることもできない。痛い、痛い!誰か俺を起こしてくれ!誰か・・・・・・・。
そこで目が覚めた。冷たい床はなく、代わりにあったのは夜が連れてきた冷たい大気と、まだ熱をほのかに蓄えている砂だった。あたりはすでに闇が訪れていた。すぐそばのオアシスは闇に覆い隠されてまったく見えない。いや、俺の周りすべてが暗幕によって覆い隠されていた。太陽はすでに、熱い大気を連れて地球の裏側に行ってしまったようだった。代わりに月が冷たい大気を連れてきていた。俺はすっかり忘れていた。砂漠は夜になると氷点下まで冷えるということを。くそったれ!なんでそんな大事なことをわすれていたのだ。穴を掘ろうと思ったが、この暗闇じゃ難しい。歩くしかない。生きるためには歩くしかないのだ。
だが、俺の足は言うことを聞かず、ただの二本の大きめな棒になってしまったようだった。動かすことはできない。まるであの夢のように。俺は必死に動かそうと試みるが、やっぱり動かすことはできなかった。そのうちにさっきより強い睡魔がやってきた。だめだ、寝るな、だめだ、ねるな・・・・・・。
ギラギラと背中を照らす太陽に溶かされ、俺は目を覚ます。昨日は俺を殺そうとしていた太陽に救われるとは何という皮肉だろう。だが、もはや体は抜け殻となり、俺の意識だけが残っている。脳と体を結びつける大事な回路は、酷暑と極寒の中で切れてしまったらしい。かろうじて動かせる首を回すと、ぼやけた視界の端に大きな鳥が見える。あれはハゲタカだろうか。きっと俺が水のにおいをかいだように、奴も俺の死のにおいをかいできたのだ。オアシスの水さえ飲めれば俺の体はまたつながりを取り戻すかもしれない。そう思い回りを見渡すが、どこにもオアシスらしきものは見えなかった。俺は茫然とした。あのオアシスは俺が生み出した幻想だったのだろうか?いや、そんなはずはない。俺はあのオアシスによって命をつないだのだ。オアシスは作り出せても命をつなぐ感覚は作ることはできない。やはり人はそういう風に作られている。しかし、現実にないというのはどういうことなのだろう?ひょっとすると俺は、無意識のうちに歩き回ったのかもしれない。確かにそうかもしれないが、確かめるすべはない。無意識のうちに起こった出来事は、第三者にしか証明することができない。もしかすると月は見ていたかもしれないが。頭上にあるのは太陽なので、話を聞くことはできない。
ギラギラと照り付ける太陽が、その熱で俺の脳の回路を焼き切ろうとしているときに、俺は目的を思い出した。そうだ。俺は故郷に帰る途中だったのだ。俺の故郷は灰色のビルと、室外機の屋上と、うつむく人々の街ではないはずだ。俺はきっと理由があってあそこにいただけなのだろう。どんな理由か思い出せないが、そう思うということはそういうことなのだ。
だがすでに体を動かすことはできない。今更思い出したところで、どうすることもできない。もう少し早く思い出していれば何か変っただろうか。
視界の端から闇が迫ってきた。じわじわと迫る波のように。もしくはインディジョーンズで見た、軍隊アリの群れのように。もうすぐ死ぬというのになぜその映画を思い出したのだろう。もしかするとそこから俺を思い出せるかもしれない。だが、それを考えるより先に暗闇は死を手を組んで俺の目を侵食していった。
そうして暗闇がすべてを覆ったとき、死が鎌を振って、俺の脳の回路を断ち切った。そこで俺の意識は途切れた。
途切れる瞬間、最後に聞こえたのはハゲタカの鳴き声だった。
望郷 @jihie
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