第7話 母親の絵具
雲はあれど、晴れ。雨傘からしてみれば億劫なんだろうが休みってな。アイツ、また風邪でも引いたんじゃないだろうな?
アホは一周回って風邪を引きやすいじゃなかろうか。
雨傘家のチャイムを鳴らしてみても、返事は無い。留守ならいいが、寝込んでる場合は?
不法侵入とか、もうぐだぐだ考えるのは止めだ。その時はそん時だ。
玄関を開けても音がしない。自室に居るとあたりを付けて、足を運ぶ。
ドアを開けたそこに、雨傘は居た。
ベッドで、寝ているわけでもなく、ただそこに居るだけ。
触れれば、消えてしまうんじゃないかと、錯覚でもしそうなほど。
俺に気づいたのか、俺の顔をみると、雨傘の目に涙が溜まって行く。
「あのね、晴くん」
似合わない泣き顔を嘲笑うかのような晴れ。今日ほど雨がいいと思った事は無い。
ぐしゃぐしゃになった顔を隠す事もしないで、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった時雨の目を見る。
「おばあちゃんが……」
その言葉で何となく理解した。前に雨傘の家に行ったときに誰も居なかった事。
不思議に思ってはいたんだ。恐らく俺の予想は当たってる。
「一人になっちゃった。一人に……晴くん」
嗚咽を洩らしながら、拭いきれない涙を両手でこする雨傘の姿を見て、この情けない体は、言葉を未だに探してる。情けないったら、ありゃしねえ。
「ベトベトにしてもいいから、取りあえず、泣け」
「うん。うん」
声を俺の体に押さえつける様にして叫ぶ。言葉にすらなってない言葉で、何かが弾けたかの様に、ただひたすらに。
あのデカい家に一人って時点でおかしい。
一人になった。その言葉だけを頼りに想像するなら、頼りにしてた祖母もきっと病院にも居たんだろ。その祖母も身罷(みまか)った。
この年で一人投げ出されるのは、誰だってキツイ。
「大切な人が、また、なくなっちゃった……」
こればっかりは、俺達クソガキにはどうしようもない。
唐突に理不尽は襲ってくるんだ。
その後に残されたのが子供ってだけで、世の中はどんどん不利になる。
「晴くん、ハルくん……」
はぁ、ほんと、今日ほどの晴れがうざってぇと思った事は無いう。こんな時くらい雨傘の好きな雨を用意しろってんだ。
まるで、俺の変な力の逆。俺が降らせてやりたいが、感情からくるものを無理やりコントロールするなんてマネは、俺には出来ない。
散々泣き散らした後は、見てのとおり、眠っちまった。
これだけ泣いたんだ。後は、気持ちを整理すればいい。
俺も、今日のところは撤退だな。
女に泣かれたってだけで動揺してる俺じゃ、何の役にもたたん。
半分は逃げるようにして、雨傘の家を出る。次にあった時くらいは、いつも通りでいられる様に腹だけは決めとかなきゃいけない。雨傘も、そんなもん望んんじゃいないだろうしな。
「キミ、このまえも奏と一緒にいたが、家に何か用があったのかね?」
服に革靴。いい物を身に付けてる身なりの良いオッサン。でも、何処か、くたびれてりる印象を受ける。
「雨傘を送って行っただけだ。お前こそ他人の家の前で、何コソついてやがる」
「私は、娘の雨傘奏の父だ。一人暮らしをしている娘を案じてここまで来て、何が悪い」
話をまともに信じるわけじゃ無い。今の雨傘は、信頼できる人を失ってる。
何らかの情報が何処かで洩れて、金目当てに近づいてきたって事もある。
それにだ。何をしに来たんだが知らんが、あれほど否定されてただろうよ。半分は、親と呼べるような存在じゃない。
「調子のいい時にばっかり親面すんなよ、おっさん。こんな時にだけ顔を見に来ただ?」
俺の言葉を聞いた瞬間に、安堵したかの様な表情に変わる。
「耳に痛いね」
不気味なまでに、笑みが張り付いてる。俺みたいなクソガキに文句を言われてるのにだ。
正直恐怖を感じる。腹の底では何を考えてるのかってな。
「キミは、妻の墓で奏の横に居た子だろう?」
見てたのか。不思議じゃないか。何せ、昨日は、母親の命日だったんだからな。近づかなかったのは、嫌われてると分かりきってたからか?
「間違いない。何の用だ?」
「娘の傍に居るのなら、出来れば喧嘩も止めて欲しい。キミが奏の何を気に入ったのかは親を放置した僕には分からない。でも、娘は、嫌な人間には近づかない。そういう子なんだ」
そこから見てたのか。それにしても達観し過ぎてる。まるで、物語のキャラを上から眺めてるかの様な言葉。
顔が変わらない。怒るわけでもなく、やっぱり、人が良さそうな顔だけが張り付いてる。
「だから、キミの根っこは凄くいい子なのだろう。そのキミに頼みたい事がある」
「それは内容次第だな」
変な注文は蹴るだけだ。
「この鞄を娘に渡してほしい。今日の用事はそれだけだったんだ」
ずいぶんと年期の入った鞄だ。しかも、それなりに大きい。それにこの匂い、何処かで嗅いだような。
「なんで、自分んで渡さない」
「私は、嫌われているからね。彼女も会いたくはないだろう。それに、その資格はとうの昔に無くなってる」
そこまで自分で思っていて、尚、渡したいものってなんだよ。そこまで詮索するのは無しか……いや、変なもんでも入ってたら目も当てられない。
「中身は?」
「妻の形見だよ。見て貰って構わない。今の娘には、必要だろうと思ってね」
絵具と、道具一式。道具は結構滅茶苦茶に入ってる。使ってた人の性格がもろに出てるな。
ズボラな所なんて、ほんと雨傘そっくりなんじゃなかろうか。
「今の私には必要のないものだ。なら、必要な所にあるべきだ」
「それは、アンタには、必要じゃないのか? 本当に?」
いや、まぁ、本人がそういうんだからそうなんだろうが……大切な物である事には変わりない。
「お恥ずかしい話だが、親としてほんの少しだけかもしれないけれど、僅かな気遣いかな」
「そうか」
張り付いていた顔が和らぐ。これが、本来の顔か。
「最初は威嚇をしていて、次に娘の害が無いかの心配。最後には私の心配までする。キミは、娘の目に適っただけのことはあるね」
質問してを通して人を見てたのは、俺だけじゃないってか。
「観察されてたってわけだな」
「これでも、それなりの椅子には座ってる。人を見る目はあるつもりだよ」
「分かった。鞄は、雨傘に必ず渡す」
「ありがとう。私は、もう行くよ」
俺の直感だが、やっぱ少しすれ違ってるだけだ。話の一つでも出来れば、もしかしたら、その溝は埋まるかもしれない。
「アンタは、合わなくていいのか?」
「時には、時間が解決してくれる事もある。けれど、私の場合は、時間を無駄にしてしまった。人の時間は有限だ。限りある大切な時間を本来なら、そうあるべきであるはずの時間を私は娘に使ってあげられなかった。理由は、それだけで十分だよ」
あぁ、この雨傘の親父、自分の娘を名前で呼ばない。距離を自分から作ってんだな。
「なぁオッサンよ、本当に何も無いのか? 合わないでも、伝える事一つくらい」
「叶うなら、妻の描いた絵をもう一度見たかった。私が鞄を大切に手元にいつまでも置いておいたのは妻の描く絵、笑顔が好きだったからだよ。おっと、初対面の人にこんなことまで話してしまうなんてね。じゃあ、こんどこそ私は行くよ」
大切な何かを失ったからなのか、その後ろ姿は今にも倒れそうなほど弱弱しく見える。
引きづってるままなんだろうな。雨傘も、その親父も。
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